「そのメディアのこと好きだけど、意外と記事を読まない問題」について考える
おととい、こんなツイートをしました。
そしたら、知り合いのメディア編集長の方から、こんな引用リツイートが。
どうやら、ぼくや、ぼくと一緒にご飯を食べた門太郎さんだけの話ではなかったようです。
そうなると、より一層本腰を入れてこの問題について考えなければなりません。
そう、「そのメディアの思想は好きだけど、意外と記事は読まない問題」。
いったい、どうしてそんな問題が発生するのでしょうか。
ぼく自身も、この問題の加担者として思い当たる節がないわけではなかったので、ぼくの気持ちを参考にしながら考えてみました。
原因①そもそも読んでいる記事が少ない
ぼく、流し読みではなくてちゃんとちゃんと読んだ記事はメモして、後からブログの引用とかに使えるようにしてるんですね。
それで数えてみたら、1日に気合入れて読む記事って、10行くか行かない程度でした。
もちろん、タイトルだけとか、中身の流し読みなんかと入れると、もう少し多いとは思うんですが.......
数字として可視化させると、ぼくって、思ったより記事を読んでないんだなと。
しかも、ネットニュースを読んでる量だと、ぼく世間ではたぶん半分より上にはいるので、それでデイリー10本って、メディアの好き嫌いに関わらず、そもそも読んでいる記事の絶対量が意外と少ないって理由が考えられます。
原因②重めのテーマの記事は、クリックするのが億劫
この「メディア自体は素晴らしいと思うけど、記事は読まない」事象について、心理学的な観点から考察してみます。
ぼく、すこし前に『誰もが嘘をついている』という本を読んだんですね。
そのなかで、ネットフリックスのとある事例が紹介されていました。
それは、みんな映画の「あとで見る」欄みたいなところには、戦争ものや白黒ものなど、けっこう崇高な映画をバンバン入れていくんだけど、実際に観賞されるのは、コメディや恋愛映画だったという話です。
この現象、記事の話でも言えますよね。
「このメディア、素敵な理念をもってやってるなあ」と思ってはいるけど、実際にみんなが読むのは、芸能人のゴシップだったりするみたいな。
心の中で、「こんな素敵なメディアを素敵だと思ってるおれ、イケてる」のとこで酔って終わってしまっているのかもしれません。
あと、重めのテーマの記事や映画って、見るのに心の準備がいる感じがありますよね。
「いまはちょっとバタバタしてるから、あとで落ち着いたら見よう」って。
そして、その「あと」は、永遠にやってこないのです.......
原因③そのメディアから受け取っている価値は「思想」で、「コンテンツ」ではない
これ、多くのひとに当てはまるなら、かなり皮肉な状況かもしれないんですけど、思想がしっかりしているメディアほど、どんな記事でも根底には同じメッセージが流れてるじゃないですか。
だから、最初にいくつか記事を読んで「ああ、このメディアいいなあ」と思ったあとは、それ以降にタイムラインでそのメディアの記事が流れてきても、ある程度「こういう記事なんだろうなあ」というのが予想できてしまうので、記事を読む意義が見出されづらいのかもしれません。
たとえば、アンパンマンって、みんなその名前は知ってて、「まあ面白いよね」くらいには少なくとも思ってると思うんですけど、実際に放送されているうちの、何話を観たことありますかって話です。
大した数を観てないのに、アンパンマンの話がだいたい分かるというのは、アンパンマンが毎回パターンが決まってて、「どんな世界観か」「そこにはどんなメッセ―ジが内包されてるのか」が、かなり強固にあると思うからなんです。
それで、みんなアンパンマンっていえば、だいたい同じイメージを共有してて、「いいアニメだよね」とはなるけど、実際のところ何話観たことあるのだろうかという話です。
嘆きで終わらせず、解決策を考える
一概には言えないですが、たぶん、みんながクリックしづらい重いテーマの記事のほうが、社長の年収とか芸能人の不倫の記事なんかよりも、今後の10年20年を考えたら、絶対に価値のある情報です。(自戒の念を込めて)
ぼく自身は、今後も意志をもって、できる限り目先の利益にとらわれた記事だけでなく、もっと自分の考え方の根本を揺るがすくらいの重厚な記事も、どんどんと読んでいく所存です。
ただ、情報発信や表現のことが好きなぼくでさえ、今日の問題に思い当たる節があるわけで、世の中全体をどうにかするなら、「意志」だけでなく「仕組み」の観点からこの話を考える必要があります。
「仕組み」を根本的にリデザインすることによって、本当に価値ある情報発信や表現をしているメディアが、報われるようにしなければなりません。
上で上げた原因①②③については、①「記事数がそもそも少ない」は、これはもうみんながいいコンテンツを量産しまくって、パイを大きくしていくしかありません。
一人だけが出し抜けするというより、「仕組み」の話をするなら、パイを大きくする議論のほうが健全な気がします。
②の億劫と③の「思想」については、仕組み云々というよりも、コンテンツの中身の工夫の話になってくるのかなと思っています。
(ポップなデザインを使ってみるとか、毎回切り口を少し変えてみるとか、導入を読者が入り込んでいきやすいように工夫するなど.......)
今日は、どっちかというともう少し大きな仕組みのほうを考えていきます。
具体的にどうするのか
「リデザイン」するというと大層な話に聞こえますが、今回の場合は、言い換えると「意志と行動が一致するように動線を設計する」ということです。
結論からいうと、月並みな感じになってしまって申し訳ないのですが、「月額課金」というのは、やはりひとつ有力な手だなと思っています。
「そのメディアを応援したい!」の想いを、いかに具体的なアクションに自然な流れでつなげてもらうか。
上のツイ―トにも書いてるんですけど、いくら好きで応援してると言っても、人間には気分や調子ってものがあるので、応援したいメディアの記事がタイムラインに流れてきても、そのときにたまた気分が乗らないときだったら、スルーされてしまうかもしれません。
そうやっていちいち読者に意志決定を要求していたら、メディア側の運営が不安定なものになってしまいます。
定額課金制にすることによって、読者に意思決定を委ねる場面を極力少なくし、かつ「お金を払っているし!」という心理的な理由で、記事自体も読んでもらえる可能性がグンと高まります。
寄付制か会員のみ閲覧可か
定額課金といっても、大きく分けると2パターンあります。
1つは、寄付制。
記事は誰でも無料で読めて、寄付したい人だけ、寄付してもらう形です。
2つ目は、会員のみ閲覧可制す。
つまり、定額課金をしている人しか、記事を読めないパターンです。
世の中的には、こっちのほうが多いかもしれないですね。
これ、どっちがいいとか悪とかはなくて、目的によって多少変わってくるかな思っています。
つまり、メディアの方針に賛成してくれた人だけ、お金を払って記事を読める②パターンのほうが、心地はいいかもしれません。
無料で記事を読んだクソリプラーが飛んでこないので。
ただ、逆に読んでもらえる人の母数も少なくなるので、多くの人に届けたい情報の場合、数が限られてしまうのは、なんだか勿体ない気もします。
一方で、①の寄付制の場合、記事が広がる可能性は無限大にあります。
ただ、そこは等価交換というか、広がれば広がるほど、理解ない人に記事が届いてしまう懸念も大いにあります。
繰り返しになりますが、そこは目的しだいですね。
ぼくはメディアが大好きだ
ぼく、「好きだな」と思うメディアがたくさんあるんですね。
というか、程度の差はあれど、なんらかの意志をもって表現なり情報発信しているメディアのことは、みんな好きです。
好きすぎて、ヤフーやライブドアなどのキュレーションメディア経由で出会った記事は、タイトルをコピペしてググって、転載元のサイトで読み直します。
たとえ1PVでもいいから、転載元メディアの役に立ちたくて。
これが貢献の形として合ってるのかわからないし、別にヤフーニュースやライブドアニュースのことが嫌いなわけではないですが、時間やお金をかけてコンテンツを作った人が少しでも報われてほしくて、こんな時間浪費の仕方をしています。
情報が世の中を動かすことは往々にしてあるし、表現が人のこころを豊かにすることなんて、もう日常茶飯事です。
それくらい大切なものだから、価値ある情報発信や表現をしているメディアには、なんとかその対価を受け取って、活動を続けてほしい。
このnoteではとりあえず「定額課金」を一つの案として提案しましたが、実際そんな簡単に定額課金なんてしてもらえるものではないし、これが正解だとも思ってません。
今日明日で簡単に解決されるような、そんな生易しい話ではないのです。
だからこそ、ぼくは今日もメディアのことについて考え続けます。
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