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ぼくが好きなブログの共通点

ぼくの大好きなブログはいくつかあるんですが、具体名を挙げると、ちきりんさん、最所さん、鳥井さんなどです。

他にもまだ何人かいるんですが、どうしてこのお三方の具体名を挙げたかというと、この方たちのブログには、とある共通点があるからです。

それは、「ブログ中に、自分のブログを引用している場面が多い」ということです。

この感じが、書けば書くほどにそのひとの思考や思想が肉付けされていくようで、好きなんですよね〜。

だからもちろん、ぼく自身も毎日このnoteを書くなかで、できる限りじぶんの過去のnoteやブログを引用として使おうと思っています。

ただ、そんなことを書く今日に限って、このあとの展開を考えると、いまのところ引用するnoteのメドが立っていないので、なんとも説得力のないnoteになる可能性もあります。

「思想や思考が肉付けされていく」感覚について、もうすこし詳しく話します。

引用が多いっていうのはつまり、「思考の軸がある」っていうことなんですよね。

連綿と続くそのひとの思考の軸があるからこそ、新しい文章を書くときには、前に書いた内容を引っ張りだしてくる必要があるんです。

こうしてつながればつながるほどに、その思考は深くなります。

ただ、これは決して「常に一貫した結論を持っていろ」ということでは、決してありません。

そのひとが経験したことや、その他なんらかのインプットなどによって、もちろん持論が変わる場合もあります。

というかむしろ、これだけ変化の激しく先の見えない時代に、ずっと同じ考えを持ち続けることのほうが難しいです。

ただ、そうやって仮に新しい持論を持ち出す場合でも、「考え方」がつながっていれば、必然と前の持論は「過程」として引用されるはずなんです。

「前はこういうふうに思っていたけど、ここのこういう箇所はこういう経験を通して、こういう考えもあるんじゃないかと思うようになった」と言おうとすれば、前の考えを引用せざるをえません。

逆に、なんの思考もなしに「やっぱりこっちのほうがいいと思った―」などと安易に世の言説に振り回されていれば、そこに残るのは「支離滅裂な受け売りの羅列」です。

また、ただ単に思考を深めたり、逆に結論を変えるだけじゃありません。

そのひとに「思考の軸」があるならば、その軸からいろんな方向に思考を派生させることもできます。

例えば、そのひとの「経営」についての持論が、もし「思考の軸」をもって形成されているものなら、その持論は「キャリア」や「社会問題」に転用させることが可能だということです。

つまり、どんな事象を考えるにしても、出発点やアプローチは常に自身の思考の軸なので、なにについて書こうが、以前の内容を引用するのです。

「Aの問いとBの問いは、実は構造が同じで、Aの問いについて以前じぶんはこういうブログを書いていて、つまりBは......」という感じです。

そして、この「思考の軸」をベースに、様々なところにそれを派生させていくと、派生させていった同士でも、引用したりされたりする関係になります。

根っこの本質のところは、すべて同じなので。

すると、結果的にどうなるかというと、そのブログのアーカイブが、ネットワーク上につながって、そのひとの「もうひとつの脳」のような感じになります。

そして、これを別名では「思想」といいます。

つまり、過去ブログの引用が多いブログは、すごく深い思考(=考察)をもっているし、そのひとの持論の羅列ではなく、すごく汎用性の高い「思想」を得ることができるんですね。

だからぼくは、過去ブログの引用が多いブログが好きなんだと思います。

「嫌いなものについて」語るのはそのひとを浮かび上がらせますが、やっぱり「好きなもについて」語るほうが、みんながハッピーになっていいですね。

参考:「なにを好きか」ではなく「なにを嫌いか」が、思想を彫刻する

よかった、引用するブログがあって。

よりによって、なんか書いてるようでなんも書いてないブログですが........

最後に、ぼくが今日挙げたブログのURLを貼っておきます。

どのブログも、ぼくの思考や思想におおきな影響を与えてくれています。


★行動することと同じくらい、思考することも大事なので、「走りながら考える」ことが大事


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