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大内岳 × 福永健人「ぶどう」Music Video対談⑥ 〜ぶどうって何だ?MVの裏に潜む思想に迫ってみる〜

ドラマーでありながら、コラージュアニメ作家でもある。

2021年6月23日にリリースした福永健人『No.23』より
収録曲「ぶどう」のMusic Videoを制作して頂いた大内岳さん。

福永とは、二十代前半からの古い「対バン仲間」だった彼が
突如として摩訶不思議な映像世界を作り出した。
その裏側にはどんな思想やエピソードがあったのか。

他ならぬ福永自身があまりにも気になってしまったので、リリースのすぐあとに対談をお願いました。

「ぶどう」Music Videoの裏側から、果ては芸術に取り組む根本の話まで。
半ば対談であることも忘れて、たっぷり語り合いました。

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【「ぶどう」って何だ?】

「消化器官ってそれ自体が宇宙の、生命の仕組みみたいなとこがあって。ああやって、いろんなステップを踏んで、溶け合っていく。その中はとても抽象的なものである、っていう。」

福永 : 年始に送られてきたデモ映像についていたメモ、すでにあの時点でかなり「ぶどう」という楽曲であったり、ぶどうという概念?を深掘りしたメモが送られてきて。あの辺について是非聞いてみたい。

大内 : それこそあれが一番頭を使ったというか、準備というか。今回は曲がインストゥルメンタルで、しかもぶどうってものは具体的じゃないですか。

福永 : 具象だよね。

大内 : やりたいことは抽象だけれど、ぶどうはやっぱりぶどうであって。
だからまずぶどうは、ぶどうなのか?というところから始まり、そのためにぶどうは必要なのか、とか。

福永 : 映像の中にぶどうという具象を出すのかどうか。

大内 : ぶどうを買って食べながら考えたんですよ。

福永 : マジか笑 あのー、レシート出してくれたらぶどう代出しますので...笑

大内 : 笑 いや全然、ぶどうは好物だから大丈夫です笑 ぶどうとみかんを食べながら、どうしてぶどうはみかんじゃないんだろうみたいなことを笑

福永 : かなりぶどうという言葉や概念を深掘りして送ってくれたじゃない。何がすごいって、福永が久石譲だったら誰でもそうすると思うのよ。でも、相手は福永じゃん。

大内 : いやいや、それはちゃんと、俺的にはバリューがありますよ。豊かなバリューが笑

福永 : まあその別に大人気音楽家、というわけでもない、にも関わらずめちゃめちゃ細かい「ぶどう」の設定を、しかもストーリーじゃなくて

大内 : まあイメージ?イメージを。

福永 : イメージを。そういうものづくりへの純たるスタンスに感動したし、嬉しかったんだよね。

大内 : あの時は確か「知覚の扉を開く」って書いたんだけど。もうこれは大学的というか、語源っすね。今回は歌詞がないわけだから、与えられた文字情報は「ぶどう」っていうひらがな3文字のみ。

福永 : そうだね。

大内 : これだけは言語的情報である。だから、それを拡げていくか、というところで。

福永 : 正直いうと、あの曲に「ぶどう」ってタイトルをつけた理由って...特にないんだよね。楽曲を作ってみて、ああ、これはぶどうだなぁ、っていう。直感に近い感じで。

大内 : うんうん。

福永 : それが、大内くんから送られてきた「vita」とか...あれはなんだっけ?

大内 : ぶどうのラテン語(学名)が「vitis」。あれは古い果実で、神話とかにも使われているから古くから単語があったんだけど、vitisという単語の元々のコアなっているのが、生命という意味の「vita」。ぶどうは植物だから花言葉的なものもあって、それが「陶酔」。命と陶酔、やっぱりワインを作る果実だから、もちろん陶酔なんだけれど。

その2つ、「命」と「陶酔」を繋げようかなと思った時に、少し複雑な紫をした粒があって、それが木に実っていて、落ちてきたり、ぐちゃぐちゃに混ざり合って液体になったり...そう考えるとそれはちょっと血みたいだなぁと思ったり。

福永 : うんうん。

大内 : 血のようだし、海のようだし。...こないだエヴァ観たし笑

福永 : 赤い海ね。

大内 : そういう、一個の抽象的なものに向かっていくという。

福永 : 福永がなんとなしにつけた「ぶどう」というタイトルがそこまで拡がるか、っていうね。

大内 : なんか「自分が溶けていく」っていう感じが、「陶酔」なんですかね。意識が薄くなったり。もう、ワインで得られる陶酔って、意識がなくなってベロンベロンになるところまで...笑

福永 : ベロンベロンになっちゃって、ね笑

大内 : もうめっちゃ気持ち悪くなっちゃったとしても、本当の陶酔だな、と思う。そこから先はもう、あんまり言葉では言えないですけど、陶酔ってものをイメージしながらいろんなものを作ったけれど...。

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福永 : 「食と腐」っていうのが...

大内 : そうね、食べて、腐る。

福永 : 何気なくラインしながら二人の間でテーマ化していったりとかしてね。

大内 : 腐るっていうのは...良いですね、腐るっていうのは。

福永 : 良いですねえ。食と腐、ただのダジャレではあるんだけれど、ただのダジャレだから面白いんだよね。

大内 : 今回の大前提として、ぶどうは食べ物である。その効果は色々あるけど、胃を通って、体に溶け込んでいくものっていう前提さえあれば、なんでもできるという。ネタばらしというか、後付けで決まってきた部分でもあるんだけど、テンポアップしてからのちょっとカオスな部分は人間の体を伝っていくぶどうをイメージしていて。はしごをぶどうがコロコロって転がっていくのとか、消化器官、みたいな。

福永 : あーなるほどね。

大内 : 消化器官ってそれ自体が宇宙の、生命の仕組みみたいなとこがあって。ああやって、いろんなステップを踏んで、溶け合っていく。その中はとても抽象的なものである、っていう。

福永 : 面白いね。思えば食べるって不思議なことだもんね。

大内 : 食べるって、ものを変えることだから。

福永 : 外部にあったはずのものを体内に取り込んで、化学変化を起こして、その一部を肉体にして、残りを排泄して、それを繰り返した肉体が今生きている自分なわけで。

大内 : 言語のところにフォーカスすると、とにかく名前が変わりまくる。

福永 : そうだね。

大内 : 食べる瞬間のそれと、胃のあたりにある時のそれと、全てなくなったそれ、出てくるそれ、全部名前が違う。

福永 : 当時ぶどうだったものが今自分になってるわけだし、あるいは、忘れがちだけれど、自分だったものがぶどうになるわけだよね。

大内 : だから逆に考えたのは、ぶどう感を(Music Videoに)どう出そうかなって考えた時に、もう皮肉じゃないけど、開き直りで、しっかりぶどう的な形のものを作ったっていう。あれは色々コラージュした中で、数少ない、ちゃんと絵を描いたものなんです。ぶどうが縦になったり、逆さになったり。

福永 : 木になったりね。

大内 : ぶどうは逆さから読んでもぶどうというか、明らかにぶどうですよ〜と見せてから、それをぶっ壊しにいくっていう。

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>>次回が最終回。芸術について、更には幸福についてへと話は膨らみます。

<<前回 準備と集中 / ものづくりのスタンスについて

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福永健人 - ぶどう(official music video)  dir.大内岳

再生ボタン付き

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