アントニオ・ロウレイロそしてティグラン・ハマシアン

(2014年10月)

 職業柄、新人の音楽家に触れる機会は多いとはいえ、アントニオ・ロウレイロのような出会い方をしたケースは過去にもあまり記憶にない。知らないアーティストの音楽を聞いて、これは凄い!と思うことはあっても、ほとんどの場合、そこには誰かの「推し」が作用しているものだからだ。雑誌やラジオなどを通じて知る場合はもちろんのこと、レコードショップでジャケット買いであっても、レコード店のバイヤーやレーベルのA&Rや様々な人の「推し」に導かれて、僕はそれを手にしていることを知っている。

 ところが、アントニオ・ロウレイロの場合は、そうした誰かの評価を手がかりにしたところが全くなかった。僕が彼の音楽に出会ったのは2010年の春頃。ヘナート・モタのmyspaceの友人欄から、ミナスの若い音楽家を辿っていったのがきっかけで、ハファエル・マルティニに始まり、一夜のうちにアントニオ・ロウレイロ、クリストフ・シウヴァ、アレシャンドリ・アンドレスを相次いで見つけたので、その驚きたるや、大変なものだった。

 アントニオ・ロウレイロがデビュー・アルバム『Antonio Loureiro』を発表したのは、その少し前の2010年の2月だった。CDはすぐには手に入らなかったが、emusicでダウンロード販売されていたので、僕はそれを購入した。

 『Antonio Loureiro』は当時23歳だった彼が、自費で作り上げたレコーディング作品だった。本誌2013年1月号のインタヴューによれば、レーベルもディストリビューターもなく、発売記念のコンサートも行わなかったという。ブラジル本国でもまったくと言っていいほど話題にはならない作品だったので、英語や日本語で語られたテキストは皆無だった。しかし、そのアルバムこそは、これからのブラジル音楽の鍵を握る、新しいクラシックとも言うべき作品だと僕は確信した。

 評論家にとって、最もリスキーであり、それゆえ最もスリリングであるのは、新人の処女作を、これは古典である、と宣言することだと思う。2010年の終わり、僕はそのチャンスを手にした。

 その後のことは、すでに読者の知るところかもしれない。僕が年間のベストワンと推した『Antonio Loureiro』は、こと日本では多くのリスナーを獲得することになった。盟友のクリストフ・シウヴァやハファエル・マルティニやアレシャンドリ・アンドレスへの注目も高まり、ミナスの新世代がメディアを賑わすようにもなった。2012年にはセカンド・アルバムの『SO』がNRTから日本発売。2013年には初来日。三十数年間、音楽批評をやってきた中でも、こん出来事はあまり経験したことがない。

 そして、この2014年に、僕は二枚のアントニオ・ロウレイロのアルバムを手にしている。一枚はロウレイロとヴァイオリン奏者のヒカルド・ヘルスとのデュオ作、『Herz & Loureiro』、一枚はライヴ・アルバムの『In Tokyo』である。

 アンドレ・メマーリにプロデューサーに迎えた『Herz & Loureiro』では、ロウレイロは彼がこなす楽器の中でも最も専門性の高いヴィブラフォンだけを演奏している。内容的には、クラシック作品と呼んでも良さそうなインストゥルメンタル集だが、ロウレイロのヴィブラフォンにはウアクチの音楽を連想させる部分もあり、打楽器と鍵盤楽器を分け隔てなく扱うロウレイロの感覚にあらためて思い至ったりする。

 もう一枚の『In Tokyo』は、2013年8月29日の渋谷WWWでの公演を収めたライヴ・アルバムだ。この日、ロウレイロは、芳垣安洋(ドラムス)、鈴木正人(ベース)、佐藤芳明(アコーディオン)の3人を共演者に、一夜限りのバンド編成でのライヴを行った。もちろん、僕もその場には居合わせている。

 三人の共演者はそれぞれが幅広い音楽をカヴァーする演奏家だ。ジャズ畑に片足は置くものの、ジャズ・ミュージシャンの枠には到底、収まらない。また、ブラジル音楽との関係は特に強い訳ではない。しかし、これ以上ありえない、絶妙な人選だったことは、『In Tokyo』に収められた驚くべき演奏を聞けば、誰の耳にも明らかだろう。

 冒頭の「Livere」はコンピレーション中の1曲として、ロウレイロのエレクトリック・ピアノ弾き語りでの録音がある曲だが、芳垣安洋のスネア・ロールを多用した自由なドラミングと鈴木正人の深く沈みこむようなエレクトリック・ベースを携えた『In Tokyo』でのそれははるかに曲のスケールを増し、ロウレイロ自身が演奏しながら、新しい情感や遊び心を強く刺激されているのが分かったりもする。

 収録曲はその「Livere」と新曲の「Intensidade」、そして、ミルトン・ナシメント〜ロー・ボルジェスの蜜月期の作品として名高い「Tudo Que Voce Podia Ser」を除く6曲が、セカンド・アルバムの『SO』の再演だ。この6曲をあらためてスタジオ録音と聞き比べてみるのも面白い。マルチ・プレイヤーであるロウレイロは、スタジオでは様々な楽器を自らオーヴァーダブしているが、『In Tokyo』では一人のピアニスト/ヴォーカリストとしてライヴに臨んでいる。そこでの一発勝負的なテンションは『SO』にはないものだ。芳垣、鈴木、佐藤の演奏も、手堅いサポートというようなものではなく、むしろ手数は多く、終盤の4曲では狂おしいまでの展開をする。とりわけ、不協なアンサンブルにも躊躇なく挑む佐藤のアコーディオンには、ロウレイロの音楽を別宇宙に連れ去ってしまうかのような力がある。

 結果、『IN TOKYO』というライヴ・アルバムは、ブラジル音楽らしさという点では音色やニュアンスに欠ける部分もあるものの、その分、ロウレイロの音楽が持っている無国籍性や同時代性を強く浮かび上がらせている。これは一年前のライヴ会場では、あまり意識しなかったことだった。

 という話の運びになると、登場させない訳にはいかない一人のミュージシャンがいる。先頃、来日公演を行ったばかりのティグラン・ハマシアンだ。ティグランはアルメニア出身で、現在はロスアンジェルスを拠点にして活動するピアニスト。昨年の暮れに発表した『Shadow Theater』は僕がここ一年で最もよく聞いているアルバムの一つだが、9月の終わりに観たライヴの衝撃力はそれをはるかに超えるものだった。と同時に、彼のライヴを観て、僕はティグラン・ハマシアンとアントニオ・ロウレイロという、ともに1987年生まれの二人のミュージシャンの間にある糸を意識しない訳にはいかなくなった。

 実は、アントニオ・ロウレイロは2012年の時点で、ティグラン・ハマシアンからの影響を公言している。本誌2013年1月号のインタヴューの中で、影響を受けている作曲家の一人としてティグランの名を挙げているのだ。

 そう言われてみると、頷ける音楽的な瞬間は幾つもある。セカンド・アルバムの『SO』を特徴付ける要素の一つに、幾何学的ともいうべきピアノ・リフがあるが、それはティグランのピアニストとしてのトレードマークでもある。例えば、『SO』の冒頭の「Pelas Águas」とティグランの2009年作『Red Hail』の冒頭の「Shogher Jan」はどちらもそんなピアノ・リフから始まる。あるいは、その「Pelas Águas」の中間部のリズム展開は、ティグランがカルテットに参加しているドラマーのアリ・ホーニグのアルバム『Lines of oppression』のそれによく似ている。

 たぶん、ロウレイロはまずドラマーとしてアリ・ホーニグに影響を受ける中で、彼のピアニストであるティグラン・ハマシアンに出会ったのではないかと想像される。アリ・ホーニグはドラムセットを非常にメロディックに演奏することで知られるジャズ・ドラマーだが、ヴィブラフォンを本職とするロウレイロのドラムも同様の傾向を持つ。『SO』の中では「Lindeza」のイントロのドラムに顕著だが、それは音色も含めて、アリ・ホーニグのスタイルからの影響を感じさせる。そして、その曲の後半の歪んだエレクトリック・ピアノを使った畳み掛けるようなヘヴィ・ロック的なリフは、ティグランの得意技でもある。

 ちなみに、ティグランはティグランで、そうしたリフ作りにおいて、スウェーデンのプログレッシヴなメタル・バンド、メシュガーに強い影響を受けていることを認めている。ということは、ティグランを経由して、ロウレイロの音楽の中にも北欧メタルの影響が流れ込んでいると考えられる訳で、本当に面白い。

 9月の来日公演で観たティグランのトリオ編成のライヴは、ジャズ的な要素は驚くほど希薄な一方で、ヘヴィ・ロック〜プログレッシヴ・ロック〜ポスト・ロック的な要素や、エレクトニカ〜ダブステップ〜LAビーツ的な要素は満載だった。が、その複雑怪奇な演奏が抽象的な表現だけに終わらないのは、ベタと言ってもいいほどのアルメニアン・メロディーが浮かび上がる瞬間があるからだったが、その構造もロウレイロの音楽と共通するものに思われた。ロウレイロの場合は、そこにあるのはミナス的なメロディーであり、彼の歌声はよりシンガー・ソングライター的な表現力に富んだものでもあるが。

 

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