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写真考

写真を初めてはや5年。

おじいちゃんのカメラをなんとなく手に取り、パシャパシャ取っていたら偶然いい写真が撮れた。

「なんでこんないい写真になったんだろう?」
この問いが写真のメカニズムを勉強したい欲望、いい写真を偶然ではなく必然に取りたいという底なし沼の欲望に私をいざなったのだろう。

ただ、ふと思う。写真のメカニズムを体系的に学び、いい写真が必然的にとれるようになった現在でもなお好奇心の欲望は衰えていないのだ。

なぜか。これは単なる知的好奇心ではない、何か別の欲望があるのではないか。思い当たる節はいくつかある。それは、写真を撮って相手にデータを渡すときにとても喜んでいる姿を見ることが好きでやっていたり、他人から写真のことについて褒められたり、カメラを教えてと言われることから起因する承認欲求が満たされることが好きでやっていたりもするのではないか。

私は2021年の1月に大けがを負った。現在は左手首から指先にかけて後遺障害を患っている。今後ウィンターソルジャーのような義手が開発されない限り、この手と一生付き合っていくことになるだろう。

もちろん、受傷前にできていた多くのことを断念せざるを得なかった。
写真もその例外ではない。

レンズの横にあるボタンを押しながらシャッターボタンを押すと、ピントが調整されたままシャッターを切ることができる。
ズームリングを回しながら撮影すると被写体に合わせて移動しなくていい。

これらはすべて両手があってできることであった。

しかし今はどうだろう。
受傷前よりもはるかに高い機材を購入し、モデルに声をかけ、料理撮影にも手を出しているではないか。
両手があってできること?そんなものはたわごとに過ぎない。ボタンの配置を変えれば済むことじゃないか。ズームリング?肘を使って回せばいいじゃないか。

つまりだ。私の写真に対する飽くなき欲望は、写真撮影を通して体験する小さな成功が源泉となっているのだ。

「世間的」に良い写真と評価されることへの欲望なんかよりも、私自身が試行錯誤し得た小さなカメラテクニックを発見するほうが何十倍も楽しい。

さあ、次はどんな写真を撮りに行こうか。






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