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「ストーリーを語れ」を、「品質はどうでもいい」と履き違えてはいけない

クラシコム青木さんの「PR」に関するインタビュー記事を取り上げて、今日で3日目になります。今回で最終回になると思います。


一昨日のnote:ブランディングとは、お客さんが「自分はありがたいけれど、彼らは損をしているな」と思うこと

昨日の2日目:「ビジネスの成功」と「ブランド価値」は、逆相関の関係にある


今回のインタビューのテーマは「PR」。

クラシコムが仕掛けた「短編ドラマ制作」を、プロモーションやマーケティングの観点から話を聞こうという趣旨だったのですが、青木さんは、今回の動画はそもそもプロモーションやマーケティングという意図から出発したものではないと言います。

青木:今回、PRを軸に僕らを取り上げていただいているのは大変光栄だし、ありがたいです。

ただ、僕らがつくっているものが「PR動画」なのか、あるいはマーケティングを目的にしたものなのかを考えると、非常に抽象度が高いレベルで考えれば合致するかもしれませんが……どうか、といったところですね。

僕らからすれば「お客さまに見せたらすごく喜ばれるんじゃないのかな?」ってことしか考えていないんですよ。(中略)

最も難しいのは本質的に、理屈抜きに、「いいね」と思われることをやれるかです。

最後の一文、『最も難しいのは、本質的に、理屈抜きに、「いいね」と思われることをやれるかです』という言葉は、特に強く刺さりました。

いまの時代、プロモーションやマーケティングといった「打算」に消費者は敏感になっているうえに、少しでもそういったものが透けてしまうと、すぐに冷められてしまいます。

つまり、ぼくたちがすべきことは純粋に「いいね」と思ってもらえるようなことをやれるかどうか、なのです!

記事では、そういったことを踏まえたうえで、あえて今回クラシコムが取り組んだ「PR動画」という手法が、普遍性の高いマーケティング手法になりうるかということを尋ねます。

青木さんの答えは、”NO”でした。

青木:PR動画は結局続かないと思うんです。(中略)なぜなら、すでに動画コンテンツは十分すぎるほど花開いた後で、企業がマーケティングの意図を1mmでも込めて作ったものが、なぜお客さまの時間を専有できると思えるのか。それがわからないからです。

かつては「PR」に主目的を置いたコンテンツでも通用していた時代があったそうですが、それは当時のコンテンツ量そのものが少なったからです。

消費者の娯楽が少なかったので、そういったPRコンテンツでも受け入れてもらえましたが、現代は言わずもがな情報大洪水時代です。

企業はこぞって、消費者の限りある時間というリソースを奪いにいっています。

そんななかで、「PR」という打算の働いたコンテンツに、消費者が興味をもつ余裕はないのです。

そんなもの見なくたって、ネットには腐るほどコンテンツがあるのだから。

だから、青木さんは仮にコンテンツを制作するならば、それは純粋にコンテンツの「質」で見た人を満足させなければならないと言います。

青木:だから僕らが製作する映像は宣伝やマーケティングを全く考えず、完全に新しい「プロダクト」として見ています。

そして、この直後の質問がめちゃくちゃイイ!まだぼくも完全には落とし込めてないですが、ビジネスの核心に迫るような、めちゃくちゃイイことを言っていることだけは分かります。

聞き手さん:多くの方がPRから「プロモーション」という言葉を想起するのですが、そうではない。PRは「パブリック・リレーションズ」ですから、あくまで会社としての在り方であり、それそのものが事業であるという捉え方をすべきだろうと。

つまりPRというのは、事業の「手段」ではなく「目的」そのものなのです。

PR、言い換えれば「パブリック・リレーションズ」は、1つの定義としては「あらゆるステークホルダーとの関係構築」というものがあります。

これはもう、手段ではなく事業の目的そのものに値します。

この言葉に対する青木さんの返答も、実にイイ。

青木:リレーション構築そのものが、あらゆる事業における本業ですよね。だから、何かのためにパブリックリレーションズするのではなくて、パブリック・リレーションズするために商品をつくるという感覚なんです。

ただ、このあとにあった発言で一瞬、ぼくは「ん?」と止まってしまった箇所がありました。

青木:つまり、サービスも商品も飽和した世の中において、本質的な商品というのは「関係性」なんですよね。関係性があるから選んで買う。商品の良さでは選ばれていないというのが、僕は本質的なところだなと思っています。

「商品の良さでは選ばれてないというのが、僕は本質的なところだなと思っています。」

ん?んんんんん??????

たぶん青木さんはなんら矛盾してることを言ってないと思うのですが、ぼくの理解が追いつかなくて、一瞬前述した「コンテンツの質そのものが大事だ」という話との、整合性をとるのに苦労しました。

ただ、少し考えて出た答えが、タイトルにもある『「ストーリーを語れ」を、「品質はどうでもいい」と履き違えてはいけない』ということです。

つまり、「質が高い」というのは大前提、当たり前。そこでようやく、スタートラインに立てます。

そのうえで、どうやってお客さんとの関係を築いていくのかというのが、その企業や人それぞれの哲学であり、思想なのです。

参考:ロジカルを突き詰めたその先にあるのは、「美意識」

最近はよく、ビジネス界隈において「ストーリーを語れ」と言われます。

いわゆるPRの1手段なのですが、その事業に込められた思いや背景を語って、「質」とは違った指標でお客さんとの関係を深めるというものです。

ただ、それはストーリーのみで商品を売るのではなく、質があることが大前提のうえでの「ストーリー(思想や哲学)」なんだなと感じました。

なので、本当の意味での「PR」ができていれば、狭義の「広報」は必要ないはずです。

ここでも記事中にあった青木さんの発言が、すごく刺さりました。

青木:「広報しないといけない状況」が、すでに負けている状況なんですよね。

「広報しないといけない状況が、すでに負けている」...........

まさにその通りだなと思いました。

例えば、ぼくはかれこれ1週間くらいせっせと青木さんの記事を取り上げていますが、これも雀の涙ほどとはいえ、クラシコムの宣伝に加担しています。

しかし、これは別にぼくがクラシコムに頼まれたわけでもなんでもなく、単にぼくが「すごい大事なことがたくさん書かれてある!」と思ったから感想を書いているだけです。純粋に、青木さんの話されている内容の「質」が高かったのです。

『「ストーリーを語れ」を、「品質はどうでもいい」と履き違えてはいけない』――。

今日のnoteの最後は、インタビューの最後に青木さんが放った言葉で終わりたいと思います。

青木:PRは「コミュニケーション」でも「説明」でもなくて、本質的には「事件」をつくることなんでしょう。そのニュースこそが関係性をつないでいくんです。


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