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ラベル 大学生日記#15

皆さん、こんにちは。そして、お久しぶりです。
昨日(Noteを書いたのが1週間前とかです)で4年生を迎えた都内の大学に通う大学生です。

何度、久しぶりの投稿というのかという話ですが、中々継続ができないタイプなのでご容赦いただけますと幸いです。

現在は留学先から日本に帰ってきていて、留学生というラベルは剝がれてしまい、就活生という新たなラベルを手にしました。


ヒトという商品にも、何かしらのラベルがついていて、ラベルこそがその人の”地位”や”身分”を象徴するようになっている。

当の僕にもラベルがついていて、部活生だったり、就活生だったり、大学生だったり、指導者だったり、他にも色々なラベルがついている。

現在ついているラベルは来年、社会人というラベルを得ると同時に剥がされる。自分のラベルが失われることにちょっぴり寂しさも覚えつつ、新たな商品として市場という名の社会に放り出されることにワクワクしている。

ただ、たいていの社会人になる人は全てのラベルを捨てたうえで、社会人というラベルだけ生きていく。新たなラベルを巻こうとする人も一定数いるが、多くのラベルはサラリーマンの言い換えになってしまい、ラベルを複数枚巻くことは中々しづらくなってしまう。

社会人に慣れてきて生活の余裕ができた時に、家族を持つ。ほとんどの人がその時に社会人になって初めて、新たなラベルがつくはずだが、そのラベルは何よりも厚いからこそ他を巻いてしまうと、大抵の社会人はいろはすのように潰されてしまう。

だからこそ、ある程度余裕があるであろう大学生時代にラベルを巻かなければならないのだろうなと。そう思う今日この頃である。

就活とは自己営業だろうから、ラベルがある人(それぞれのラベルの影響力はあるだろうが)が強いはずだ。ただ、ラベルを巻く人のほとんどは就活を意識していないだろう。
ラベルを巻ける人は少なからず、就活という原動力ではなく、自分という一人間を捧げたいと思う事象への熱情こそが原動力になるはずだから。ラベルはあくまでも自分の挑戦の結果であり、それ以上それ以下でもない。

僕にとっては、そのラベルのテーマがサッカーだった。今後もサッカーになることは間違えないと思う。ただ、部活自体は後1年足らずで終わるし、自分の指導者人生も1年ほどで終わりを迎える。僕自身がこれからどのようなキャリアを歩むかなんて、僕自身にもわからないけど、サッカー人として生き続けたいと思う。

「大学生としての学生生活=自分のサッカー人生」
と捉えざるを得ない自分の実力不足を痛感したり、情けなくなったりすると同時に、それらを受け入れていかなきゃいけないんだろう。サッカーへの熱が冷めたわけではないけど、サッカー界で生きていく実力が自分にはないということは揺るがない。

もちろん、意志が強かったり、努力したりしたら報われるって言われるけど、運とタイミングって絶対にある。(詳しくは下記の記事で紹介)

特にこの世界はこの色が強すぎる。だからこそ、それが巡ってきた時に飛び込めるような実力や気概と、任せてもらえるような人望を持ち合わせなければと思う。
自分は幸い周りの人に恵まれて、自分の人生に何一つ不自由はなかった。だけど、ここからは自分1人の戦いになる。自分の理想となる人間に近づくためにも、薄いラベルじゃなくて厚いラベルを何枚も巻けるようになろう。


ペットボトルみたいに1枚しか負けないわけじゃないからね。


ご愛読ありがとうございました。久しぶりに書いたわけではないのですが、この記事を書いてて新しい学び等いろいろありました。やっぱ、言語化ってすごい大切だなって思いました。

最後に宣伝させて下さい。
4月9日の火曜日より7日間連続で、帰国直前から帰国当日にまで書いたNoteを公開します。自分の挑戦や葛藤について書いています。
あの時、何を考えていたのか、何を感じたのかなど、自分のリアルを書いた文章ですので引き続きご愛読いただけますと幸いです。

それでは! Schönen Tag noch!!

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