みんなが欲しいと思ってるその発信力、手に入れてどうするの?
昨日の続き。
昨日は、「インバウンドマーケティングは善なのか?」ということについて書いた。
今日はそれに関連して、「発信力をつけたその先で」というテーマで書く。
「個の発信力」の重要性が叫ばれて久しい。
たぶんこのnoteを読んでくれてるようなひとは、全員、発信力や影響力をできるものならばもちたいなと思っていると思う。
もちろんぼくも、そのひとりだ。
ただ、もう言い古されている言説ではなるけれど、「発信力をもつこと」は、手段であって決して目的ではない。大事なのは、手に入れた発信力を使って「なにをするか」だ。
ぼくは最初、そのことをちきりんさんから学んだ。
冒頭のツイートに書いているのだけど、おそらくちきりんさんの書いた本かなにかで、「発信力を手に入れた先で求めるのは、ひとに会いたい!って言われるひとor会いたいひとに会えるひと、のどちらですか?」というようなことが書いてあった。
ぼくは2~3年前くらいに初めてこの言葉に出会ったとき、よく意味がわからなかった。
いまおもえばそれは、当時は「発信力」自体が目的化していたからだったんだろうなと思う。
このちきりんさんの問いに出会って以来、その真意について考え続けているのだけど、いまだに明確な答えにはたどり着いていない。
けれども、少しづつ近づいてるという実感もあって、とりあえず「ぼくは発信力を手に入れて会いたいひとに会えるひとになりたい!」という、二者択一のフェーズはクリアした。
.......と、ここまで書いてようやく、昨日の「インバウンドマーケティングは善なのか?」というテーマと結びつく。
結論からいうと、「ひとに会いたいといわれるひと」がインバウンド的な動きで、「会いたいひとに会える」のがアウトバウンド的だ。
そしてぼくは、後者であることを渇望する。
その理由にあたるロジックついては、昨日のnoteに詳細を書いたので、興味あるひとはそっちをのぞいてください。
今日は、アウトバウンド的思想の弱点について書く。
アウトバウンド的思想の弱点
こちらも結論からいうと、「スケールしづらい」。
ほかにもあるかもしれんけど、現時点でぼくが思いつく最大の弱点は、スケールしづらいことだ。
要はこの思想は、ものすごく労働集約型なのだ。
「自分の好きなひとと仕事をしたい!」という思いは、「自分が前線にたってプレイヤーバリバリで稼働する」ことと、同義だと思っている。
別に自分が前線に立たないのなら、悪い言い方をすれば、「来る人拒まず」な感じで、会いたいと言ってきてくれるひとのなかから、相対的に好きなひとを選べばいい。
そっちのほうが楽だし、スケールしやすい。
会いたいと言ってくれたひとのなかから選ぶという構造は、必然的に「お互い一緒に仕事をしたい度」が、会いたいと言った側のほうが相対的に低くなりがちである。
自分で言うのもなんだけど、「会いたいひとに会えるひとになりたい!」タイプのひとは、めちゃくちゃ悪い言い方をすれば、あとこの「妥協」が許せないだと思う。
そして、これはぼくの完全な偏見だけど、この「会いたいひとに会いたい」タイプは、メディアをやってるひとに多い気がする。
違うよ!と言われたらそれまでなので具体名は控えるけど、少なくとも、ちきりんさんはこっちのタイプだとご自身でおっしゃられてた気がする。
ただ、まだここらへんはぼくの考えが整理しきれてない部分であるし、なんか潔癖主義すぎて違うなという感じがないわけでもないので、異論・反論はめちゃくちゃ受け付ける。
というのも、たぶん、この考え方が行き着くところまでいくと、ビジネスするときにキャッシュポイントを発生させられなくなってしまう、と思う。
「お金」って、基本的には信用が低いところから高いところに流れていく。そして、「自分が会いたい!=信用が高い」ひととばかり仕事していると、自分のところにお金が流れてこない。
ただ一方で、たぶんいまビジネスの前線を走っているひとたちはぼくのこういう葛藤は何段階も前に解決してるはずで、これまたまだぼくの考えがまとまってない部分ではあるのだけど、そういうひとたちは、お金を「(一方通行に)流れるもの」ではなく、「循環するもの」と捉えているんだろうな−と思う。
ここらへんの感覚がぼくにはまだ染み付ききっていないので、どうにかここらへんの感覚と、「会いたいひとに会えるひとになりたい!」思想の融合を、うまいことはかっていきたい。
★あと最近ほかに考えてること
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