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『ヴィパッサナー瞑想』でスマホ、会話、アイコンタクトが禁止されている理由

『マインドフルネス』という言葉を、ビジネスや日常生活の場面でもよく聞くようになりました。

ぼくが10日間やり続けた『ヴィパッサナー瞑想』との関係性については、正直いまでもよく分かってません.......

【これまでの体験記】
第1回 スマホ、読書、お酒、会話、運動のない生活
第2回 朝4時起床、夜9時半就寝、1日2食な生活
第3回 断食も運動も一切してないけど、2週間で体重が4.5kg減った

ちなみにネットで検索してみると『対象にしているものが違う』『マインドフルネスの方が概念として大きい』から、そして『実は同じ』というものまで、サイトによって言っていることが全然違います。

ぼく自身、今回この『ヴィパッサナー瞑想』コースには、ほぼノー勉で参加しました。

あんまり先入観を持ちたくなかったのと、たぶん細かい理論の話になればなるほど、宗教論争へと近づいていくので.........。

それくらいほぼ素人な知識しか持ち合わせていないので、いまから書く『ヴィパッサナー瞑想コースでの教え』も、『それを聞いたぼくなりの解釈』程度に受け止めてください.......!


とにかく『観察』する

瞑想ルーム。

瞑想に際しては、日本ヴィパッサナー協会から正式に認められた『ティーチングアシスタント』という肩書の人が、いろいろとアドバイスをくれます。

最初から最後まで一貫して言われ続けていたのは、『観察しなさい』ということでした。

最初は『呼吸を観察しなさい』と言われます。

上唇を底辺、鼻の根本をテッペンとして、三角形を形成し、そこに意識を集中させなさいと。

そうすると、鼻のなかを通過する呼吸を観察することができます。

まずはこうして、『観察する』感覚を体に染み込ませるようです。

初日から3日目くらいまでは、この『呼吸の観察』を徹底的に行います。

本格的な『ヴィパッサナー瞑想』に入る前の段階のこの瞑想を、専門用語では『アーナーパーナサティ』って呼ぶんだと教えてもらいました。

4日目くらいからは、『もう観察する感覚自体はつかめただろう』ということで、どんどんと観察する範囲を広げていきます。


『ありのまま』を観察する

次の段階として、『体全体』を観察していきます。

具体的には、『自分の体が感じている感覚』を観察します。

例えば、『痛い』とか『熱い』とか『冷たい』とか『かゆい』とかです。

注意しないといけないのは、『感覚』と『感情』は違うということ。

観察すべきは『痛い』という感覚で、それに対して『嫌だ』や『気持ち良い』といった感情は持ち込みません。

『ありのままの感覚』を、観察します。


『観察』を通して『無常』を理解する

そして、観察を通して理解するのは『無常』です。

象徴的な時間は、1日10時間以上やっていた瞑想のなかで3時間だけ求められる、『決意の瞑想』です。

この時間は、たとえどんなに体が痛くなったりかゆくなったりしても、動いてはいけません。

1時間を『午前』『午後』『夜』の計3回やるのですが、さすがに1時間もずっと同じ体勢で座ってたら(体勢自体は別に正座でもあぐらでもいい)、腰や股関節やおしりが痛くなってきます。

しかし、そこで体勢を変えてはいけません。

自分の体に生じている感覚を『観察』し続けます。

『ああ、おれいま痛がってるなー』って感じです。

言い換えると『メタ認知』的な行為ですね。

そうすると、痛みがスーッと引いていく感覚を覚えます。

この一連の感覚の変遷を通して、ティーチングアシスタントの方からは『無常』を学びなさいと教えてもらいました。

この世のもので、永遠に続くものなんてない。

『痛い』『熱い』『冷たい』という感覚も、いずれは消えていく。

別にこうして言葉だけでもフンフンとなるような話といえば話ですが、ヴィパッサナーでは『実践』を重視します。

なので、実際にそういった『無常』という概念を『頭』ではなく、『体』を通して直接的に理解しなさいと言われました。


一切のコミュニケーションは禁止

ヴィパッサナー瞑想を行う期間中、一切のコミュニケーションが禁止されます。

スマホは施設に到着すると、運営側に預けます。

あと、同じコースに参加している他の参加者との会話だけでなく、目を合わせることすらダメです。

これは、今日くどいくらいに使っている『観察』、言い換えると『自己の意識を内側へ向けること』に、神経を集中させるためです。

ヴィパッサナー瞑想いわく、ぼくたちは普段の生活のなかで、自身に生じた刺激や感覚に対して反応しすぎています。

そうやって外にばかり意識を向けていると(他者とコミュニケーションを取ろうとすると)、なかなか『観察』することができないので、期間中はスマホも会話も、そして目を合わせることすらも禁止なのです。


『コミュニケーション』の奥深さ

ぼくちょうど、ヴィパッサナー瞑想に参加する前日に、『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』っていう、まったく別のアクティビティに参加してたんですね。

これは直訳すると『暗闇のなかの対話』という意味になるんですが、文字通り『真っ暗で視覚を遮断された環境』を体験するものです。

それで、このアクティビティのミソは『暗闇』ではなくて、そのなかで行う『対話』、つまり『コミュニケーション』にあります。

どれだけ目を凝らしても本当に何も見えないので(時計、スマホ、ピアスなど反射の可能性が少しでもあるものは持ち込み禁止という徹底ぶり!)、そのなかで道を進むには、一緒に参加している人たちとコミュニケーションを取るしかありません。

そうなると、一気にめ『聴覚』と『触覚』の重要性が上がります。

『こっちにいるよー』と呼びかけ合ったり、『これは誰?!』なんて言いながらお互いの位置を確認します。

まだうまく自分のなかで言語化できてないんですが、『コミュニケーション取りまくってー!』って言われた翌日からまったく逆の『コミュニケーション取ったらダメ!』っていう日々を過ごしたのは、とても対照的で面白かったです。

強いて言えば、禁止しなければついついそればっかりに意識が向いてしまうほど、人間、というか生物における『コミュニケーション』の占める割合って、とても大きいものなんだなあということをうっすら思ったりはしました。


明日は、この『観察』を通してぼくが感じたこと、考えたことを書いていこうと思います!


※トップ画像はヴィパッサナー瞑想とは関係ないです!


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