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二条城の話

世界遺産・二条城。大政奉還が行われた場所で、江戸幕府終焉の地としても有名です。

しかし、この二条城。実は江戸幕府「始まりの地」でもあるのです。

徳川家康の征夷大将軍任官

「征夷大将軍」=武家の棟梁として朝廷から認められることであり、鎌倉以降、実質、日本の統治者として認められ、中世〜近世にかけて重要な役職とされてきました。

江戸幕府を開いた徳川家康も、もちろん、この「征夷大将軍」に任官されています。

家康が江戸に幕府を開いたので、征夷大将軍の任官式も当然のながら「江戸」で行われたと思われがちですが、実は、この任官式は「京都」で行われています。

二条城の役割

慶長8年(1603)家康は「征夷大将軍」に任官される旨の「宣旨」(天皇の言葉を下に伝えること)を京都・伏見城で受けます。

その後、室町幕府時代からの慣例となっていた「拝賀の礼」を行うため、御所に参内し朝廷に挨拶をした後、2月27日、できたばかりの二条城で武家や公家を呼び「征夷大将軍任官祝賀会」を開きました。

以降、三代将軍・家光に至るまで、将軍は、征夷大将軍の任官のため、江戸から京に上り、朝廷に挨拶をしています。その時の京における宿所として「二条城」が使われました。

大政奉還

それから、約250年後の1867年。15代将軍・徳川慶喜は、この二条城で大政奉還を行い、江戸幕府の終焉を迎えます。

奇しくも、江戸幕府始まりの地で、その命を終える。
偶然なのか、もしくは「必然」だったのか?
改めて、歴史の面白さを感じます。

徳川慶喜
将軍在位期間は約一年でした。最後の将軍として有名ですが、
彼は「将軍」の間、一度も江戸城に入ることはなく、京都で政務を行いました。
それだけ、幕末の政局は、京に移っていたということだと思います。

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