なにものかになりたい病とSDGs教の司祭たちの巧みな精神支配について 1
「なにものかになりたい」という想いは、現代社会システムOSの上で生きる私たち誰しもにとって、少なからず心のうちに秘められている。
これは、一見すると、悪いことでもないし、存在理由を求めようとするのは一種の人間の特性でもあるのだから、仕方のないことだ、と考えている人も多いようだ。 確かにそのような面もある。しかし、わたしたちの本質的な特性に近いものだからこそ、まさしくここを、現代の社会システムの運営を司る「司祭たち」によって、見事に突かれ、わたしたちの多くは精神のレイヤーで支