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「相手の気持ち」を考える

いま、会社のとある同僚に、ライティングを教えている。

我ながら、ぼくみたいなひよっこライターが『教える』なんて、おこがましいなとは思いつつも、『伝える』も『共有する』も『フィードバックする』もなんか違う気がするから、やっぱりぼくは『教えている』。

それでまあ、見せてくれた文章を読んでいると、やはりチョコチョコと目につくところがある。


そこでつい、勢いで『ここはこういう表現にしたほうがいい!』とか『こういう構成にするべき!』とかなんて、断定に近い形でコメントしてしまう。

ただ、それじゃあんまりその子のためにならないなーと、やりながら気づいた。

まったく役に立たないわけではないけど、吸収効率は絶対に良くない。


代わりにできるだけ『どうしてこういう表現にしたの?』とか『この言葉を選んだ理由は』とか、その子の”意図”をまずは聞くように心がけている。

全部でそれをやってたら時間がどれだけあっても足りないのと、どうしてもこっちが(ぼくなりの)答えを言ってしまったほうが手っ取り早いから、毎回のフィードバックでそれをやるわけではないのだけど。

でもできるだけ、時間とぼくの忍耐力が許す限り、『どうして?』を聞くようにしている。


これは『それで相手が考えるようになるから』というちょっとマネジメント論っぽい理由というよりは(もちろんそれもあるのだけど)、もうちょっと他のところに目的がある。

要は『ダメ出しに不満を持ってもらいたくないから』という(ぼく側のメリットも含んだ)理由のほうが大きい。


一応『教えている側』と『教えられてる側』という関係上、ぼくが少し強めに『こうしたほうがいい!』と言えば、大抵そのまま通る。

というか、たぶん全部通る。


でも、ぼくにとっては『それよりもこっちのほうがいい!』と思った『それ』だって、その子なりに『それがいい!』と思ってその選択肢を選んだはずなのだ。

たまに『いや、理由はない!』と返ってくることもあるので、それは純粋に『意図を持てよ!』案件なのだけど、大抵の場合、相手には相手なりの理屈がある。


例えばそこでぼくが『こうしたほうがいい!』と言って、『いや、私はこういう理由でこの案にしたんだ!』と言い返してきくれる子ならいいけど、そうじゃない人もたくさんいるはず。

(ちなみに、いまぼくが教えている子はそれなりに言ってきてくれる子なのだけど、もしかしたら口に出している以上に実はいろいろと思っていることがあるかもしれない)

そのとき、表面上では『わかりました!』なんて言いつつも、相手は胸のうちでは『全然私のことをわかってないな』と思ってる場合も少なくない。

だったら教える側としては直接言ってきてくれよ!ディスカッションしようぜ!という気持ちなのだけど(というか逆にぼくが教えてもらう側のときに、全然ぼくの意図を汲み取ろうとしないままフィードバックしてきたな、そしてここは絶対に譲れないポイントだなと思ったときは、『ぼくはこういう意図でこうしたんですけど...』と伝えるようにしている)、そうは問屋が卸さない。


表面上では受け入れたフリをしつつも、実際のところ全然刺さってないなんて、相手はもちろん、時間と労力を割いたこっちにとっても悲しいことだから、それだったら『どうして?』というお膳立てをする。

そこからまず相手の意図を聞いたうえで、こちらのフィードバックの意図とのすり合わせをする。

それだけでだいぶ、染み込み度が違ってくるのではないだろうか。


その関係性上、『教える自分のほうがすべて正しい』みたいな誤った全能感に包まれそうになることもあるのだけど、相手は相手でなんらかの意図をもってやってるのだから、まずはそれを尊重したいなという、自戒の念しかない話。

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