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「何者」かに焦がれる日々

前座として、まずはM-1グランプリの感想を少し。

今年は、例年以上に熱かった気がする。

毎年そう思ってる気もするけど、とにかく今年のM-1グランプリは熱かった。

ぼくも21歳になって、小学生や中学生のころみたいに、単純にネタを楽しむ以外のところにも目がいくようになった(なってしまった)。

やっぱり、「人間ドラマ」というか、背景のストーリーにも思いを馳せてしまう。

大会後にある反省会の企画とか、正直どの芸人も出たくないと思う。

悔しすぎてテレビ前に出れる精神状態じゃないだろうし、あとは霜降り明星と誰も顔を合わせたくないと思う。

でもそこはプロだから、笑顔でフレームに収まる。

その笑顔が余計、ぼくの涙腺を刺激する。


M-1の話を絡めつつ、本題へ。。。

で、だ。

今日の本題はここから。

別にM-1の話が全くかすってないかといえば、そうでもなかった。

優勝した霜降り明星は20代中盤で、今回予選にエントリーしたコンビは4000組超。

だからまあ、言わずもがなだけど、決勝の10組に残った時点で、ものすごい猛者なのだ。

ぼくたちはものごとを相対的に評価してしまいがちなので、ついつい『ゆにばーす』のことを面白くないと考えてしまうけれども........

ただそのなかで、霜降り明星は優勝した。初出場で、しかもまだ20代で!

この年末年始は、各番組から引っ張りだこだろう。

そう、彼らは立川志らくさんが『霜降り明星』に投票し、決勝ファイナルでの4票以上が確定した瞬間から「何者」かへの道を歩み始めた。


「何者」になれなくても幸せ?

ぼくの周りには、ぼくも含めて「何者」かになることを切望する友人が、たくさんいる。

「何者」というのは、まあ具体的にいうと、仕事で成功して、お金や知名度、なんらかの地位を獲得すること。

そういう存在を志すひとは、往々にしてTwitterで「何者」かの先輩をフォローしており、筋骨隆々としたツイートで、タイムラインは埋め尽くされている。

そんななか、たまに天使のような優しい言葉で、大人なインフルエンサーの方は、語りかけてくれるのだ。

そういった残酷でもあり、慈悲深くもある真実は、ときにぼくの体育会系タイムラインの、つかの間の癒しになる。

ただとてもありがたいんだけど、本音としてはちょっとまあ、いまはいらないです、って感じだ。

たしかに、ぼくが30代にも40代にもなって、じぶんの市場での価値もわきまえず、場違いなフィールドで労力の浪費を重ねているなら、即刻で人生戦略を練り直して出直すべきだろう。

ただ、ぼくは「まだ」21歳だ。

最近は「もう」と感じることも多くなってきたけれど、今日はあえて「まだ」にしとく。

若い若いと騒がれている霜降り明星よりも、4年も5年も若いのだ。

そして、M-1チャンピオンいう「何者」かになるには、M-1チャンピオンを目指して、漫才の練習をし、予選に参加し続けるしかない。

つまり、「何者」かになるには、「何者」かになれると信じて、権利ある限り挑戦し続けるほかないのである。

優しい大人のかたからの、優しい慰めは本当に優しい。

M-1チャンピオンだって、これまで何万何十万のコンビが目指してきて、たったの14人しか生まれていないのだ。

「何者」かにはなれない人が大半、というか、ほぼ誰もなれない。

まあ、そうなったらそうなったで、そのときは気持ちを切り替えて、別の生存戦略を考えればいいと思ってる。

そのときになったら、しっかり優しい大人のかたの言葉を、脳の片隅から引っ張り出してこようと思う。

でも、もう少しだけ、せめて20代のうちは、「何者」かに向かわせて欲しい。

仮になれなかったとしても、M-1王者を目指した漫才漬けの日々は、決して無駄にならない。

ときには『勘違い』と『幻想』が、力になってくれることもあるのだ。



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