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「天才」と「マーケティング」

最初に言っておくと、ぼくは「マーケティング」「ブランディング」という言葉を、できる限り使いたくありません。

人によって定義がバラバラすぎて、話の共通言語として使いづらいからです。

あと、その定義がぼくも含めてボヤけすぎていて、その人のとある行為を「マーケティング」や「ブランディング」と呼ぶのは、あまりにも失礼な感じがするというのもあります。

なんですが、どうしても他にそれ以上マシな言葉が見当たらないとき、仕方なくこれらを使います。

とういうことで、今回は便宜的に「マーケティング」の定義を「つくるものをできる限り広く深く届けるために、あれやこれやと工夫すること」とします。

では、最近ぼくが思った「天才」と「マーケティング」の話。


「天才」と「マーケティング」

みなさん、「天才」にあこがれますよね。カッコいいですよね。好きですよね。

ぼくは、世間で「天才」と言われている人の醸し出す、華やかなオーラが大好きです。

でも一方で、マーケティングってすごく地道で泥臭い感じがしませんか。

だから、「マーケティングの天才」とかって、あんまり聞かなくないですか。

学生のなかには、マーケティングという言葉にものすごい華やかな印象を持っている人も、なかにはいるかもしれません。

ただ、1年間だけインターンとして広告代理店とメディアで働いたペーペーに言わせてもらうと、マーケティングって、とても地道で泥臭いものです。

だから、「マーケティングは地味」っていう意見には、いま働かれてる方々には、けっこう同意してもらえるんじゃないかと思ってます。


みんな「天才」にあこがれている

日々、「どうやったらこの商品は売れるのだろう」「どんな企画がいいんだろう」と考え続けている(マーケティングしている)人たちにとって、天才ってすごいうらやましく映りますよね。

自分はこんなに脳みそをフル稼働させて、なんとかアイデアを絞りだそうとしているのに、天才は、まるで天から降ってきたかのように、パッと奇想天外な発想を思いつきます。

そして、それがことごとく当たります。

自分はこんなに努力も苦労もしているのに、天才はすごく軽やかに、思うがままに振る舞って、そして結果も出している。

なれるものなら、自分も天才になりたい。


上田慎一郎監督

先日、『カメラを止めるな!』の監督を務めた、上田監督のトークイベントに行ってきました。

2018年最大のサクセスストーリーと言っても過言ではない本映画の大ヒットについて、評論家の方などはいろんな角度からその要因を分析しています。

そのことについて、上田監督はこう話していました。(細かい言い回しはうろ覚え)

「みなさん、例えば映画の構成のここが良かったとか、この登場人物が良かったとか、すごくいろんなことを言ってくださるんですよ。もうそれは全部正解だと思うんですけど、でもぼくが思うのは、ぼくが映画を作ってる最中に、それを意識的にやってたら、ドヤ感とかわざとらしさが出て、お客さんにもそれが伝わっちゃってたと思うんですね」

上田監督のインタビュー記事などを読んだことがある人なら、知っているかもしれませんが、上田監督、子どものころから映画が大好きだったんですね。

それで、子どものころから年何百本って本数の映画を観て、高校生くらいからはもう自分で映画を作りはじめてたりもしてました。

トークイベントのときも、「マイベスト映画トップ10」みたいなテーマで話していたんですが、制限時間がなかったら、1つの映画について2時間くらいしゃべりつづけるんじゃないかって勢いで、田中泰延さんとマシンガントークしてました。

つまり、そのとき上田監督が言ってたのは、評論家の方が言ってくださってる成功要因を、理論的に頭で考えながらやるんじゃなくて、これまでの自分の膨大なインプットとアウトプット量で身につけた、感覚的な「これがいい!」でやったから、結果的にうまくいったんじゃないかということです。


最所あさみさん

note知ってる人で最所さんを知らない人は多分いないと思いますが、最所さん、実はnote厨だけでなくツイ廃の顔も持っていました。

なお、私はTwitterに最適化されすぎて、一発で140字ぴったりの文字数を大量生産できるようになったので人間の適応能力はすごい。

一発で140字ぴったりの文字数を大量生産できるようになった!?!?


昨日のnoteにも書いたんですが、ぼく最近、できるだけ140文字ギリギリまでつめて投稿するようにしてます。

ただ、毎回文字数の調整に少なくない時間をとられていて、平気で1ツイートに10分~15分かかることもあります。

140文字ギリギリに近い投稿を毎日10ツイートも20ツイートもしてる最所さんをみて、すごいなーと思ってたんですが、文字数調整の必要がなければ、それだけつぶやいても、それほど時間はとられないのかもしれません。

ただ、最所さんも最初からそうだったわけではなくて、自動文字調整能力を習得するまでに、とんでもない量のツイート数と時間を費やしてきたはずです。


天才と失敗するマーケティングの差

ここまでの上田監督と最所さんの話から導き出されるぼくの結論は、「天才とマーケティングは、表面上では同じものが出力されているが、その過程が”頭”と”体”のどちらを通っているかが違う」です。

だから、とあるマーケティング施策が失敗するときというのは多分、その施策を理論立てでやった当事者のドヤ感やわざとらしさが、受け手に伝わってしまって「ダサい」と思われたときです。

これは、スポーツの動きなんかで考えてみると、わかりやすいかもしれません。

例えば、ぼくは高校まで野球をやっていたのですが、先生に打撃フォームを指導されたとき、なんかスイングがぎこちなくてカッコ悪いんですよね。

それは、ぼくが最初は「脇を閉めよう」とか「バットを平行に出す」とかって、頭のなかでひとつひとうの動作を意識しながらやってるからなんです。

でもそれを、家に帰って何回も素振りして、頭のなかで動作を唱えなくても自然にできるようになったとき、ようやくスイングはカッコよくなります。そして、試合でもヒットが打てるようになります。

こういうのをよく「体で覚える」なんて言いますよね。

だから、マーケティングも頭でああだこうだと理詰めしてるうちはまだまだで、感覚的に自然とそのマーケティング施策を打てるようになれば、成功確率もグンと上がるのだと思います。


天才を作り出せ!

じゃあ、体に馴染みこませるためにはどうすればいいのか。

それはもう、「圧倒的なインプットとアウトプットの高速回転」しかないのだと思います。

でも逆に、天才はそうやって後天的に作り出せるということです。

つまり、ぼくも、そしてこのnoteを読んでくれているあなたも、天才になれます。

ただ、ひとつだけ気をつけることがあるとすれば、最所さんも上のツイートで言っているように、圧倒的なインプットとアウトプットを高速回転「させる」のではなく、高速回転「していた」くらいの状態をつくりだす必要があるということです。

言い換えると、「努力を努力と思わないくらいのめり込む」ってことですかね。

つまり、あえて天才の先天的な要素をあげるとすれば、「”好き”を深く長く”好き”でい続けられる気力と体力」ということになるのかもしれません。

天才は、作れます。


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