やまだ けんたろう

ほぼ毎日書いています。

やまだ けんたろう

ほぼ毎日書いています。

最近の記事

大阪に帰ってきた。

写真は気仙沼ですが。 ああ、久しぶりのノートパソコン。スマホで文章を書くのにも若干慣れてきたけれど、やはりキーボードがいい。パチパチ音がするのがいい。打った感じがする。僕が書いたと思える。スマホは予測変換が予測しすぎる。予測しすぎて最後まで打たなくても文章が書けてしまうのが嫌だ。僕が書いた気がしない。 パソコンの画面が大きいのがいい。五行書いても自分の書いた文字を全て見渡すことが出来る。スマホだと5行書くと、自分の書いた文章を見返すには上にスクロールしなければならなくなる

    • 子のきもち、親のきもち。

      お笑い芸人を目指したい。と親に言ったらなんて言うのだろう? そこまで言うんやったら、お前ネタの1つでもやってみろ、と試されるのだろうか。 どんな芸人になりたいんや、と目標を聞かれるのだろうか。 お前の生活が安定するビジョンが見えない、と叱られるのだろうか。 どのパターンもあり得るし、どのパターンでも親を安心させることは出来ないだろう。 ネタはスベるし、目標言えばお前はバカか、と言われるし、ビジョンなんてまるでない。 それでもやりたいからみんなお笑い芸人になったんだろうな。

      • おみくじ。

        ここに書き始めて80日目くらいだろうか。 悔しい、深夜になってしまった。noteの更新を毎日続けると表示されるアレも出なくなる。 理由は呑んだくれていたというわけではなく、親とかなり真剣な話をしていて、そしてその話がかなり伸びてしまって、途中で切り上げることもできず、こんな時間にノートを書くことになってしまった。 東京から大阪に戻る。自分の家が台風でめちゃくちゃになっていないか心配だ。 大阪に帰ったら引越しのバイトを始めようと思う。そして、前から買っていた本を夏休み中に全

        • 全部はつらい。

          1年前に、よし本を読もう、という期間を設けた。話題の本、好きな人がオススメしている本、書店で気になった本、手当たり次第に読んだ。量は多いのか少ないのか1年で100冊くらいだと思う。これでもまだまだ読んでないと感じる。実際読んでいる人からすると、それで本好きと語れるの?というくらいの冊数だと思う。 でも真剣に取り組んだからこそ、得られたものがある。それはもっと読みたいという好奇心である。 以前は本屋に行っても、その膨大な数の本を見て嫌な気持ちになっていた。おれはまだこんなに

        大阪に帰ってきた。

          叫んでもいい。

          旅に出ている時に普段では考えられないくらい「叫んだ」。車が僕の横を大きな音をたてながら通り過ぎる時、誰もいない田舎道を歩く時、暗い夜道で心細くなった時、喉が壊れるくらい大きな声で叫んだ。 叫ぶとスッキリするわけでもないし、気持ちよくなるわけでもないし、安心するわけでもないのだけど、叫びたくなるから、叫んだ。 ああああ゛!!!!!と叫んだり うおおお!!!!!!と叫んだり、 もういやだ!!!!!と叫んだりした。 日常生活で叫びたくなることはたくさんある。だけど叫ばないでし

          ブラジル先住民の椅子。

          たぶんぼくは大昔のまだなにもなかった時代になにかしらの「答えみたいなもの」があると考えているのかもしれない。 目の前には森や川が広がっていて、数キロ先には獣や虫やあるいは別の人間がうじゃうじゃいるようなそういう世界で生きた人々がなにを考えたのか、どうやって生きてきたのか、そういうことを知ると、僕にも何かが分かるのかもしれない、と。 でも学者さんや、考古学者さんのようにそのことに人生を捧げる覚悟はない。ただ僕なりの考えを持ちたいだけだ。ちょうど不揃いなパーツで積み木を組み立て

          ブラジル先住民の椅子。

          トウキョウを自転車で。

          旅の疲れを実家で癒していた。足の皮は硬くなり随分動きやすくなってきたし、身体のあちこちを襲っていた筋肉痛はほぼ完全になくなった。久しぶりに外に出ようとおもって外に出た。 自転車を借りて阿佐ヶ谷にある実家から池袋まで行った。前から行きたかった古代オリエント博物館。博物館を見終わると、お腹が空いたのでコンビニでカニクリームコロッケを買って食べた。そしてこれも前から行きたかった東京庭園美術館にも行った。 東京庭園美術館のことについてはまたいずれ書きたいなあと思ったら書こうと思う

          トウキョウを自転車で。

          テレビが好き。

          何ヶ月ぶりかくらいにテレビを浴びるようにみている。一人暮らしだとテレビを見ることはほとんどなくなるのだけど、実家にいるとずっと見てしまう。 世の中のニュースは全てラインのニュースで知った気になっていたのでテレビなんて見なくてもいいと思っていたのだけど、zipだとか、スッキリだとか、バイキングだとかを真剣に見ていると、結構面白い。 パワハラ問題で話題の塚原さんがスッキリに出ていて、MCの加藤浩次と顔を付き合わせて生で話しているのはなかなか見ごたえがあった。問題の核心はよくわ

          テレビが好き。

          悩みの種が実をつけた。

          去年自分が書いていたメモのようなものを見返していた。去年も今年と同じように色々なことを思い、体験して、考えたりしていた。そして一貫して悩んでいた。 小説のようなものを書いていた。額に毛が生えた女性と付き合っている男の話だ。そんなことを書いていたことを全く覚えていなかった。途中で書くのをやめていたのは残念だったけれどまあ、そんなもんだろう。たぶん「額に毛が生えた女性」という設定を思いついたことが嬉しかったんだろうな、と思う。 気仙沼で露天風呂に入っていたときに、夜の港を見な

          悩みの種が実をつけた。

          普通じゃなかった最終日。

          旅の最終日、岩手県北上市は大雨が降っていました。激しくて冷たい雨、ポンチョで防いだところで靴はびしょびしょになるし、顔はあめでぐしょぐしょになりました。 ネットカフェでずっといてもよかったのですがなんだかエネルギーを消費したかったんでしょう、外に出てしまいました。帰りのバスのお金をコンビニで支払ったあと、余ったお金を全部使いきりたかったのでひとりでしゃぶしゃぶの食べ放題に行きました。ネットカフェで飲み物をたくさん飲んでいたのでお腹はあまり空いていなかったのですがそれでもいき

          普通じゃなかった最終日。

          。。。

          ああああ、かえります。 言い訳などしやせん、一夜明け、いま、歩こうという心持ちになりやせん。 いつか、リベンジしやす。 ううう。 ありがとうございました。

          まだまだまだ。

          コインランドリーにて。 雨と汗でほとんどの服を使い切ってしまい、コインランドリーを血眼になって探す。 ようやく見つけた。重たくなりただの荷物と化した服たちを次々と洗濯機の中に放り込んでゆく。今自分の着ている服も洗いたかったので、腰におばちゃんからもらったブランケットを巻き、ズボンを脱ぎ入れた。あの長いスカートのようなものをはいた、短髪の男はなんだ、と思われても構わない。旅の恥はかき捨て、というやつだなこれは。昔の人がこういう言葉を作ってくれたおかげで生きやすくなっているんだ

          敵のいない。

          またまた色々あり、今日は気仙沼を軽く観光した後、電車で一関市まで行き、北に向かって歩いている途中だ。歩けど歩けど温泉が見つからないので(地図では岩手に温泉はたくさんある)ファミリーマートのベンチに座ってこれを書いている。 途中途中でパンを買ったり、飲み物を買ったりして体力を回復する。サンドウィッチなら60、あんぱんなら30、ミネラルウォーターなら20、温泉に入ると100回復するように出来ている。まるでRPGである。 敵は出てこない。敵の代わりに歩くと体力が減る。肩や足が痛

          草はらにねる大人。 くまもん

          6日目、と書くとたまたまこの投稿をみてくださった人の読む気がなくなってしまうような気がするのだが、事実6日目なので、6日目と書かせていただきます。すみません。もしよければ1日目からどうぞ。あ、1日目2日目はドタバタした投稿になってるので3日目からもしよければ。 旅をしているからといって、旅のことを書こうとするとあまりおもしろくない。個人的に今日は波乱万丈な1日だったのだけど、他人の夢の話と同じで、話す本人と聞く他人でその体験に対するギャップが大きすぎるから、あまりおもし

          草はらにねる大人。 くまもん

          あるいて、たべて、つかって、ねる。

          5日目。ふたごの湯というところでこれを書いている。 昨日の台風は東北周辺の雲を一緒に持っていってくれたみたいだ。5日ぶりくらいにジリジリと照りつける太陽を感じた。顔も腕も焼けて赤くなり、なんだか旅人っぽくなりつつある。 今日は東北にきてからはじめて、果物を食べた。来る前は東北のとれたての野菜や果物を食べまくるぞ、と意気込んでいたのだけど、待てど暮らせど野菜の直売所だったり農家さんのいらっしゃるところに行き当たらない。でも考えてみたら当たり前だった、僕はずっと海沿いを歩いて

          あるいて、たべて、つかって、ねる。

          修行のような旅のような。

          今日はずるをした。電車に乗ったのだ。 これで晴れてぼくの旅は歩きオンリーではなく、車にも乗ってしまったし、電車にも乗ってしまったことになる。これではもうなんの旅なのか分からない。 まあでも「帰りたい」、と思うよりましだろう。帰ることを諦めだとか、逃げとして捉えていないので、下手をすると簡単に帰ってしまいそうな自分がいる。それはもったいないと思う。せっかく出会えたはずだった人や考えに出会えなくなるのだから。 どこかに止まる度に考えていることや、あったことをメモしているのだけ

          修行のような旅のような。