コカコーラの泡

 コカコーラの泡の中にティーンエイジ・ドリームを見る時代は、二十世紀とともに終わりを告げた。新世紀の始まりに人類は新しい悪玉を見つけ出した。二酸化炭素という奴だ。

 大気中の二酸化炭素濃度を徐々に押しあげてきたのは、毎日毎日、炭素を燃やし過ぎている人類自身に他ならなかったが、そんなことはこの際、どうでも良かった。
 分かりやすい悪玉を見つけ出して、指差すこと。重要なのはそこだ。たいていは小学校のクラスで学ぶ。
 ヒーローになる唯一の方法は、悪玉と闘うことである。悪玉がいなければ、ヒーローは生まれない。スパイダーマンはただのミュータントだ。

 二酸化炭素を倒せば、ヒーローになれる。自分自身が起きている時も眠っている時も二酸化炭素の製造機だいうことは忘れて、人類のために二酸化炭素と闘う人間達が、そこいらじゅうを闊歩し始めた。ワシントンの連邦議会議事堂ももちろん例外ではなかった。
 ニューカロライナ州選出の共和党の下院議員、ケイシー・ブジャックもそんな人間のひとりだった。彼はずっと二酸化炭素に狙いを定めていた。そして、ある日ついに、議事堂の廊下で思いついた。火葬を制限する法案を。

 あなたはあなたの葬儀で二酸化炭素を排出したいだろうか? ブジャックと彼のチームは、そういうキャンペーンを張ることにした。
 火葬を行えば、あなたの身体は二酸化炭素となって、未来の地球を蝕む。貴重な森林資源を使ったあなたの棺桶も然り。アッという間に煙となって終わりだ。それでもあなたは火葬を望むのだろうか?

 ブジャックのこのキャンペーンが「NY POST」や「USA TODAY」に取り上げられると、反応はすこぶる良かった。そもそも、米国内での火葬率は二十パーセントを越える程度に過ぎない。キリスト教やイスラム教やユダヤ教では伝統的に火葬への禁忌が強かったから、わざわざ、火葬を望むのは仏教徒などの少数派の人々だった。ブジャックはもちろん、このキャンペーンに反対するのは、マイノリティーだけだということを読んでいた。
 火葬を行う際には、宗教上の理由などを添えて、届け出を行うことを義務化する。火葬用の棺桶の材質や重量に限度を設けるなどの制限を盛り込んだ法案をブジャックは民主党のカレン・ティルブルック下院議員とともに、議会に提出した。2010年、その火葬制限法案はするすると成立した。

 米議会で火葬制限法案が議論される間に、その火の粉は合衆国の外にも飛んでいった。アメリカ人にとって好都合だったのは、火葬率、九九・九パーセントの国が大平洋の向こう側にあったことだ。日本をバッシングしたくて仕方ない人々はこれに飛びついた。
 二酸化炭素を増加させている最大の要因は、言うまでもなく、一世帯あたり一・五台以上の車を持つアメリカのモータリゼーションだった。それに比べれば、ひとりの人間が一生に一度、自分の身体と棺桶を灰にするくらいのことは環境への影響としては取るに足らないレベルだが、そんな定量的な議論にはならないのが、こういう場合の常だ。
 日本人は全員、自分の死後にまで二酸化炭素を発生させて、地球温暖化を加速させている。なんとエゴイスティックな。
 そうやって日本の火葬率をあげつらうことは、京都議定書を拒み続けてきたアメリカ合衆国が矛先をかわすための、格好のネタとなった。

 同じように、二酸化炭素排出量の急激な増加で世界からの非難を浴びていた中国は、これを見て、あっさりと方向転換した。
 過去数十年、中国は火葬を奨励し、土葬を法律で禁止すらしてきた。それでも、伝統的に土葬や鳥葬を行ってきた人々は、なかなか風習をあらためなかった。鳥葬というのは、高山の岩の上などに死体を置いて、禿鷹などに食べさせる埋葬法だ。
 長年の努力にもかかわらず、火葬率三十パーセントにとどまっていた中国は、一転して、伝統的な土葬や鳥葬の禁止を解除し、火葬にアメリカ以上の多くの法的制限を設けた。とはいえ、中国政府はよく知っていた。法律がどっちに転ぼうとも、中国人は風習をあらためなどしないことを。
 
              *

 九九・九パーセントの日本人にとっては、火葬をやめることは無理な相談だった。土葬のための墓地など、狭い日本の都市部には作りようがない。
 しかし、アメリカでのアンチ火葬キャンペーンは、環境問題に敏感なロハス・ピープルを刺激した。火葬の方法を問い直そう。そういうムーヴメントがいつしかファッショナブルな盛り上がりを見せ始めた。要は火葬場からの二酸化炭素の排出量を減らせばいいのだ。
 それまで火葬場を持たなかった世田谷区が、砧公園脇に建設し、2012年にオープンさせた砧聖苑は、地球に優しい、新しい火葬のスタイルを提案する斎場だった。子孫のために、きれいな地球を残す、エコな火葬を行おう。そういうメッセージを掲げた砧聖苑は、世田谷のロハス・ピープルの支持を集めた。
 棺桶は植物セルロースを蜂の巣上に形成した超軽量の棺桶を推奨。これだけで、二酸化炭素の排出量は七十パーセント以上カットされる。きれいなカラーリングのセルロース製棺桶を火葬炉に入れた後、茶碗蒸しのお椀くらいの小さな骨壺を砧聖苑から持って帰ってくるのが、ロハス・ピープルらしいクールな葬儀になった。

 骨壺が茶碗蒸しのお椀くらいの大きさになった理由は、そこに骨のひとかけらしか入っていないからだ。砧聖苑では申し込み時に、職員が遺族にこう聞く。

 「個人の遺骨のカルシウムを地球環境のために役立てますか?」

 最近は生前に遺骨のカルシウムを二酸化炭素除去に役立てるように言い残す人々も増えてきた。カルシウム提供の同意が得られた場合は、火葬炉から出てきた遺骨を遺族が拾い上げた後、その中から、のどぼとけの骨だけが遺族が持ち帰る小さな骨壺に収められる。残りはもうひとつの大きな骨壺に収められ、砧聖苑の中の処理施設に運ばれて、不純物を取り除き、カルシウム粉末に精製される。

 そのカルシウム粉末は砧聖苑の排煙の二酸化炭素除去装置に利用される。排煙中の二酸化炭素とカルシウムを結合させて、炭酸カルシウムとして固化するのだ。
 実際には、人骨から得られるカルシウムの量は、排煙の処理に必要な量にははるかに足りず、製鉄所の廃棄物として出されたカルシウムを含む鉱物粉末に混ぜて使用されるに過ぎないのだが、そんなことは知らせなければいいだけだ。地球環境を守るために、故人は骨を提供した。大事なのはそう言えることだった。そういう火葬を望むのは、インテリジェンスの高い人間であることの証明になった。
 生成された炭酸カルシウムは、鉱物粉末とともに、特殊な形状のブロックとして固められ、海中に投棄される。特殊な形状のブロックは珊瑚が生育するベースとなるようにデザインされている。カルシウムは最後には珊瑚礁の一部となって、海の底に眠る。
 砧聖苑のパンフレットの表紙に、美しい珊瑚礁の写真が飾られているのは、だからだった。

 しかし、砧聖苑の火葬炉にはもうひとつ秘密があった。それはパンフレットのどこにも書いてはいない。

★10年くらい前に途中まで書いた小説の書き出しです。続きをここにアップしました →

https://note.mu/kentarotakahash/n/nc77b9c6b2dee


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?