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メディアの見出しを信じることで他責が生まれていく仕組み

最近フェイスブックやYahoo!ニュースを見ている中で、こんな見出しを付ける記事が増えているように感じています。先日 私がピックアップした見出しで言うと、例えば・・・

後悔しない就活をするために、本当に必要な「コミュ力」の正体
年収500万円夫婦が「毎月10万円の住宅ローン」は危なすぎるワケ
日本人が気づいていない、米中貿易戦争 これから本当に起きること
なぜ新入社員は ノルマの120% を目標に設定すべきなのか?

こういったタイトル、確かに興味をそそりますよね。なんか読んでみたくなる。しかし、こういった文章を読むことが私たちの「他責」を増長していることに皆さんは気づいているでしょうか。あるいは「自分で決めない」ことや「メディアの言っていることを鵜呑みにする」という嗜好を作っているということにお気づきでしょうか。

【コミュニケーションの正体なんてあるわけがない】
例えば最初のタイトル

後悔しない就活をするために、本当に必要な「コミュ力」の正体

の中の「正体」という言葉。
例えば工業製品であればカバーを外して分解して、ネジ1本までバラしたらその正体はわかるかもしれません。
しかしコミュニケーションは物ではないので、正体という概念が実質当てはまらない。人の気持ちは変化するし、相手の状態によっても正体は変化する。
そんなファジーなコミュニケーション力を「誰かが正体だ!と感じたこと」を鵜呑みにして信じ、人に話したり、自分の行動の裏付けに使うことは、自分で真相を解明するという責任を手放すことなわけです。
冷静に考えればわかることですが、メディアがもっともらしく言うと鵜呑みにしたくなる傾向が私たちにはあります。

【ワケの盲目的な信者になっていませんか】
2つめのタイトルはどうでしょうか。

年収500万円夫婦が「毎月10万円の住宅ローン」は危なすぎるワケ

○○なワケ という見出し、本当に最近良く見かけます。
こういう論調も他責を作りやすいと思うんです。
例えば○○がダメなワケ、という見出しがあれば、「ああ、○○はダメなんだな」とレッテルを貼ってみたり、○○が良いワケ、と見出しに書いてあれば盲目的に信仰してしまう傾向、私たちにはあるように思います。
物事には例えば陰陽のように複数の捉え方があるという風に考えることはできないでしょうか。
だとすると、誰かが主観的に捉えたことを「どうして?」という視点で考え、自分でその真偽を検証していくこと、もしかして怠っていないでしょうか?
私がアメリカの高校で過ごした2年間の中で先生から教わったことは、メディアに掲載される記事や論調を盲目的に信じてはいけない、ということでした。自分で必要なリサーチを行い、裏付けをとって、そこに自分の意見や見解、スタンスを乗せて、自分の言論とすることが大切であると。
ネットが普及した世の中で私たちが忘れてしまいつつあること、再認識してみるのはいかがでしょうか。

【かもしれないと付け足してみよう】
そして、3つ目のタイトルは

日本人が気づいていない、米中貿易戦争 これから本当に起きること

というものでしたが、これはこの記事の著者が上の項目でお伝えしたリサーチ⇒裏付け⇒見解というプロセスを行ってまとめただけ、という記事です。つまり事実を列記した情報ではなく、あくまで個人の見解であるということです。こういう見出しは少し頭の中で書き換えてみるという作業が必要だと思います。例えば「私が考える 日本人が気づいていない、米中貿易戦争 これから本当におきるかもしれないこと」
事実ではなく、あくまで「そうかもしれない」と捉えてみると景色が変わっていくように思います。

なぜ新入社員は ノルマの120% を目標に設定すべきなのか?

4つ目のタイトルであるこちらも同様で「なぜ〜すべきなのか」という、いわゆる「べき論」がタイトルに入っています。こちらも上の事例と同じで、その著者の見解を述べているものです。
書き換えるなら「 世の中的には、新入社員はノルマの120% を目標に設定すべきだと言われていますが、あなたはどう思いますか?」ということになるかなと思います。
(ここまでマイルドなタイトルを付けたら読んでもらえないでしょうね、書き手の都合からすれば)
私たちは日常生活の中でこういったものを鵜呑みにしがちなのですが、それは正に「他者の見解を盲目的に信じる」=「他責」を無意識的に醸成するものです。
まったく意識をしない状態でこういった他責状態、あるいは自律的な営みを放棄する状態が作られているということに私は恐怖感を抱きます。

そして、この記事すら、私の見解であり、事実情報だけを列記して伝えるものではないということ、追記しておく必要がありそうです。
私のこの記事をどう捉え、どんな見解を持ち、何を裏付けとして信じるのか、皆さんなりに思考してみてください。
それでこそ、私がこの記事を書いた意味がある、と思うのです。

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