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これからは「ノウハウ」の価値が上がってくる

『思想』や『哲学』の重要性が叫ばれて久しい昨今ですが。。。

最近、自分が本やネットの記事を読む側として、そして逆にブログを書く側として、感じていることがあります。

それは『これ、ずっと同じことを言ってないか!?』ということ。

まずは読む側として。

好きなライターさんやメディアの記事は定期的に読むんですが、切り口は多少違えど、『つまり言いたいことは...』の結論部分はだいたい同じだなと気づきました。

あと、思想や哲学とは少し違いますが、時代の潮流を捉える系の記事も、実際に存在する潮流はひとつかふたつくらいに集約されるので、本や記事によって取り上げている事例は違えど、結論部分にある『つまりいまはこういう時代だ!』『これからの時代はこうなる!』という箇所は同じであることが多いです。

そして、書く側として。

ここ1~2ヶ月くらい、noteを書きながら『この内容、前にもちょっと違う観点で書いたことがあるぞ?!』『出発のエピソードは一見まったく違うけど、出口で言いたいこと先週のnoteとほぼ一緒じゃねえか?!』ということが、チラホラ出てきました。

一応断っておくと、ぼくの好きなライターさんやメディア、そしてぼくが結局同じようなことを書いてること自体は、別に悪いことではありません。

むしろ望ましいことです。

『思想』や『哲学』がより大事になってくるこれからの時代において、その『一貫性』こそが、その人や企業が持っている思想や哲学への信用につながります。

あと、これは別にぼくに関しては思想や哲学が身についたということではなく、まだその兆候が出始めたかもねくらいの状態です。

それに、根っこの本質的なところでは同じことを言っているとしても、切り取る側面を変えることによって、Aという切り取り方では伝わりづらかった人に対して、Bという切り取り方なら伝わったということもあります。

いろんな切り口で発信すればするほど、発信する側にとっても受け手側にとっても、どんどんとその哲学や思想がより深く強固なものになっていきます。

ただそれは、核になるところはずっと同じで、あとから肉付けしていくという感じなので、その思想や哲学に関する『新しい情報』を得るという意味では、どんどんとコストパフォーマンスが悪くなってしまいます。

なので、ある程度の思想や哲学が固まった段階で、少しずつ『ノウハウ』のエッセンスも加えていくべきだなというのが、今日のnoteで言いたいことです。

『ノウハウ』というと、なんとなく近視眼的なにおいがして、思想や哲学を大事にしている人にほど敬遠される傾向がありますが.......

こう言ってしまってはなんですが、『思想』や『哲学』そのものに価値はありません。

その哲学や思想が、誰かの行動を変えたり、なにか考えごとがあったときの判断の拠り所になってこそ、価値があります。

ブッダは仏教を開いたことがスゴイんじゃなくて、仏教を通してたくさんの人の心を癒やしたことがスゴイのです。

なので、『ノウハウ』と一括りにしてしまうとアバウトなんですが、ある程度哲学や思想が固まった次の段階として、具体的にその哲学をどのように社会に実装していくのか、その思想をどうやってプロダクトに落とし込んでいくのかという情報にこそ、価値が出てくるのではないかと、最近考えています。

ちなみに今日の話は、ぼくがずっと考えている業界課題にも通じるところがあるのではとも思ってます。

その問題意識とは、上のnoteのタイトルのままなんですが、『そのメディアのこと好きだけど、意外と記事を読まない問題』。

これって多分、そのメディアが思想や哲学『だけ』を発信していた場合に陥ってしまう危険性があるんじゃないかというのが、ぼくの仮説です。

あえて言葉を選ばずに言えば、読み手としては『もうそれは分かったよ!要はこういうことが言いたいんでしょ!』状態になってしまうのではないかと。

思想や哲学を思想や哲学のままで終わらせるのではなく、次の段階としてそれをちゃんと社会やプロダクトに実装していく動きが、これから求められていくんじゃないでしょうか。

こういう話は、このnote自体が壮大なブーメランになってしまうので、若干書くのがはばかられるんですが、ときどき自分の頭の整理のために書きます!!!


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