孤独のすヽめ

物心ついたころからゲームやアニメが好きだったせいか、“一人で過ごす”というのが結構好きだった。

小説が好きで、昼休みに図書室に篭るなんてよくやったし、漫画やアニメは休日を使って平気で数時間ぶっ通しで見てた。
ゲームも多人数プレイより圧倒的にRPGやシミュレーションもので遊び、空いた時間でよくイラストや自作の漫画、小説を書いたりして過ごすこともあった。(ある程度の歳になった際に全て燃やしました)

今思い返してみると、当時、「世界は自分の中だけに存在しているもの」という認識だった。
登場人物に自分を投影したりこそしなかったけれど、たくさんの作品の世界観や物語に没頭している時こそ、自分が生きてて一番輝いている瞬間のように感じたし、
それがひと段落して現実に戻った時の喪失感は、得てしてえげつないものだった。

…寂しい、という感情を認めたくなかったのかもしれない。
まるで海から上空に飛び上がった魚みたいに、呼吸できない水上に耐えかねて、すぐに次の世界の水面めがけて潜り込む毎日が続いた。

少しずつ大人になるにつれて、「世界」は自分の中にあるのではなく、自分の外に大きく広がっているのだということに気づいた。

気づかせてくれたのは、音楽だった。

まさかギターを弾きながら歌い、曲や詞も自分で作るだなんて思いもしなかったけれど、
ただなんとなく「自分はきっと何かしらの形で音楽をやるんだろうな」という漠然とした自覚だけは、幼少の頃から持ち続けていた。
ギターに出会って、自覚ははっきりと確信に変わった。

ギターのおかげで兎に角いろんな人に出会ってきた。
数多くの音楽家やそれに関わるアーティスト、業界人、ライブハウスの方々。
間違いなく、世界は自分の外に確かに広がっていて、それぞれの場所できらきらと輝きながら生きている人たちで溢れているんだと、音楽をやって初めて理解することができた。
ただそれは一つの巨大な集合体というよりも、しっかり自分だけの形を成した「孤独」を抱えて、離れながらも夜の星空みたいにきらきらと光っているようなものだった。

「都会を飾る真夜中の明かり あれは残業の景色なんだよ」と俺の大好きな先輩SSWは歌っていたけど
まさにその通り、ビル群の夜景のように孤独は光っていて、
その光の大元には確実に「人」がいるんだということがわかった。

俺の孤独は俺だけのもので、あなたの孤独はあなただけのものです。
そこは生きてきた歴史の積み上げで出来た不可侵の領域で、一切の共有はできないと思う。
でも俺とあなたはその孤独を抱えて、それぞれおんなじくらいの光量で光り続けているんだ。
それが見えるだけでも、「寂しく」はなくなるかもしれないじゃない?

そんな感じの曲が、最近できました。
すごく素直な言葉とメロディで作れたと思う、早く聴かせたいな。

・やさしいひと
人のやさしさに触れて最近はなんとか生き延びている
あなたのやさしさで俺はたまに生かされているのよ

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