スティーブ・ジョブズの「最大の功績」
もっと重要なことは、われわれが新しいものを古いものの枠組みで捉えようとしがちだということだ。
現在の見方を将来にそのまま当てはまることで、実際には新しいことをすでに知っているものに当てはめようとして歪めることになる。
『〈インターネット〉の次に来るもの』感想、第2回です!
第1回 現代に生きるぼくたちはみな、「永遠の初心者」
きのうのnoteで、テクノロジーの進歩について『常に動き続けるものは、もはや動きとして気づかない』と書いたんですが、きょうはその話の続きです。
そしてその続きというのが、きょうのnoteの冒頭で引用した箇所なのですが、、、
もっと重要なことは、われわれが新しいものを古いものの枠組みで捉えようとしがちだということだ。
現在の見方を将来にそのまま当てはまることで、実際には新しいことをすでに知っているものに当てはめようとして歪めることになる。
最所の映画が劇場での芝居のように撮影され、最所のVRが映画のように作られたのはそのためだ。
ぼくたちは、ついつい、既存のテクノロジーの枠組みで、新しいテクノロジーも捉えようとしてしまいます。
テクノロジーの進歩に、ぼくたちの理解が追いついていないからですね。
本中では映画とVRの例が挙げられていましたが、あと他の例を挙げるとするならば、webメディアが出てきた当初、新聞社が新聞のフォーマットそのままで、電子版にも記事を転載していたことでしょうか。
見づらくて仕方なかった...。
似たもので言えば、紙の漫画コンテンツも、電子書籍が出てきた当時、紙と同じフォーマットで掲載されていました。
これらはやっぱり、『webメディアや電子書籍は、紙媒体のコンテンツを単にインターネット上でも読めるようにしたもの』という認識しかなかったからです。
でも本当にそのテクノロジーの進歩の恩恵を受けるには、その新しいテクノロジーに合った、新しい発想が求められます。
いまは新聞社の記事も漫画も、スマホの画面に最適化された表示形式になっていることが多いですよね。
ただ逆に、一時的な措置として無理やり既存の枠組みに当てはめるのもアリだとは言っています。
新しいテクノロジーの伝道師として。
無理やり押し込めるのがいつも悪いとは限らない。
物語の語り手は、新しいものと古いものを関係付けようとするときにこの人間の反射をうまく利用するが、目の前でこれから起こることを見極めようとするときには、この習慣に自分が騙されてしまう。
引用中にある『物語の語り手』が、新しいテクノロジーの伝道師を指しています。
ホリエモンこと堀江貴文さんがよく言っているのですが、スティーブ・ジョブズの最大の功績は『iPhoneに”フォン”と付けたこと』なんだそうです。
つまり、iPhoneはもうそのスペック的には完全に『小型PC』で、電話なんて機能はアプリケーションのひとつに過ぎなかったのに、『革命的な電話だ!』と、『電話の延長線上の商品』として売り出したことで、大ヒットしたのだと。
これでもし『小型化されたPCだ!』とプレゼンしていたら、当時の人々にとてそもそもPC自体に馴染みがなくて、『自分たちが使うものではないだろう』と、ここまで普及することはなかったかもしれないということです。
なので、売り手としては、ぼくたちが新しいテクノロジーを既存のテクノロジーの枠組みで考えてしまいがちだという傾向を利用して、新しいテクノロジーをあえて既存の延長線上として見せるやり方はアリです。
ただ、
目の前でこれから起こることを見極めようとするときには、この習慣に自分が騙されてしまう。
とあるように、大事なのは『あえて』という点です。
もしスティーブ・ジョブズが本気で『これはスマートなフォンだ!』と叫んでいてたら、それはそれでここまでAppleがたくさんの人に愛されるブランドにはならなかったでしょう。
ということで、まずそのテクノロジーを見極める立場としては、新しい枠組みで捉えようとすること。
そしてその利便性を世の中に届けていこうとする際には、人々に受け入れてもらいやすいように、意図的に既存のテクノロジーの枠組みに当てはめるという『2つの顔』を使い分けることが、イノベーションを起こすには大事だなという話でした!
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