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美容師の魔法

先日、いつもの美容院に予約を入れようとホットペッパービューティーを開き、店名を検索すると、ヒット件数は0であった。
その美容院は、潰れていたのである。

10年ほど同じ美容師さんに髪を切ってもらっている。

福永の髪の毛というのは、上記の「10年来お世話になっている美容師さん」の言葉をそのままそっくり借りるならば、毛量「ホルモンの悪戯」と称したいほど多く、髪質「プラスチックのように硬く太い」そうである。
そして、およそどんな整髪料も受け付けない強固な天然パーマが、ひねくれた姿勢をより一層深める形で頭上に鎮座している。

美容師との出会いは、その頃付き合っていた女性からの勧めであった。
「この間切ってもらった人が、とっても良かったよ」



時は2010年代初頭、福永はさまざまな美容院を渡り歩いていた。
どの美容師に自慢の腕を振るって頂いても…福永が納得いくヘアスタイルにはならなかった。
彼らが悪いのではない…福永の髪の毛が特殊すぎるのである。

中高生の頃、フェミニンな髪型が流行っていた。
ストレートパーマを当て、柔らかな髪質をもった、中性的な様相。
そういった男性が女性たちの羨望を一手に引き受けていた。
少なくとも福永にはそう見えた。

そうして、福永の髪の毛は女子の羨望の特徴を2次のグラフに書き起こしたなら、その対極とでもいうべきポジションに表現型をあらわしていた。

思春期の男にとってそれは極めて遺憾であった。
とはいえ、どうしようもないことでもあった。
髪が極太のちんちくりんであることは一人の男から段階的に自信を奪い去るのに必要十分な要件であることを、癖毛で悩む人たちにはご納得いただけることだろうと思う。

ストレートパーマをこまめにかけるほどのお金はなかった。
比較的安価であるポイントパーマを前髪にかけてみたこともあったが、7日もすれば元の木阿弥である。髪が強すぎるのだ。
それに、ストレートな部分が髪の毛の中に発生することによって、むしろうねり散らかる天パ部分が際立つように見えた。
さらには、いかに癖を抑えようとも、毛髪の太さやプラスチックのような形質については手の施しようがなかった。

「ホルモンの悪戯」
その言葉は当時の自分は美容師である彼に言われるまで明確に言語化できてはいなかったものの、確実に心の中に蠢いていた悪のニュアンスを持った響きを総合した場合の名称であった。


彼女の勧めで美容師さんと出会った。

うら若き日の福永は上記のような悩みを打ち明けた。

美容師さんは
「いやぁすーごい毛量だね、もはやホルモンの悪戯だよ」と言った。
「でもめちゃくちゃ良い癖毛だねぇ、これならパーマかける必要ないんじゃないかな」
そして
「癖毛を活かすカットなら得意だから任せて、むしろ自信に変わると思うよ」

で、それから1時間後。

本当に福永の髪の毛は自信に変わったのである。
技術とは時に魔法なのだ、と思った。

彼は「制限はクリエイティブの卵だ」と言う。
明らかに自由な状況下よりも、なんらかの制限下でこそ人は新たなクリエイションを強いられ、それらの工夫の総合が文化なのだ、と。

そのメンタルは毛根を通じて現在の福永の体の芯に継承されている。

彼にとって福永の「ホルモンの悪戯」はクリエイションを勃興させるための有益な制限、必要悪となって立ちはだかったのだ。

髪が持つ形質は福永に長年悪き香りを燻らせ続けていた。
その特徴を逆手にとって彼は、自分のクリエイションとして昇華する楽しみの一部にベクトル変更をしてみせたのである。

美容師さんと出会って数年が経ったある日のこと、福永の中に「自分の髪の毛は、彼の作品であって、自分の遺伝的形質の現れではありながら、もはや自分自身のものではない」という念を明確に持った。

彼にその旨を伝えると、嬉しそうに笑っていた。
ペトロールズ・東京事変etcの長岡亮介さんが好きな車の前にいる時の顔を想像していただければ、大体それと同じ顔をしていた。
福永がかつて恨みを込めていた髪の毛に対して、彼はそういう柔和な表情をしたのである。
それが接客上のリップサービスの一環だったとしても、福永にとっては忘れられない表情になった。


出会って5年ほど経った頃、彼は自分の髭にパーマをかけて、いわゆる「カイゼル髭」の姿で福永を出迎えた。
自分の髭にパーマをかけて遊ぶのに今しがたハマっているのだ、と自慢げに毛先を人差し指と親指で摘んでみせた。

その奇妙な髭の質感に福永はすっかり魅了された。

そのパーマ、福永の髭にもできたりします?

彼の顔は一瞬曇った。
というのも、一応法的には、美容室はお客の髭をいじってはいけない、ということになっているようなのだ。

調べたわけでは無いが恐らく、髭を剃るためのクラシック剃刀を用いた施術には免許か何かが必要なのである。
福永もT字のクラシック剃刀を用いて日々髭剃りをしているのだが、なにしろ鋭い切れ味である。
全くの素人が顔面付近の毛髪を扱うことは危険である、として、一律に「美容室が髭を扱うこと」を禁止にしたのであろう。

曇った表情はコンマ数秒で晴れ、彼はいった。
「一応本当はダメなんだけど、個人的に…やることはできるよ」
そして
「ちなみにパーマ液、めっちゃ臭いし、目に入ったら〜なんてこともあるから、その辺も含め自己責任って感じになるけど良いかな?」



これは一応危険思想だ、という自覚はあるのだが、法律や制度、あるいは一般的な社会規範とは「目安」のことであると福永は考える。

それはこれまでの人々の経験と叡智の結晶の形であり、リスクやトラブル、不幸を未然に防ぐための防波堤である。
一定度のリスペクトを持ってそれらと接することには多くのメリットがあるだろう。
賢者は歴史から学ぶ。
自分自身が轍をつける前に、歩んできた人々の知恵の集積を理解し受け入れることが多くの場合において重要である。

そして日本社会は現在のところ民主主義を採用している。
民主主義の最も大きなメリットはなにしろ多くの人が採用プロセスの段階で「納得しやすい」という部分であろう。
独裁者が天真爛漫に「犬を大事にしないと実刑」と制定したところで多くの人にとって納得がしにくいことと、ちょうど対照的である。

一方で民主主義のウィークポイントを挙げるならば、それは「なにしろスピードが遅い」という点に集約されるだろう。
納得を得るためのプロセスに多大な時間がかかるのだ。
それゆえに、現在の感覚に対して常に法律や制度、社会規範が遅れをとる形になることは容易に想像がつく。
独裁政権であればそのスピードは瞬時である。
独裁者が「こうしたい」と言った瞬間が法改訂の瞬間になる。

…つまるところ、美容室が髭にパーマをかける・かけないという点に関して、法や制度の追随・ジャッジを待っていたなら、もう数十年の時を経ることなしに達成不可能なのである。

これが福永が法律や制度、社会規範が「目安」であると考える理由である。

民主主義は史上にも大変優れた仕組みであり、その結果紡がれてきた知恵の集積にはリスペクトを持って触れるのが良いと思う反面。
いつでもそれらは数十年、時に数百年の遅れを付帯する、という冷静な視点を持つのが重要であると考えるのだ。

少し話が広がり過ぎてしまったが。

こうして福永と美容師さんの密約が交わされた。
美容師が髭を扱う実質的な危険性について、福永は了承した上で個人的な施術を頼んだのである。

それはちょうど、深夜、寝静まった時間帯に赤信号を渡ることと同じである。
左右の確認を怠ってはならない、だが、信号が赤だからと言って立ち止まる必要性は薄い。
信号の存在意義やリスクヘッジの力について真剣に考えたら自然と導き出される、行動の自主的な規範である。

以来5年ほど、福永の髭は「カイゼル髭」であり続けている。
一方、美容師さん自身はさっさとそれに飽き、半年も経つうちにノーマルの髭イケメンに戻ってしまった。


昨日は「みちくさ」というライブイベントに出演させて頂いた。
そこに至るまでのバンドの17~8年の紆余曲折は

こちらの記事で書かせて頂いた。
この記事は当社比ではあるものの、大変ご好評をいただいた。
みんな意外と、バンドの話が好きなのだな、と感じた。
自分の中ではもはや血液になりかけている内容だったのだが、改めて書いてみることにある程度の価値を感じることができた。
たくさん読んでいただきありがとうございました。

さて、ライブをするにあたって、ボーカルの練習をした。

普段福永はCM音楽やソロアルバムでの制作においては基本的にインストゥルメンタル楽曲を制作することが多い。
ギターの練習やその他の楽器の練習は趣味であり、日課である。

その上で、福永は、aireziasにおいては一応ボーカルでもある

歌について、かつてはボイストレーナーについて頂いて盛んに練習をしたこともある。
自分の発声のうちどういった点が自分にとって・他人にとって魅力的で無いかを追求し、そういったウィークポイントを発見しては潰しにかかる。
それは真っ当な努力の一環のように思えた。

しかし十数年の時が暴いたことには…それはどうやら福永の趣味にはならなかった。
ごく正直にいうと、福永は自分の歌唱が好きじゃないのである。
好いてくれる人もいるので一応なんだか恐縮ではあるのだが、少なくとも福永にとって自身の歌は課題という認識が強いのである。

そして、ごく個人的には楽器の練習ほどの悦もなかった

aireziasにおいても、インストの比率を高めたり他のメンバーに歌ってもらうような機会が増えた。
楽曲と冷静な距離を引いてプロデュース的に眺めた時に、福永の歌唱こそがピッタリとハマるピースであるように思える機会が減っていった

つまり、ボーカルとしての自分には、あんまり執着を持てなかったのである。

ボーカルとしての自意識は日に日に減っていった
ところが、今回、ライブに向けて歌の練習をしていて気づいたのである。

生まれ持った喉ってのも、そこにいかなる執着を持って練習できるかという形質も、いわば『癖っ毛』みたいなものなのではなかろうか」

比喩ではあるものの、それはまさにホルモンの悪戯のように思える。
そうしてその「癖」がいかに自分にとって愛しようの無い特徴であっても。
愛せない「癖」を遺憾無く発揮する方向性でクリエイションを考える。
制限はクリエイティブの卵である。

これはまさに美容師さんが、福永の髪の毛に対して施した「技術を用いた魔法」のカラクリである。

福永にはその、成功体験があった。
美容師さんが福永の髪の毛を、悪きものからお気に入りに変えた、あの体験。

今回のライブに向けて、福永は歌を練習するにあたってのマインドを大きく変更した。
自分の喉が、生まれ持った所与の喉として最も自然に歌を歌う時、それはどのような状態のことか。
その癖を治すべき悪臭としてとらえず、生まれ持った特徴として捉える。
そして、その特徴が最も自然に表明される、極めてナチュラルな状態とは、どんなことか。どんな歌い方なのか。
「理想の歌い方」や「理想の魅力像」を渇望し、喉に強いるのでは無い。
この喉が最も自由に歌う、そんな発声を目指すのだ。

そんなことを考えて歌を練習してみた。
それは一種の達観であり、少なくとも福永はそうして発声された自分自身の声質に対して一定度の心地よさを感じることはできた。

もう少し簡単にいうと、歌うのが、以前よりも楽しいと思えた。



…たとえばこんな風に、とある成功体験は他の分野に対しても芋づる式に根を伸ばし、物事と感情の紐付きかたを変更しながら、浸透していく。

今ここに書いたようなことが、これまでの人生に、何度かあったように思う。

癖毛についての経験と実感が、ある一定の抽象性を持って、他の分野に広がっていく。それはちょうど、思春期、「たかが髪質が理由で段階的に自信を失った」あのプロセスと、ちょうど真逆をいく形である。

たかが髪の毛である。
しかし、その体験的な集積は物事のストーリーをどんな色で染め上げるか、という点で後々に至るまでさまざまな分野で広く作用する。

実はこれこそが、美容師さんが行った魔法の真髄である。
髪を切ることが、とある人間のスタンスに根幹に至る変更を加えてくれたのだ。

だからこそ改めて福永は思う。
この髪の毛は、そして今ではも、自分の毛髪でありながら、自分のものでは無い。
これは彼の「作品」なのである。
そしてその毛根から吸い上げるエネルギーには、ちょっと軽視できないものがあるのだ。


さて。

その美容師が現在所属していた美容室が、どうやら潰れていたのだ。

…これは一大事であった。
わずか数回のまたたきの間に、ここまで4000字ほど書いてきたようなことが頭の中を駆け巡った。

もう多分、この人に一生髪を切ってもらうんだろうなと実感していた。
なんなら、彼が店を畳んだり、病気になったり、寿命を迎えたりしたら一体どうするんだろうと薄ぼんやり考えたことすらあった。
今やこのヘアスタイルも髭も、名刺代わりのチャームポイントである。

(チャームという言葉を自分に向けて使うのはなんとも居た堪れないが、ここでは字義上のチャームというよりは、いわゆる客観的にみた時の「チャームポイントってやつ」である、ということが言いたいのだ。象徴、というか)

そしてその「一体どうするんだろう」という疑問に対して明確な回答を用意したことはなかった。
彼はまだ40代であり、美容師としての仕事を心から楽しんでいるように見えた。
だから、そんな日が来るとしたら、それは遠い未来のことであろうとタカを括っていたのだ。
いつかはその疑問に解を見出すべき日が来るのであろう。
でもそれは、今日では無い。

…さっきまではそう思っていたのだ。
だが、時刻はおよそ17:00、中央線にのりながらふとみたホットペッパービューティーの店舗検索欄に、お目当ての店名は2度、3度検索したところで、ヒットしない、これが事実となって実態を帯びて目の前に立ちはだかったのだ。



結論から言うと、なんとかしてその美容師と連絡を取ることができた。
彼は福永が絶望した日の17:00にも、これまでと変わることなく、別の店舗で美容師として腕を振るっていたのだ。

彼が以前に勤めていた会社に連絡するなど、なんとかして彼の現在の勤め先を突き止めた。



翌々日、彼の新たに所属した店舗に福永は初めて足を踏み入れた。
彼は「急にごめんね、こうなる予定ではなかったのだけど」といった。

そしてかくかくしかじかで急遽前社を辞め、今の店に移ることになったと言う旨を正直に教えてくれた。
そして中心人物であった彼を失った店は、閉じることになったのだ。
急だったので、一応ホットペッパービューティーのメッセージ(そんな機能あったんですね)をつかって常連客には通達したのだが…
「ほとんどの人はそんなとこみてないもんねぇ」と言った。
御多分に洩れず福永も気づかなかった。
そもそもホットペッパービューティーに登録しているメールアドレスが10年前の、今ではアクセスのしようもない旧携帯キャリアの化石アドレスであったことも、もしかしたら災いしているのかもしれない。

新しい店舗には「これ福永くん用にわざわざ持ってきたよ笑」と髭にパーマをかけるための細めのカーラーが持ち込まれていた。
「こんなの他に使い所ないからね笑」

髭にパーマなどと言う奇態な様相を初めて目撃したその店舗の若いアシスタントスタッフは「髭からカーラーを外す」という不慣れな行為を行う際に「うわー」と感嘆の声をあげていた。

「こう言う風貌の美容師が、こういう風貌のお客さんの髪を切って、しかも髭にパーマなんてしちゃうとさぁ、なんとなくこの場が排他的なムードになるでしょう、だから嫌なんだよね

感嘆の声をあげていた若いスタッフに、美容師はそんなことを言った。
その表情は苦々しいように見えて目の奥が笑っていることを福永は見逃さなかった。
福永は、その発言の内に見る「美容師がお客に対して気遣いする接待のモード」がまったくの0%である、と言う事実をとても快く感じた。

切り終えた髪を箒で履きながら、美容師は言う。
「相変わらずとんでもない毛量だねぇ、子犬一匹分くらいあるよ、プラスチックみたいに硬いし…こりゃあもう"ホルモンの悪戯"だよね」

そのキーワードは思春期の福永を呪っていたものであり、10年をかけて段階的に一転し、今ではポジティブな体温をさまざまな領域に拡げて心に巣食っているキーワードなのだ……なーんてことはつゆと知らぬまま、彼は10年前と変わらない口癖を、全く新しい明るい店内いつものようにつぶやくのだった。

「もう(美容師さん)にしか…髪は頼めないですね、どこにいこうと、仮にどんなに値段が上がったとしても

福永がそう言うと

「うん、まあ、そりゃあそうだろうねぇ」

彼は自信満々の表情で、以前よりも2000円ほど高くなった現在の価格を新しいお店の領収書に書き込んだ。

もしも「1カット¥50000」なんてことになったとしても福永はこの美容師さんの元へ通うことになるのだろう。
暖かい気分に浸りながらも、福永は、ぜひそんな日が来ないことを…切実に願うのであった。


ヘッダーの写真はアーティスト写真の没テイク(未公開写真)より、髪と髭がわかりやすいものを選んでみた。撮影はKana Tarumiさん。


本日はこれでおしまいです。

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