『バードマン』のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督についての追記

 長い批評文を書いた後に、雑誌記事を見て知って、バツが悪いのですが、『バードマン』のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督と音楽を手掛けたアントニオ・サンチェスはともにメキシコ出身なのですね。菊地さんが「移民映画」だと書いていたのは、だからだったのか。

 となると、あのカット割を排した長回し(風)ワンショットの中で、現実と幻想が入り乱れるスタイルも、南米文学の所謂「マジック・リアリズム」の映像化だと考えられて、急に納得できます。批評は、もう少し、資料当たってから、書くものですね。

 Wikiを見てみると、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督は、もともとはラジオDJだったようです。

 1984年からメキシコシティのラジオ局でDJを始め、1988年には局のディレクターになって、ロック・ミュージシャンへのインタヴューやライヴ・コンサートの中継を多数こなした。同じ頃には、ミュージシャンとして幾つかの映画音楽も手掛けた。その後、1990年代に映像畑にシフト。しかし、アーティストとして影響を受けたのは、映画よりも圧倒的に音楽である、と。

 つまり、完全に音楽畑の人だった訳です。早く教えてよ。

 でもって、同じメキシコシティで育ったアントニオ・サンチェスが、初めてパット・メセニーの音楽を知ったのは、ラジオDJ時代のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの番組を聞いて、だったそうです。時期的には80年代の半ばでしょうね。

 それから十数年が過ぎて、アントニオ・サンチェスはパット・メセニー・グループのドラマーとなり、さらに十数年が過ぎて、パット・メセニーのコンサートの楽屋でアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督と、初めて(リアルで)出会った。そして、『バードマン』の音楽に誘われた。何ともマジカルな話です。

 先の批評分で「音楽に対する鋭敏なセンスを感じさせる映画です」などと、わざわざ書いたのが恥ずかしくなりますね。監督は音楽家であり、音楽の発想で作られたところも多かったのかもしれません、『バードマン』という映画は。

 サウンドトラックはドラムだけでいい、という発想も、うわものは映画自体に織り込んであるから、という考え方なのかもしれない。シンフォニックなうわものがあったりすると、それが発するロマンチシズムに、映画が引きずられてしまう。それは映画の持つマジック・リアリズムを阻害する、と。

 映画は一度観ただけでは記憶しきれないので、『バードマン』については、次の機会に二つ、確認してみたいことがあります。その一つは演奏するドラマーがスクリーンに現れるのは、物語内のどういうタイミングだったか? もう一つはドラム・ソロ以外の音楽が使われるのは、どういうタイミングだったか?ということです。

 もう一度観て、このあたりを精査していくと、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の音楽観が浮かび上がってくるのではないか、と思っています。

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