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「消費者」から「所有者」へ──なぜいま「修理する権利」が重要なのか

先週wiredでも記事が出ましたが、ついにアップルが(部分的にですが)折れました。最近よく耳にする「修理する権利」の話です。

個人的に「修理する権利」に注目しはじめて約一年、その重要性への確信は日ごとに高まっています。今回はこの記念すべき(?)イベントを祝して、なぜいま「修理する権利」が重要なのかを考えてみたいと思います。

Appleはどのように修理を「拒んで」きたか

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出典:"Apple’s Diabolical Plan to Screw Your iPhone"

手元にiPhoneがある方は、底面の充電ジャックの両脇にある小さなビスをよく観察してみてください。ビスの穴が星型になっていることに気づくはずです。もしあなたがiPhoneを物理的に修理したければ、まず最初にドライバーでこのビスを外し、筐体を開く必要があります。しかし、星型のドライバーを持ってる人なんているんでしょうか?

この特製ビスは、端的に言えば「ユーザーがiPhoneを分解しにくくする」ことを目的にデザインされたものです。Appleといえば自社の修理サービスを"ジーニアスバー"と名付けてブランディングするほど行き届いた修理サービスをウリにしてきましたが、その裏側にはユーザー自身による自主的な修理を徹底的に否定する「デザイン」が施されているわけです。

それだけではありません。タッチボタンをサードパーティ製のものに付け替えると発生する「Error 53」ユーザーによるバッテリー交換に警告を発する仕組みなど、Appleはあの手この手でユーザーやサードパーティによる修理を防ぐ仕組みをデザインしてきました。

しかも、こうしたAppleの「アンチ修理」の戦略は、優れたマーケティング手法の最たる例として長くもてはやされてきました。それは端末の「旧式化」を作り出すことで、ユーザーの買い替えを促すきっかけとしても機能してきたからです。またAppleほど大規模かつ徹底的なものでなくとも、「アンチ修理」の戦略は殆どあらゆる家電製品メーカーのデファクトスタンダードになっています(「自分で修理したものは保証対象から外れます」という趣旨の注意書きのない説明書を見たことがあるでしょうか)。もちろん、修理を拒む戦略はユーザーに不利益をもたらすばかりでなく、有害な金属を含むe-scrap(廃棄電子製品)を不必要に生み出すことで、地球環境に深刻な負荷を与えるものでもあります。

こうした状況の中で構想された「修理する権利」は、一言でいえば「購入者が製品を自分で修理する権利」です。あたり前のように思えるこの文言ですが、すでに見たように、近年私たちが購入する電子製品は自分で修理できないことがほとんどです。複雑なデザインで修理が難しい、というのは可愛い方で、既に見たような修理を拒むデザインもあれば、最悪の場合そもそも製品自体に「修理」の可能性が考慮されていない場合もあります。このような、いわば企業による「修理の独占」とでも呼ぶべき状況への反対運動として、「修理する権利」は位置付けられるでしょう。

そもそもは2001年のアメリカで、中古自動車の販売業者が立ち上がったことから始まったこの運動。現在ではすでに20の州が「修理する権利」のコンセプトに基づく法律を制定しています。(2019年9月現在)

なぜ修理はラディカルか──社会的な行為として「修理」を考える

しかし、だからといって「修理できないこと」にどんな問題があるのでしょうか? メーカーが不誠実だと憤るのはわかりますが、現実的には「修理できないこと」そのものに困ることはそう多くありません。結局のところ「修理すること自体が面倒」などと考えるまでもなく、安い新品が買えるならそうすることが殆どですし、なんなら「修理しなくてもよい」ことが前提になっているほうが安心できる気もします。

こうした「修理」に対する素朴な──しかし強力な──批判に応えるために、ローズ・マカーリオのテキストをご紹介したいと思います。環境保護活動への熱心な取り組みで有名なアウトドアウェアメーカー「パタゴニア」のCEOである彼女は、現代における「修理」の価値についても踏み込んだ主張を行なっています。

私たちは取り替えることが第一級である文化に暮らしています。車や洗濯機のような高価なものは当然のように修理しますが、主として新しいものを買いに行く方がより簡単で安価です。修理を避ける理由は他にもあります。みずから製品を修理すると保証が無効になると警告するラベル、あるいは自分たちで何かを修理するための情報や必要な部品を入手する手段がないことなどです。(出典:「修理は急進的な行為」

まずはローズによる社会分析です。「取り替えること」すなわち「消費すること」に価値が置かれる現代消費社会においては、新品が簡単に手に入るがゆえに「修理」することの経済的合理性が小さくなるだけでなく、製品を作り出すメーカー自身によって、積極的に修理の可能性自体が摘み取られる状況が常態化しています。つまり現代における「修理」の困難さは次の二つの要因で構成されているのです。ひとつは修理それ自体の「割の合わなさ」、もうひとつは修理を拒むことそのものを意図した多様な──プロダクト、リーガル、情報、etc..──「デザイン」によって。Appleの事例はその筆頭でしょう。

こうした状況を前提とした上で、ローズが焦点を合わせるのは、それがどのような社会を作りだすのか、またそれがもたらす最終的な破局から逃れるにはどうすべきかという方策です。

こういった状況が作りだすのは製品の所有者の社会ではなく、消費者のそれです。そしてそこには違いがあります。所有者はその購入物に対して適切な手入れから修理までの責任を取るという力をつけます。一方、消費者は入手、製造、廃棄という生態系の破産へと私たちを追いやるパターンを繰り返します。(中略)集団的な消費のフットプリントを減少させることに必要なのは、製品を作る会社とそれを買う消費者が責任を分かち合うことです。(出典:「修理は急進的な行為」

製品を消費し続ける「消費者の社会」が生態系の破局を避けられないのに対して、製品の手入れや修理を行う「所有者の社会」は、企業と消費者が責任を分かち合うことで消費のフットプリント(総量)を減少させるほうへと舵を切ってゆける──。それがこの文章の主張です。興味深いのは、消費者と企業が製品に対する「責任を分かち合う」という言葉が選ばれていることです。どういうことか。

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出典:「修理は急進的な行為」

「修理」という行為には、ともすれば個人的な活動というイメージが付きまといます。それがDIY(Do it yourself = "自分でやれ")文化の一画を占めていることもその遠因のひとつかもしれません。しかし、物事の成り行きを個人の能力に帰着させる言説は、不毛な自己責任論("できない奴が悪い")へと容易に裏返ってしまいます。その点ローズが白眉なのは「修理」を、購入者が身につけるべき能力と考えるものでも、あるいは企業によって果たされるべき責務と考えるものでもなく、企業と購入者の双方が分け合う責任のもとに位置付けたことです。製品に関するこのユニークな、いわば「修理の社会モデル」は、企業と購入者を対立的ではなく協力的な関係に置くための努力を双方に求める、切実な呼びかけに聞こえます。こうした主張の背景には、ローズ自身の私企業のCEOという立場も関係しているでしょう。

以上を踏まえれば、ローズが文章につけた「Reapir is a radical act(修理は急進的な行為)」というタイトルにも頷けるはずです。企業の責任論や消費者の能力論という単純なモデルを超えるものであるという点で、「修理」にまつわるローズの提案がより困難な道のりを目指していることは間違いありません。しかし、それが繰り返す「消費社会」のサイクルから抜け出すための意欲的な提案であることもまた、間違いないでしょう。彼女が論じる「修理」の射程は、企業と購入者(所有者)の新たな責任分担を通じた、ある種の社会変革にまで及んでいると言えます。「修理」の責任をひきうけることは、「所有者の社会」に移行するための切符なのです。

複雑化する製品と、"デザイン・ジャーナリズム"の重要性

とはいえ、理想論だけでは話は進みません。必要とされているのは既に、メーカーと所有者が製品への責任を分有するための仕組みを作り上げる実践です。その具体的な取り組みの事例として「iFixit」があります。「修理方法のWikipedia」とでも呼ぶべきそのサービスには、iPhoneのフロントガラスの交換方法から、破れたウェットスーツの繕い方までが手広く揃っています。修理する方法自体を集合知的にアーカイブしてしまうという、直接的な行動の潔さが魅力です。実際にパタゴニアも、自社のウェアの修理方法をiFixitに掲載することで、ローズの言う「責任の共有」をメーカー側から実践しています。

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出典:iFixit

iFixitが行なっている興味深い実践のもう一つは、デジタルデバイスに対して行う「リペアラビリティ・スコア」の格付けです。発売されたばかりのデバイスを片っ端から分解・再構築し、それがどれだけ修理しやすいか / 修理が想定されているかを検証してゆくこのコーナーは、SNSでもよく話題になるiFixitの名物企画です。

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2016年製のAirPodsは接着剤で接合されており、分解するにはパーツを破壊する以外方法がない。Apple自身にも修理は困難であろうというお粗末さ。リペアラビリティは10点中0点。(出典:iFixit

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2019年に発売されたばかりのFairphone 3は、全てのパーツを簡単に交換可能な携帯端末。販売元のFairphoneは、パーツごとの販売まで手がける。リペアラビリティは堂々の10点中10点。(出典:iFixit

「製品を分解・再構築する」というシンプルな、しかし目を引くコンテンツが「修理する権利」の認知度の高まりに寄与した部分は大きいはずです。それは製品の「修理しづらさ」を可視化する事で、企業によって「修理する権利」が毀損される物的な有様を、これ以上ないほどわかりやすく伝えています。こうしたコンテンツ群を通じて、活動家たちは少しずつ、しかし着実に「修理する権利」がいかに重要かについてのコンセンサスを作り上げてきました。「リペアラビリティ・スコア」が企業による製品開発を監視することで、「製品の複雑化」の問題が常に批判の目に晒される状況をプロデュースする。iFixitはこれらの直接的な行動でもって、自分たちが望むデザインと人間との関わり方を作り出そうとしているのです。

やや本論からはそれますが、こうしたデザインについてのジャーナリズムとでも呼べそうな活動が成立しているという発見は、個人的に「修理する権利」を追いかける中で得た思いがけない収穫でした。それは現代社会にとってのデザインという存在そのものが、批判的に読み取られるべき思惑や構造を抱え込んでいることの証左であるように思えたからです。ますます拡大してゆくであろう複雑なデザインの領域を監視する「デザイン・ジャーナリズム」の実践は、「修理する権利」をモデルケースとして、今後さらに必要とされてゆくのではないかと考えています。

社会はデザインをどう位置づけ直すか

以上、「修理する権利」を検討しつつ、「デザイン・ジャーナリズム」の必要性の提言にまで論を進めてきました。最後にこうした動きが、変化しつつあるデザインの役割にもたらす変化の方向性を少しだけスケッチして、話を開きたいと思います。

あらためて現状を振り返ってみれば、今回Appleから引き出した譲歩が大きな一歩であることは間違いないものの、Appleが修理の主導権を握る状況に依然変化はありません。しかし「修理する権利」は、CCライセンスを含む古典的な独占禁止法の一群や、プライバシーの権利に基づくGDPR(EUデータ保護規則)とは異なり、購入者に不利に働くデザインそのものを政治的課題に設定するものです。それが直接影響を及ぼす範囲はまだ限定されているものの、デザイナーが自らの実践がもたらす結果そのものについて、今後注意を払う必要性が増してゆくのは確実でしょう。特にプログラマは、自らが比較的容易に生み出しうるものについての倫理的な責任を肝に銘じる必要があります。またこうした懸念は、情報技術の活用が喧伝される他のデザイン領域においても同様です。個人的には特に都市計画領域における情報技術の濫用に危機感を抱いていますが、論をまたぐのでこちらについては別稿に譲ることとします。

いずれにせよ、デザインそのもののあり方を中心に据えた「修理する権利」の登場は、社会におけるデザイン位置付け自体の大きな変化を感じさせるものです。ローズが主張する「消費者の社会」から「所有者の社会」への移行が、製品を媒介とした企業と購入者の新たな関係を模索するものであったことは、その意味で象徴的なものであったのではないかと思います。こうした社会におけるデザインの変化が有するであろう歴史的な意義のありかに考えを巡らせつつ、今後も「修理する権利」の展開を注視していくつもりです。

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参考資料


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中村健太郎

プログラマ、建築理論家。1993年和歌山県出身。2016年慶應SFC卒。専門はコンピュテーショナル・デザインの理論と実践。NPO法人モクチン企画理事。東京大学学術支援専門職員。

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