高橋悠治『エリック・サティ 新ピアノ作品集』

 昨年、発表した小説『ヘッドフォン・ガール』の読者から、こんな不満を寄せられたことがある。主人公が聴いているエリック・サティがパスカル・ロジェのCDだったのが通俗的で、残念だったというのだ。通俗的というのは確かにその通り。だが、主人公が聴いているサティは物語の進行とともに演奏者が変わっていく。最初に登場するのが90年代にポピュラーだったパスカル・ロジェで、それは時代背景と合せて、入門用になりやすいCD作品を意図的に選んだのだった。

 そんな細かな描き込みをしていたので、小説を書いている時にはいろんなピアニストのサティ作品集をチェックした。だから、今さら「ジムノペティ」を聴いて驚くような経験が待っているとは思いも寄らなかった。数日前に届けられた高橋悠治『エリック・サティ 新ピアノ作品集』を聴くまでは。

 高橋悠治は1976年にLPの『エリック・サティ ピアノ作品集』を発表して、日本でのサティ・ブームを巻き起こした人だ。新作はそれから40年以上を経て、再びサティの作品集に挑んだものになる。70年代のアルバムでも高橋悠治の演奏するサティは独特で、「ジムノペティ」をとってみてもテンポは大きく揺れ、タッチの強弱も激しい。静的な演奏でサティの音楽の瀟洒なデザイン性を聴かせるような録音作品(例えば、先のロジェがそうである)とは距離があった。

 だが、新作の「ジムノペティ」ははるかに予想を超えた、これまで聴いたことのないサティだ。ひとつひとつの音に驚きがあると言ってもいい。たどたどしいくらいにタイミングがずれる。アーティキュレーションもまちまちだったりする。見知らぬ譜面を開き、記された音符に初めて出会って、その意味を思いめぐらしながら、鍵盤を押している。そんな演奏のようにも思えてくる。いや、それよりもっと時を遡り、作曲しているサティが次の音符をどう置こうか、考えあぐねている瞬間に思いを馳せながら弾いているようにも思えた。

 この演奏の中では時は前に進まない。むしろ、巻き戻されていくのではないか。そんな感覚にも囚われてしまった。

 といっても、その音楽としての肌合いはとても優しい。ホールでの録音のようだが、リヴァーブは抑えられ、あたかも部屋の中で誰かがピアノを弾いているかのようなサウンドだ。

 アルバムにはピアノ曲にはさまれて、サティの歌曲を高橋悠治がピアノのために編曲した4曲も収められている。この4曲はのびやかで、まさしく歌っているような感覚がある。それもプロの歌手ではなく、身近な誰かが口ずさんでいるような、ある種フォーキーと言ってもいい歌心が滲み出る。

 この4曲だけを取り出して聴くのも素晴らしい。そして、アルバム全体に戻ってみると、ピアノ曲のデザイン性やピアノ演奏というものの機能性に対して、いかに人間的なほころびを忍び込ませるか、79歳のピアニストはそこに挑んだのではないかと思えてきた。

2017年9月

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