YouTube上の〝sessions〟と これからのレコードのゆくえ

(2012年9月 『ERIS』VOL.1収録)

  ビーチ・ボーイズの幻のアルバム『スマイル』のブートレグを僕は三種類持っていた。アナログのLPレコードで二種類、CDで一種類。僕は基本的にはブートレグ=海賊版の類は買わないようにしているのだが、『スマイル』だけは別だった。ロック・ヒストリーの、あるいはレコーディング・ヒストリーの金字塔になるはずだったその音源は、どんな手段を使っても、聞いてみたくなるものだった。

 といっても、よく知られているように、『スマイル』は未完のアルバムだ。ジャケット・デザインまで発表されていたが、レコーディングはついに完了せず、アルバムは発売には至らなかった。ブートレグに聞けるのは、レコーディング・セッション半ばの仮ミックスや未編集の音源ばかり。アルバムの断片は、ビーチ・ボーイズのその後の様々な公式音源にも聞くことはできたが、それらがどんなトータル・アルバムに結実するはずだったかは、想像力で補うほかなかった。

 『スマイル』の完成形と言えるものは、2004年にブライアン・ウィルソンのソロ・アルバムとして、初めて示された。ビーチ・ボーイズの『スマイル』は1967年に発表される予定だったから、37年の時を経て、ようやくブライアンの構想が明らかになったことになる。僕が最初のブートレグを手に入れてからも、20年の日々が過ぎていた。20年間に僕が働かせた想像力がいかにちっぽけなものだったかを完成版の『スマイル』は思い知らせた。

 けれども、ワンダーミンツやヴァン・ダイク・パークスらの助力を得て、未完の曲を完成させ、全面的に録音しなおされたブライアン・ウィルソンの『スマイル』は、ビーチ・ボーイズの『スマイル』とは異質の作品であることも明らかだった。伝説を追い求めるファンの多くは、ブライアン・ウィルソンの『スマイル』で満足することはなかった。1966〜1967年のオリジナル・セッションの完成形を聞きたい。そんな叶わぬ思いをより強くしたのは、僕だけではなかっただろう。

 実は、その『スマイル』のオリジナル・セッションを編集して、完成版を作り上げようという試みは、1980年代から続けられていた。ビーチ・ボーイズのオリジナル・アルバムのCD化に合わせて、1990年に『スマイル』のCDを発売するという計画もあり、エンジニアのマーク・リネットが作業を進めたが、結局、その一部が『スマイリー・スマイル+ワイルド・ハニー』のCDのボーナス・トラックやボックスセットの『グッド・ヴァイブレーション・ボックス』に収められるだけにとどまった。

 だが、2011年の終わり、『スマイル・セッションズ』が登場する。2004年のブライアン・ウィルソン版『スマイル』を参考にしつつ、オリジナル・セッションとその後の1971年までのビーチ・ボーイズの音源素材を使って、一枚のアルバムを構成。マーク・リネットらが現代のレコーディング・テクノロジーを駆使して、編集〜ミックスを進めたそれは、ブライアンに公式のリリースを許諾させた。さらに、リミティッド・エディションやボックスセットでは膨大なアウトテイクや、セッションの記録が収められた。もう、望んでも、これ以上のものは手に入らない。世界中のビーチ・ボーイズ・ファンがそう諦めざるを得ない日がやってきたのだった。

 完成品の『スマイル』はどこにも存在しない。そのことは誰もが知っていたとも言えるが、ブライアン・ウィルソン版『スマイル』を模して作られたビーチ・ボーイズ版の『スマイル・セッションズ』は、パズルを完成させるにはピースが足らないことをあらためて教えると同時に、使い道のなかった膨大な録音素材そのものを公式音源として、ファンに聞かせてしまうものだった。ボックスセットのCD2を再生すると、「英雄と悪漢」のヴォーカル・セッションばかりが延々と流れ続けることになる。それは、1967年から2011年に至る44年間で、レコードというものの持つ意味や価値がいかに変質したかを印象づける出来事でもあった。端的に言えば、「レコード=記録」という原点回帰を『スマイル・セッションズ』は体現していた。完成された美学的価値を持つ「作品」ではなく、散逸していた「記録」をレコード会社が箱詰めして、売るようになったのだから。

 オリジナルの『スマイル』のレコーディング・セッションが進められた1966〜1967年はまったく逆の方向に、音楽界全体が向いていた時期だった。レコード作品だからこそ実現できる表現を多くの音楽家が掴み取ろうとしていた。ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の発表を知って、ブライアン・ウィルソンが『スマイル』の完成を焦ったという話はよく知られてきたが、ことはビートルズを中心とするロックの世界にとどまるものではなかった。クラシックの世界では、グレン・グールドが1964年にコンサート活動からの引退を宣言し、テイク編集が可能なレコードでの表現に注力するようになっていた。ジャズの世界では、テオ・マセロがマイルス・デイヴィスのレコーディング・セッションをカッターナイフで切り刻み、繋ぎ合わせて、レコードを完成させるようになる前夜でもあった。

 『サージェント・ペパー…』や『スマイル』の頃のレコーディング・スタジオはまだ4トラックのレコーダーが主流だった(『スマイル』は途中から8トラックのレコーダーを使用したと言われる)。数年のうちにそれは16トラックとなり、24トラックとなり、以後、レコード作品というのは、そうしたマルチトラックで録音を重ね、ミックスダウンをするという長大な行程を経て、完成するものだという常識が生まれ、現代へと至る訳だ。僕は長年、音楽に関わる仕事をしてきたが、思えば、その半分はそうしたレコード作品を完成させるための仕事であり、残りの半分は、完成したレコード作品について文章を書く仕事だった。その二つの仕事のスキルを磨き上げることに、僕は人生の大半を費やしてきたとも言えるし、これからも、死ぬまで、その二つの仕事は続けるのではないかとは思われる。

 だが、レコード作品とは音楽の完成形を刻み込むためのものである。さらに言えば、レコードを作るからには、それは非の打ち所のない「名盤」をめざさねばならない、というような思想は、僕が仕事を続けてきたこの四半世紀ほどの間に壊れ続けてきた。1980年代にヒップホップやハウス・ミュージック、DJ〜リミックス文化といったものがそれを壊し始め、誰もがデスクトップで簡単にCDを作ってしまうようになった2000年代を経て、『スマイル・セッションズ』が最後に墓標を打ち立てたと言ってもいいだろう。完成しなかったからこそ伝説となったアルバムの録音素材がCDとして売られる光景ほど、レコード文化の黄金期〜名盤時代の終わりを感じさせるものはない。

 といっても、巷によく聞かれる「これからはレコードよりもライヴの時代だ」というような単純な論には、僕は頷けないところがある。ライヴはその場に居合わせなければ、体験することができない。そこでの聴取体験は居合わせた人の記憶の中にしか残らない。だから、エジソンはレコードを発明したのだ。そこにあった音響を記録し、時を越えて、遠い場所でも、聴取体験を可能にするために。

 その時空を越えた聴取体験に、人々がある日、突然に魅力を感じなくなった、とは思えない。

 例えば、YouTube( http://www.youtube.com )を見てみれば、古今東西のありとあらゆる音楽がそこにあり、世界中の人々がそれにアクセスしている。これからはレコードよりもライヴ、という論は、前者のマネタイズが難しくなった分、後者でマネタイズを計るべきだ、という音楽家や音楽産業の時流判断を語っているに過ぎないのではないだろうか。 実際のところ、僕も以前に比べれば、CDやアナログレコードを買う量は少なくなった。置き場所がない、聞く時間がないという物理的理由が何より大きいが、後者に関して言えば、デスクトップでネット上の音源を聞いている時間が長くなったことも、CDやアナログレコードと向かい合う時間を減らす要因だ。YouTubeやSoundCloud( http://www.soundcloud.com )などで遊んでいると、幾ら時間があっても足りない。とはいえ、考えてみれば、YouTubeやSoundCloudでも、僕はレコード(=記録音源)を聞いていることには変わりはないのだが。

 YouTubeは2005年にサービスを開始している。このことを振り返る度に、僕は、そんな最近のことだったんだ、とため息をつくことになる。わずか7年ほどの間に、YouTubeは音楽の世界の様相を暴力的なまでに一変させた。もはや、YouTubeにアクセスすることなしに、音楽ファンであり続けるのは難しい。そう言ってもいいぐらいだろう。

 現在、YouTubeにはどれぐらいの曲数がアップロードされているのか、正確なところは分らないのだが、ヴィデオの総数が一億を越えているというのだから、その数分の一が音楽だとしても、2000万曲くらいはあって不思議はなさそうだ。2000万曲だとすると、それはアップルのiTunes Storeで販売されている曲数とほぼ同数ということになる。 しかし、iTunes Storeで売られている音源と、YouTubeにアップロードされている音源の質は全く違う。iTunes Storeの登録音源は、アップル社がレーベルなどの権利者と契約を結んだからこそ、そこで販売されている。一方で、YouTubeにある音源は、誰かがアップロードしたから、そこにある。権利者でない人間がアップロードした場合、それは権利侵害を起こしうるが、YouTubeを運営するグーグル社のそのことに対する基本姿勢はこういうものだ。

 権利者からの削除要請があれば、そのコンテンツを削除する。

 逆に言えば、削除要請がなければ、コンテンツはそこに残り続ける。結果、このグーグル・ルールのもとに管理されているYouTubeには、iTunes Storeでは決して販売されることがない音源が、数多く集まることになる。具体例を挙げた方が話が分かりやすいかもしれないから、ひとつ、曲を挙げて話をしてみよう。 僕が大好きな女性シンガー・ソングライターにローラ・ニーロがいる。彼女の公式音源を僕は全て持っていると思うが、1曲だけ、長年、聞きたくても聞けなかった曲があった。それはローラの実弟であるジャン・ナイグロが作曲した〝Polonaise〟という曲だ。

 1983年にケニー・ランキンがこの曲をレコーディングした。ゲストにローラ・ニーロを迎えて、デュエットする形で。その音源はケニー・ランキンの制作中のアルバムに収められる予定だったが、何と発売前にレーベルのPCMレコードが倒産してしまった。結果、アルバムは所謂、お蔵入りになってしまったのだった。

 ただし、ローラ・ニーロとのデュエットによる〝Polonaise〟は、7インチ・シングルがすでにプレスされていた。おかげで、世の中に数百枚はレコードとして、存在することになった。

 海外のオークションなどでは、このシングル盤は数百ドルで取り引きされていたようだ。しかし、僕が手に入れて、針を落とすことはまず不可能だろう。そう思っていた。が、ある日、YouTubeで検索してみたら、いともたやすく、〝Polonaise〟のページが出て来て、曲が流れ出してしまった。それは痺れるような体験だった。

http://www.youtube.com/watch?v=eZnJ9Y89Qsk

 地球上の誰かがレアな音源をアップロードすれば、そういうことが起こりうる場所がYouTubeなのだ。幻のシングルだった〝Polonaise〟は、たぶん、YouTubeでは削除されることなく、残り続けるだろう。なぜなら、レーベルが消滅してしまっているため、削除要請する権利者が出てくるとは考えにくいから。一方で、この音源がiTunes Storeで売られる可能性は少ないだろう。なぜなら、アップルが契約を交わすべき権利者が見当たらないだろうから。 YouTubeの本来のコンセプトは〝Broadcast Yourself〟であり、それは動画の投稿サイトを意味している。だが、スタートして7年が過ぎた今、そこが音楽ファンにとって、最高のプレイグラウンドであることに異議を唱える人はいないのではないだろうか。街からレコード店が姿を消し、レコード店で過ごす時間が減ってしまった分、僕は毎日のようにYouTubeで遊んでいると言ってもいい。

 となると、そんなリスナーに向けて、YouTubeこそを主戦場と考えるレーベルやアーティストが出てくるのも当然の流れではある。YouTubeでどんなミュージック・ヴィデオを流すかということが、アーティストの活動に重要な意味を持つ、という状況は、1980年代にMTVが登場した時のそれにも似ているかもしれない。

 ただし、現在のレコード会社には当時のようなパワーはない。1990年代には、プロモーション・ヴィデオを作るのに、アルバムのレコーディング予算を上回る予算が費やされることもざらだった。僕が経験した範囲で言えば、アルバムのレコーディング費用に1500万円、4曲のシングル曲がアルバムに含まれているので、1曲あたり500万円で制作したプロモーション・ヴィデオに合計2000万円といった予算は、1990年代のJ-POPではごく標準的なものだった。しかし、現在ではこんな予算を使えるのは、ごく限られたアーティストだけだろう。

 昨今、僕がよく聞いている音楽は、海外の音楽も日本の音楽も大半がインディペンデント・レーベルのものだ。となると、YouTubeを重要視すると言っても、ミュージック・ヴィデオの制作に1990年代のような豊潤な予算を注ぎこんでいるとは思えない。だが、YouTubeを見ていると、昨今のインディ・アーティストのヴィデオは十分にクォリティーが高く、メジャー・アーティストのそれよりもアイデアに富んでいて、むしろ見応えがあったりする。

 僕自身が関わった例を挙げれば、2009年にSOURという三人組が発表した「日々の音色」という曲がある。川村真治さんがディレクションしたこの曲のヴィデオは、SkypeとWebcamを駆使したアイデアで世界中を熱狂させ、Yotubeですでに400万アクセスを超えている。

http://www.youtube.com/watch?v=WfBlUQguvyw

 僕はこの曲のレコーディング・エンジニアを務めているのだが、自分が関わった曲がこれほど世界中の人々に聞かれたのは初めてではないかと思う。そして、それはYouTubeを主戦場とする昨今のミュージック・ヴィデオが、所謂プロモ・クリップの域にとどまらなくなったことを強く実感させる出来事でもあった。

 かつては、レコードを売るために、ヴィデオが作られた。だが、音楽が主で、映像が従という関係はもはや終わろうとしている。映像スタッフも表現者である、あるいは、YouTubeにおけるバンドとは、映像スタッフを含めたチームである、というような意識が、世界のあちこちで芽生えているのではないだろうか。思えば、最近の見応えのあるインディーズのヴィデオは、長い無音のエンドロールに大勢の映像スタッフのクレジットが流れることが多い。

 1年くらい前に、YouTubeで見つけた大好きなヴィデオには、ア・バンダ・マイス・ボニータ・ダ・シダーヂ(a bandamais bonita da cidade)というグループの〝Oração〟という曲がある。彼らはブラジルのパラナ州で活動するグループだが、日本ではほとんど存在も知られていないだろう。しかし、彼らのこの曲のヴィデオはYouTubeで1000万アクセスを超えている。

http://www.youtube.com/watch?v=QW0i1U4u0KE

 なぜ、ブラジルのローカルなグループのヴィデオにこれほどのアクセスが集まったかは、言葉で説明するよりも、YouTubeにアクセスして、映像を見てもらう方が早そうだ。ア・バンダ・マイス・ボニータ・ダ・シダーヂは本来は五人組であり、「祈り」を意味するこの〝Oração(オラサォン)〟という曲は彼らのデビュー・アルバムにも収録されているのだが、一軒の家の中で二十人以上のミュージシャンが交錯しながら、一つの曲を演奏するYouTube上の「オラサォン」はアルバムとは違う音源だ。すでに完成している音源に映像をつけたのではなくて、映像のコンセプトに従って、演奏が進められ、ミックスが凝らされている。だから、音源だけを聞いても、意味をなさないところがある。

 「オラサォン」のヴィデオは、パラナ州のリオ・ネグロにある築100年を越える一軒家で撮影されている。グループのソングライターであるレオ・フレサトが窓辺でポータブル・レコーダーを前に歌い始め、彼が階段を降りて行くと、次第にミュージシャンがそこに加わっていく。カメラは最後までノーカットのワンロール。一方で、サウンドはレア・フレサトのポータブル・レコーダーに加えて、家の中のあちこちに立てられたマイクからマルチトラックにレコーディングされていて、それを映像に合わせて、ミックスダウンしたようだ。その意味では、このヴィデオはレコーディング・スタジオでもコンサート・ホールでもない場所で音楽が奏でられる様を機知に富んだアイデアと周到なスタッフワークで見せてくれるヴィデオと言ってもいいだろう。 英語版ウィキペディアのa banda mais bonita da cidadeの項を見ると、この「オラサォン」のヴィデオには元ネタがあり、それは2007年にベイルートが制作した「ナント(Nantes)」のヴィデオだと書かれている。この「ナント(Nantes)」はベイルートの2007年のアルバム『ザ・フライング・クラブ・カップ』の収録曲で、国内版のCDにはボーナス・トラックとして、そのヴィデオも収録されていたが、見直してみると、確かによく似ている。

http://www.youtube.com/watch?v=hq2s0AhdFE4

 ベイルートが一人で歌いながら、階段を降りていくと、ミュージシャンがだんだんと加わっていく。オフィシャルのミュージック・ヴィデオではあるのだが、スタジオ・ヴァージョンに映像を付けるのではなく、サウンドもその場で録りなおしているところも共通する。 だが、実はこのベイルートの「ナント」のミュージック・ヴィデオにも、元ネタはある。というのは、「ナント」のヴィデオはオフィシャル版以前に、もう一本撮られているのだ。オフィシャル版は2007年の8月にブルックリンで撮影されたものだが、その一ヶ月前の2007年7月にパリで撮影されたヴィデオを以下のYouTubeで見ることができる。

Beirut | Nantes | ATake Away Show

http://www.youtube.com/watch?v=R781LDKOVJE

 こちらのヴィデオでは、ベイルートが歌いながら、パリの街を歩いて行く。歩いて行くと、次第にミュージシャンが加わっていく。ロケーションは違うがコンセプトは同じ。それもそのはず、この二本の「ナント」のヴィデオは、全く同じスタッフが制作したものだ。映像はヴィンセント・ムーン、録音はクライド(chryde)。二人はラ・ブロゴティーク(LaBlogtheque)という名のプロダクション・チームで、2006年から〝A Take Away Show〟というミュージック・ヴィデオのシリーズを作り続け、ネット上で公開していた。以下のウェブサイトには、過去の300本近いヴィデオがすべてアーカイヴされている。

http://en.blogotheque.net/serie/concert-a-emporter/

 ベイルートは2007年の7月に、その〝ATake Away Show〟の第64回に出演。ヴィンセント・ムーンとクライドの感覚と手法に惚れ込んで、彼らをブルックリンに呼んで、アルバム『ザ・フライング・クラブ・カップ』の全曲のミュージック・ヴィデオを制作させたのだ。 僕が先に書いた「YouTube以後のこの数年間に、世界の各地でじわじわと発酵しつつあったある種の感覚」というのは、まさしく、そのラ・ブロゴティークの〝A Take Away Show〟に端を発すると言っても良さそうだ。〝A Take Away Show〟は毎回、ミュージシャンをパリの街のどこかに連れ出して、演奏をさせる。ある種のフィールド・レコーディングと言ってもいいだろう。彼らが選んだ場所で、映像と音楽を同時に収録することに、ヴィンセント・ムーンとクライドが強いこだわりを注いでいるのは間違いない。ヴィンセント・ムーンのカメラワークだけでなく、決してカメラに映ることはないクライドのサウンド・エンジニアリングも、非常にレベルが高いものだ。

 2006年にスタートしたラ・ブロゴティークの〝ATake Away Show〟はほどなく、世界中に数多くのフォロワーを生み出した。2007年にスタートした〝Black Cab Sessions〟などは、〝A Take Away Show〟よりも有名になっているものかもしれない。この〝Black Cab Sessions〟では、ミュージシャンがロンドンの黒い箱形タクシーに乗って、街中を移動しながら、演奏する。

http://www.blackcabsessions.com/

http://www.npr.org/series/tiny-desk-concerts/

 この〝npr music tiny deskconcert〟は2008年から続いている。こうやって、振り返ってみると、2006年スタートの〝A Take Away Show〟をきっかけに、世界各地でミュージック・ヴィデオの新しいムーヴメントが起こり始めていたのが実感される。その多くは〝Sessions〟と呼ばれるシリーズになっている。

 〝Mahogany Sessions〟

http://www.themahoganyblog.com/sessions/

http://www.soul-kitchen.fr/category/soul-kitchen-session

http://dreamlandsessions.tumblr.com/

http://www.soundonthesound.com/video/doe-bay-sessions/

 ブラジルでもMúsica de Bolso( http://www.musicadebolso.com.br/ )というシリーズが2007年から続いているし、他にも幾つかのシリーズを見つけることができる。ア・バンダ・マイス・ボニータ・ダ・シダーヂも、そのあたりの感覚を身近にしてきたに違いなく、「オラサォン」のヴィデオに先駆けて撮っている〝canção pra não voltar〟のヴィデオでは、緑溢れる庭にメンバーが楽器を並べて演奏している。 街角や公園や海辺、オフィスやスーパーマーケットやアパートの一室などでミュージシャンが演奏するのには、当然ながら、数々の制限がつきまとう。多くはアンプラグドにならざるを得ない。これらの〝セッションズ系〟とも言うべきミュージック・ヴィデオの大半は、ギターの弾き語りだ。だが、ギターの弾き語りですら、収音は簡単ではない。周囲のあらゆるノイズが入り込む。そういう意味では、そこに聞ける音楽はアーティストがめざす「完成形」からは程遠いものだろう。

 しかし、2006年頃から世界中で無数の〝セッションズ系〟のミュージック・ヴィデオが制作され、気鋭のアーティスト達が風変わりな場所での演奏をインターネット上に公開している。〝A Take Away Show〟や〝Black CabSessions〟や〝npr music tiny deskconcert〟に登場するアーティスト達はまさに時代の顔というべきラインナップで、ウィルコもいればアニマル・コレクティヴもいる。ルーファス・ウェインライトもいればボン・イヴェールもいる。レコーディング作品では凝りに凝った音源を作り上げるアーティスト達が、わざわざ不自由な演奏をすることを楽しんでいる光景をそこには見ることができる。 レコードの登場以前、音楽の完成形はコンサート・ホールで披露されるものだった。だが、レコーディング技術の発達がその常識を覆した。レコードこそが、ライヴでは実現できないレベルの、アーティストの美学が最高度に昇華された「作品」であると。1960年代の終わりからポップ・ミュージックを聞き始めた僕などは、まさしく、そういう思想が世界を覆う時代を経験してきている。

 ところが、ふと気がついてみると、そんな音楽の完成形からは程遠い〝セッションズ系〟のミュージック・ヴィデオをYouTubeで探しまわっている自分がいた。それもまた、冒頭に書いた「レコード文化の黄金期〜名盤時代の終わりを感じさせる出来事」の一つかもしれない。その裏側にはコンサートやレコードに聞ける音楽の質が、ひどく画一化してしまったことがあるとも思われる。コンサートもレコードも、ミュージシャン以外の数多くのスタッフの仕事がなければ実現できない総合芸術であり、そのシステムが複雑化すればするほど、ルーティンを踏まねばならなくなる。とりわけ、CD以降のデジタル化されたレコードにおいては、同じソフトウェアを使って、同じ規格のメディアに音楽を詰め込むということが、世界中で行われている。違う国の、全く違うジャンルの音楽でも、なぜか、CDでは同じような音がするのは、マスタリングという行程で、規格通りの完成形に仕上げられるからだ。

 〝セッションズ系〟のミュージック・ヴィデオがフレッシュに感じられるのは、そうしたシステムから遠く外れたところにある表現だからだろう。〝A Take Away Show〟を始めたヴィンセント・ムーンとクライド(ラ・ブロゴティーク)は、たぶん、コンサート・ホールやレコーディング・スタジオのような非日常的な場所で奏でられる音楽が抱える閉塞感に意識的で、だからこそ、違う何かを探し当てたのではないだろうか。音楽はありとあらゆる場所で、人々の日常の空気の中で、奏でられていいはずだ。彼らのミュージック・ヴィデオはそう語りかけているようにも感じられる。

 例えば、〝A Take Away Show〟の初期の傑作に、セント・ヴィンセントの「マリー・ミー」がある。この曲がローラ・ニーロの「ウェディング・ベル・ブルーズ」に匹敵する名曲だと気づいた(どちらも女性が特定の男性の名前を挙げて〝Marry Me〟と歌う曲だ)のは、セント・ヴィンセントがパリのアパルトマンのベッドに寝そべって、ギターをつまびきながら歌うヴィデオを見た時だった。オーヴァーレベルで声が歪んだりするところがあるものの、この〝A Take Away Show〟のヴァージョンは、数多くの楽器が端正にアレンジされたアルバム・ヴァージョンよりもはるかに魅力的だ。

http://www.youtube.com/watch?v=XmZmTfINP48

http://www.youtube.com/watch?v=vq8ZhG88u-g

 もっとも、「レコード」の本来の意味に立ち返れば、そんな〝セッションズ系〟のミュージック・ヴィデオも、まさしくレコードそのものであるとは言える。ある日の、ある場所での、誰かの生々しい演奏をそのまま、そこに記しているのだから。ビーチ・ボーイズの『スマイル・セッションズ』が図らずも体現してしまった「レコード=記録」という原点回帰と同質のものが、そこにあると言ってもいい。

 ア・バンダ・マイス・ボニータ・ダ・シダーヂの「オラサォン」のヴィデオは、そんな〝セッションズ系〟のミュージック・ヴィデオの進化形を探ったものだろう。ラ・ブロゴティークの思想を引き継ぎつつも、プロダクションはより複雑なものになっている。それはアーティスト自身がYouTubeこそを世界中のリスナーと触れ合うための、活動の主戦場と見定めているからのように思われる。インターネットとの関わりが、ミュージシャンをコンサート・ホールやレコーディング・スタジオのルーティンから解放する。そんな光景を僕は歓喜溢れる「オラサォン」のヴィデオの中に象徴的に見たりもする。

 ア・バンダ・マイス・ボニータ・ダ・シダーヂのように、ミュージック・ヴィデオに注力し、アルバムはフリーダウンロードで配布するというのは、昨今のバンドにしばしば見られる活動形態でもある。「オラサォン」のヴィデオを見た1000万人のうちの100人に一人がアルバムをダウンロードしたとしても、10万人に彼らのアルバムは届いたことになる。となると、2009年に結成されたグループの初動としては十分な成果であり、ブラジル国内、あるいは国外でのライヴ活動もたやすくなったはずだろう。

 レコードの黄金時代を経験したアーティストには、そんなYouTube世代の感覚は理解しにくいものかもしれない。実際、〝セッションズ系〟のミュージック・ヴィデオに登場するのは、2000年代になってデビューしたアーティストが主であり、それ以前から活動するビッグ・アーティストが出演することは稀だ。しかし、その例外の一人にブライアン・ウィルソンがいる。2009年にブライアンは〝Black Cab Sessions〟に登場しているのだ。同年9月のロンドン公演のリハーサルの合間を縫っての撮影だったのではないかと思われるが、ワンダーミンツのメンバー二人とともにタクシーに乗り込んだブライアンは、予定されていた「ザット・ラッキー・オールド・サン」だけでなく、「カリフォルニア・ガールズ」まで披露する。僕がこのヴィデオを発見したのは、今年の夏になってからだったのだが、そこでの陽気なセッションは、神経症のアーティストというブライアンのパブリック・イメージを見事に塗り替えるものだった。

http://www.youtube.com/watch?v=YJvUaGnB_Eg

 ただ、〝Black Cab Sessions〟の中でもブライアンのそれは、なぜかアクセス数が少ない。2009年にYouTubeにアップロードされているのに、現時点でようやく1000アクセスを超えたくらいだ。どんな未発表音源でも聞きたいというファンが世界中にいるはずのブライアン・ウィルソンのレアな音源だというのに…。〝セッションズ系〟のミュージック・ヴィデオはやはり、ある世代にしか受け入れられないものなのかもしれない。

 しかし、僕は思いめぐらさずにはいられないのだ。あのブライアン・ウィルソンが〝Black Cab Sessions〟に出演し、『スマイル・セッションズ』の発売を許可したことの意味を。何かが終わる時には、何かが始まっている。狭いブラック・キャブの中に響くブライアン達の笑い声に、僕はほのかな希望を聞き取ってもいるのだった。「完成品の音楽」にまつわる呪縛は解けようとしているのではないだろうか。そして、レコードの時代は終わり、また始まろうとしているのではないだろうか。

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