50万もするマイクを買う必要があるのか

Neumann u89iというマイクを購入しました。

Neumann u89i

庭で記念撮影しました。

このNeumann u89iですが、細かいことは置いておいて、値段が高いんですよね。

サウンドハウス 2023年8月

サウンドハウスという楽器や音楽備品がめっちゃ売ってる通販サイトがあるんですが、2023年8月現在、u89iは¥470,800です。

しかも、サスペンションホルダー(マイクを留めるための器具)だけでも¥58,300します。

新品で揃えるなら50万ちょっと。中古でもだいたい30万前後。こんなにお金使うなら…中古車でも買った方がまだ汎用性が高いんじゃないだろうか?
(今の時代車要るのか?みたいな話でなく、例え話です)

福永もぶっちゃけそう思います。


福永は(少なくとも今のところ)作曲家です。
作曲家は作曲、つまり曲を作るのが仕事。まあ当たり前なんですけど。

=音を録音することが生業ってわけではないです。
曲を作ることが生業です。似ているようですが、厳密には全然違います。

で、実は音を録音することが生業であるという職業があります。
それがレコーディングエンジニアと呼ばれる人たちです。

あるいは音を録音する環境を提供するのが生業という場所もあります。
それがレコーディングスタジオと呼ばれる場所です。

レコーディングエンジニアさんが高級なマイクを所有していることは世間的な「戦闘力」に直結します。
こういうマイクを持っているからこういう音が録れる、という信頼を購入できるのです。

…実際には、マイクがあれば良い音が録れるというものではありません。
そんな簡単ではないんです。

楽器(やチューニング)=演奏>部屋・空間=マイクの置き方>マイクの種類>マイクプリアンプなどのハードウェア

経験上この順番で大事です。

これはちょうど、PCからの接続が遠い順に重要度が高い、という並びになっています。

そしてそこには道具(マイク)の質以上に経験からくるインスピレーションや蓄積した方法論によって変数を司る職人的な能力が必要です。
だからわざわざレコーディングエンジニアという職業があるんです。
道具の問題ではないんですよ。

ただ、少なくとも、良い悪いはともかく有名で高級なマイクの所持は信頼感に直結します。個人的には、そうかな?ですが、そういうもんです。

つまり、投資として、回収しやすい。
そういうことになります。
レコーディングエンジニアの場合ならね。

次にレコーディングスタジオ。
スタジオの場合はもっと直結します。
信頼というよりもう、そのスタジオの価値の中に「使えるマイクの種類」が含まれます。
そのマイクが使えるからそこで録ろう、ということも十分ありうる。あんまりないけど。

先述の通り1本50万もする機材。
おいそれと個人が所有して使えるものではありません
その設備の力はそのままスタジオの戦闘力です。
(エンジニアさんもスタジオにあるマイクを使いこなせさえすれば個人所有する必要はないかもしれませんね)

一方。
作曲家にとってマイクを購入することは、投資とは言い難い。
良いマイクを持っているので作曲をあの人に頼みたい、なんてことにはならんと思うんですよ。
どんなマイクを持っていようと、良い曲が作れるならその作曲家に頼む。
で、録音のことは、録音のプロに頼めば良い。



次に。
あーこのギターの音はu89iで録ってるから感動するぅ〜!
ってspotify聴きながら思ってるリスナー、居ないですよね。
そんなことあるわけないんですよ。

マイクによる差は極めて微妙な差です。(けど確かに違うから困る)
以下、以前にも書いたことがあったと思いますが…。

1万の音楽機材と15万の音楽機材の差は結構ハッキリあります。
やっぱどんなにコスト削減しても、1万で売って利益を出そうとするのは難しい、ということなんだと思うんです。

一方、15万と50万に歴とした差があるかと言えば、正直微差なんですよ。
でも先述の通り差はあります。その差ってのは、個性に近い。
こだわりの世界であって、性能に差があるというよりは好みの差であるというのが正確だと思います。

従って値段が上がれば上がるほど純粋に性能が良くなる、ってもんでもないです。
もっと言えば音楽の場合(というより福永の持論で言えば本来はこの世のほぼ全て)性能が良いことと、感動するっていうのはまた若干ベクトルが違います。重なる部分はありますが、同一ではありません。

…じゃあ感動とはなんのことなのか、ということを考えたりします。
それについてはほぼ一日中考えながら生きています。
考えた結果思うのは、考えてもわからなそうだということです。
と同時に、わからないけど考え続ける価値がある、ということです。



お金を使うという行為は、同時に
「今時点から将来しばらくの間、お金があればできたはずの様々な選択肢を諦める
という意味です。

お金をいっぱい使った瞬間に、近未来のいくつかの選択肢は閉ざされます。

もちろんお金を使ったことによる選択肢の広がりもあります。

…この辺の軟弱な発想が、福永は、時代にフィットしていないなぁと思っています。
株式会社の基本は、借金をして、何かを始めて、後日利益を出して、借金を返して余りある利益をとっていくというシステムです。
お金をいっぱい使って、なんなら手持ちのお金以上に借りて使って、新たな価値を創造する。
これができる人が、金融資本主義上のゲーマーであって、「リングの上に乗ることができる人」です。戦う資格がある人。
資格があってはじめて勝ったり負けたりできます。

自己評価をするならば福永は過度にビビリなんですよね。
心配性と言っても良いでしょう。
ビビリはリングにすら乗れません。時代に乗り遅れているのです。

一方でビビリであるということはリスク管理という面では優れています。
まあ何事にも、良い面や悪い面や鋭い面や優しい面があります。
どんなことも多面体です。
とはいえ、ビビリが時代に合っていない、というのは恐らく間違い無いでしょう。


とあるスタジオの方は音楽機材にポーンと2000万を費やす代わりに、服にも暮らしにも、他のことには興味がないそうです。

こういうとんがってる人、憧れます。
まあそれはそれで困った一面もあるのでしょうけど。
やっぱりなにしろ、早いですよね。
目的がハッキリしていて、なおかつ思い切りが良い人。

福永は今、パッと2000万円を使って何か投資する勇気がありません。

こうして、うじうじ考えている間にも圧倒的に時間は経ちます。

しかも2000万円ではない。今考えているのは50万円のお話です。
借金をするというのでもない。キャッシュでマイクを1本買おう、という、リスクとしてはそれだけのことです。



とある友人は芸術家で、様々なベクトルで作品を制作しています。
少し前に自動演奏ピアノが作品の演出上必須となり、最初は使うたびに借りていたのだが、借りるたびにお金かかるし面倒だから買っちゃおう!

って感じで買ったのだといいます。中古で100万くらい。

自動演奏ピアノアーティストってわけでもなくて、色々やるうちの一環、というだけなのだが、友人に言わせれば

欲しいもんは買う、だからいつも金がないし、しょっちゅう借金をしている」
欲しいものを手に入れて何が悪いんだ」
「だし、たまたま中古で出てたから、逃したくなかったし」

話を聞く限り友人は「お金を使うことで、逆に閉じてしまうかもしれない近い将来の可能性たち」についてはミジンコほども心配していない。

むしろ作品を作るために必要なのに、買わねえのが意味わかんねえ、って感じなんだそうです。



とある友人はこないだ思い切って200万で中古のハイエースを買った。
彼はカメラマンであるため、別に仕事上回収可能な投資というわけではなく。

「ただカッケーから買った」のだという。

写真を見せてもらった。正直めっちゃ格好良い。

そのハイエースだが、相当古い型であるのが災いして、数ヶ月でガタが来てしまった。
現在入院中とのことだが、修理するためのパーツがみつかるかどうか…という瀬戸際らしい。あまりに古いために、パーツ1つとっても捜索は困難を極めるのだそうで。

直ってくれると良いけど…と言いつつ
「でも憧れの旧型のハイエースを買うことに決めて、少なくとも数ヶ月乗ることができたので、後悔はない」と。

福永は彼のその態度と表情にはグッと来ました。
「彼は良い買い物をしたんだな」と率直に思いました。

ただただ合理的に考えたら、アホな買い物かもしれない。
ミスと呼ぼうと思えばミスと呼べる箇所はきっといくらでもある。
けど人間ってそんなに単純ではない。
「グッと来ちゃう場合」があるんだから。



福永は他の作曲家と比べて、恐らく、異様に「楽器を演奏して、マイクで収音する行為」が好き、だと思います。
好きというか、多分病気みたいなものだと。

今の時代、わざわざ、楽器を鳴らす必要はないんですよ。
技術は非常に発展しており、PCの上で擬似的に演奏を完結できます。
おそらくそろそろ、作曲家の中にも楽器の演奏は一つもできないけど、みたいな、PC作曲ネイティブ世代が生まれてきます。いや、もういるだろうな。

打ち込みの音は綺麗だが生気がない、というのは年々技術の革新によって改善されています。
そして楽器の演奏と同じく「打ち込みを生演奏に限りなく近く/あるいは超越するほど感動的に鳴らす」のは、実は技術です。
演奏技能の鍛錬と全く同じことなんですね。
個人的には「今はまだ」生録音の方が優勢な場合があると思います。
適材適所だろうというのが現在のところだと思います。
若干ストーリーを欠く部分がありますけどね。打ち込み。
これ案外馬鹿にならない部分だと思うのですが、説明が難しい。

チェス将棋卓球の世界でマシンが人間を打ち負かす。
自動生成の画像や音楽が著作権フリーで誕生する。
長々しい話はchat GPTに要約してもらう。

テクノロジーの発達と音楽は無関係ではないです。
作曲家という職業がいつまで職業として成立するかは怪しいところです。
めっちゃ楽しいので生き残って欲しい、とは思ってますけど。

…そういうことを頭でわかっておきながら。
福永は多分、本質的には全然響いてないんですよね。
そういう世の中のベクトルが、全然響いていない。

それを老害と言ってしまえばそれまでだと思います。認めます。
でも、生楽器をマイクで収音する。
その時に頭を満たす情熱が、他のなにものとも置き代わらないんですよ。
少なくとも、今は。



多分ニュアンスとしては、万年筆で紙にメモを取ることや、Zippoでタバコに火をつけることと近いと思います。

古着屋でその服の買い付けにどんなストーリーがあったかを店員さんから熱く話されると、なんだかその服のことをいっそう好きになってしまうこととか。

Bibioが大学時代に研究したところによると不思議とテープで劣化した音の方を好ましく感じる人間は多いそうです。
どこまで学術的に有意な統計かは分かりませんが。


キリスト教ユダヤ教、中世では識字率はそう高くなかったわけですから、聖書が読めるわけでも石版が読めるわけでもない人が信仰していたということになります。

何が書いてあるかわからない石板に水をかけて、真剣に祈る。
わかるから祈るのではないし、合理的だから信じるのでもない。

フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教の「愛」を伝えようとした時、言葉選びに苦心をしたそうです。
日本の愛という単語には色欲的な意味合いも含まれている。
そうじゃなくて...なんかこう、キリスト教でいう愛を日本人に伝えるにはどうしたら良いものか。

ザビエルが選んだのは結局「大切」という言葉でした。



茶の達人は、丁寧に茶道具を整備し、落ち着いてから茶を立てる。

切り花の達人は、まず厳かに花を束ねる麻紐をほどき、丁寧に足元におくことから仕事を始める。

西洋的な合理性で考えるなら、達人は、そんな雑用は弟子や部下に任せて、達人にしかできない仕事に全うした方が効率が良い。

でもどういうわけか日本の達人たちは、それを部下には任せない。

ドイツの哲学者、オイゲン・ヘイゲルは日本で弓道、そして禅的な思想に触れながら、日本の達人たちの非西洋的な文脈の振る舞いを見て驚きつつも、以下のように感じる。

「達人たちが『達人的所業』をみせるには、まず前段で儀式というかルーティンというか、準備が必要なんだ。」
「それは合理的には見えないけれど、彼らにとって"大切"なことなんだ。」

そして、達人たちの仕事ぶりは、彼にとってはほぼ人智を超えたような、感動的なものであったようです。



Punch brothersの「The Phosphorescent Blues」(2015)
この所の福永の中の大流行アルバムです。
最新作も良いんだけど、2015年のリリース当時も好きだったけど、今改めてため息が出る。

人智を超えた、感動的なサウンドを感じる。
なんだろうこの、今ここで、演奏されているようなリアリティ。

福永の知る限りリアリティとは、技術的に欠損なく録音をするテクノロジーのことではないのです。

むしろ、人間の耳は、音を解釈とともに聴いている、と思います。
その証拠に、会話に「注目」している時、隣にいる友達の声は大きく聞こえて。
周りの「雑音」と判断した全ての音は小さく聞こえている。
物理現象がそのまま脳に音として届いてるわけではなさそうです。
もし我々が感じている音のリアリティを真に追求しようと思ったなら…

録音に解釈という名前の色をいかに創造するか。
そういう話になってくると思います。

そうなるとむしろ録音による欠損や味わい、非対称。
そういうものをいかに「上手に駆使して」グッとくる音を作るのか。

Punch brothersを聴いて今そこで演奏しているように聴こえるのは、ただそのままをデータ的に切り出したのではないはず。
どんなデフォルメをセンス良く施すか。その色合いの中にこそ目指したいリアリティが隠れている。



Punch Brothersのライブ

実はこのマイクがNeumann u89iです。

これがu89iであることは


Punch Brothers 2015年のツイッター(X)


2015年のこちらのツイートからわかります。

別に、Punch Brothersと同じマイクが欲しいわけではなかったのです。
同じマイクを使えば同じ音になる、という考えが浅はかであることは、少しでも録音をしたことがある人は全員心得ています。

楽器(やチューニング)=演奏>良い部屋・空間=マイクの置き方>マイクの種類>マイクプリアンプなどのハードウェア

前述の経験則

前述の通り、変数は大雑把にみてもこれだけあります。
細かく言えばもっとあります。

というか、ライブで使うマイクとレコーディングで使うマイクは同じではありません。
さらに言えば、2020年ごろから彼らはライブでもu89iでなくu47というマイクをおそらく使っています。

….これまでも似たように誰かの、何かのサウンドにハッと息を飲まされ…おそらくワクワクと悔しさが入り混じったような気持ちになりました。

現在はそれがPunch Brothersの8年前のアルバムです。
こんなことを多分一生やっていくんでしょうね。10代の頃から変わってないです。

あの感動に、何か一歩でも近づきたい。

…一方でここまで長々書いた通り、福永はビビリです。

費用対効果は?合理性は?回収可能性は?

迷いに迷って、2ヶ月くらいでしょうか。
マイクについて、死ぬほど調べまくってました。
しばらく睡眠不足でした。

なぜ睡眠不足なんだ、と思ったんです。我ながら。
しばらく調べまくっていて気づいたんですよね。
この「もっと良い音になるかもしれなさ」「ビビリ」矛盾の間で揺れること、その苦しみに動かされてマイクを調べまくることが、…実は楽しいのだ!と。

楽しくもないのに寝る間を惜しむ必要はないですからね。
もちろん悪夢にうなされて寝れないタイプの悩みではない。
であれば、楽しい、以外に説明のしようがないんですよね。

変にマイク(の情報)に詳しくなってしまいました。現行品からヴィンテージまで。
ただならぬ情熱が湧いちゃった場合にしか起きない感じの詳しさに。
そんなに沢山買うわけないんですけど。

色々調べて最終的にNeumann u89iTLM170(R)というマイクにターゲットを絞ってからは、この2機種についてネット上で読める/聴けるほぼ全ての記事を、あらゆる言語から翻訳して読み尽くしました。

上記Punch brothersのツイートはその際に発見したものです。
インスタ、ツイッター、フェイスブック上も検索できる分は全て検索したと思います。

…….もちろんこの時間は無駄なんですよ。

とあるスタジオの方は音楽機材にポーンと2000万を費やす代わりに、服にも暮らしにも、他のことには興味がないそうです。

こういうとんがってる人、憧れます。

羨ましいマインドの人

この気持ちは消えないです。合理的ですよね。
早く遠くに行ける、時代に合った人。

こうして考えると福永はとことん時代の潮流にあっていません。

合っていないんですけど、自分自身についてのみ考えるならば。
自分の内から噴き出すような興味・関心にごく自然に従うのが最も遠くまでいくための合理的な方法だとは思います。

あるいは、そこになんら合理性はなくとも。

それ自体が「大切」なんだと思うんです。
思うんです、というより、思いたい、に近いですけどね。
そういう考え方も、できる。言うなれば信仰ですよね。

「合理性」という言語では全く意味がわからない、読み解けないものでも。

読めない言語の石碑に水をかけ、真剣に祈ること。
茶道具や麻紐を厳かに扱い、非効率に作業を始めること。

大切。なんなのでしょうね。
考えるとよくわからなくなりますけど、考える前から身の内にあったもの。



何の間違いか知りませんが新潟のハードオフにu89iが¥220,000で売ってました。しかも、ショックマウント付き。
半額以下。
海外からの個人輸入ではないので、送料も圧倒的に抑えられる。

「大切」がどうの、なんて書きながら、結局実は、このウルトラコスパの良い中古品の出品が、購入の決意を固めてくれたのでした。
ビビリは一生治らない。…んでしょうねえ。

「このタイミングでこの出品…運命だ!逃してはならない」
無宗教のくせに思ったわけですよね。

2ヶ月にわたる長い濃い脳内討論を経て、新潟から到着したu89iは運良く、状態の良いものでした。
中古品は前オーナーの管理状況によっては音は出るけど劣化がひどいなどの理由で売り文句は「完動品」でも真面目に使用するならただちにオーバーホールが必要な場合も多いです。で、10万くらい追加でかかってしまう。

なので中古購入には気をつけましょう。




「モモ」に出てくるベッポじいさんは一歩一歩丁寧な掃き掃除をするやさしいおじいさんでした。
が、そのたっぷりとした掃除の時間をちょっと節約して時間銀行に預け始めると、穏やか(かつ無駄)な掃除の時間がカリカリしたものに変わってしまう。果ては顔つきまで険しくなってしまった。

星の王子さまキツネは王子さまに毎日毎日同じ時間に会うことを提案する。
しかも、いきなり親密になったりしてはいけない。
ほんの少しずつ距離を詰めていく。
毎日、この時間になったらあなたと会える、と思うようになる。
その時間が恋しくなり、来る日も来る日も楽しみになる。
そうしてほんの少しずつ近づいていく。
彼はそれを「愛着」と呼ぶ。



マイクが到着して福永は既に大爆発した愛着を埋め合わせるように300テイクほど録音をして(キツネには怒られそう)、様々な楽器に対してこの新しいマイクがどのように機能してくれるのかをひたすらに試しまくりました。

前述の通り、福永は「作曲家」であって「レコーディングエンジニア」ではない以上、投資とは言い難い浪費的な時間の使い方である、と思います。そういう自覚はある。
良い曲を作ること、それに対しての最短距離の努力ではないです。
それはわかってるんです。

でも、止まんないんですよね。困っています。
そして、止まらないことによって蓄積されていくものは確実にある。
それがまた厄介ですよね。

困ってる、と言うと友人は
興味のあることをやって、その裏に『これが何の役に立つんだろう…』が潜んでいるのは現代の大前提」と言い切りました。すげえな。

またとある友人は
獣医の友人がいるのだが、誤解を恐れずに言えば、ある意味最も『合理的ではない命を救う』職なのではないかと私は思う。で、そんな心優しく命に厚いはずの獣医の友人が、職場にいるイラッとくる上司に対しては「ミサイル落としてぶっ殺したい」と半ば本気で思っていたりする。つまり、その、矛盾する箇所、割り切れない余り、そういう部分がその人の個性の発露であり、面白みなんだと私は思っている」….鋭いことを言いますね。

そしてまた他の友人は
矛盾をエネルギーにするのがヘーゲルの弁証法以降、近代の基本的な人間のスタイルであると考えている」…あなたは哲学者の方…?

….ずいぶん変なこと言う友人が揃っていますよね。多少省略はしていますが、これ全部マジですからね。
正直福永は助かってます。ありがとう、変な奴ら。
友達に恵まれていると感じます。

そういうわけで福永は新たなマイクu89iを片手に、時代にそぐわない感情との矛盾をエネルギーの大元としながら、およそ資本を回収できる気配のない「マイクで音を録る」という技能に変な執着をみせ続けている所です。

そしてそれは、ぶっちゃけめちゃくちゃ楽しいです。

ここまであんまり書かないようにしてたんですが、溢れ出さんばかりのロマンを感じます。ごく個人的には。
楽器を鳴らす。録る。少しずつ組み上がっていく楽曲。
その中で手違いによるミラクルだって起こる。
この世になかったはずのものが、音の羅列が立体を帯びて、形になる….!

ロマンがある、なんて言ってしまったら「じゃあ買えば良いじゃん、よくわからんけど」で話終わってしまいますからね。
だからここまで書きませんでした。

まあ良く考えたら…野球、球をボールで打って何になるんでしょう?
そのために体を鍛え、精神統一を学び、卓越を目指して…
本当に鋭いところまで達人たちは研ぎ澄ませますよね。
福永なんかには全くわからない領域にまで。
そしてその姿が人の心に勇気を生み出すのは、WBCに熱狂する日本を見れば明らかです。

制限下の遊び、そこに全神経を注ぐ。
命に関わらないことに、全力を注ぐ。

そういうロマンが人間一般にあるという言い方もできるかもしれませんね。

ちなみにu89iの録り音は…
ものすごい好みでした。

どうものすごい好み音の音だったのか、についての考察を書き始めたらもう1万字書けるんですが、ほとんどの人にとって読んでも楽しくない、マニアックな内容になるのを避けられないと思います。

今回は音には殆ど触れないように気をつけながら高額マイクの購入にあたっての感情面の記録をつけてみました。高額っつっても半額以下で買ったんですけどね。半額でも高いものは高いです。そこの感覚は失いたくない。

タイトルの「50万もするマイクを買う必要があるのか」に対する回答を…あえて書くとするなら。
「福永には、恐らく、買う意味ありました。けど、まあ客観的には中古車でも買ったほうがよっぽど便利ですし、もっと有効なお金の使い方はいくらでもあります。」
「今の時代安くて良いマイクはいくらでもある、あとは好みの問題」
「もしかしたらあなたの道に、もはやマイクすら要らないかもしれない。打ち込みが大好きな場合には。心ゆく方へ向かうべきです。」

….正直にいうと、もう買ってしまった今でも、なんら結論は出ていないのです。
「矛盾がある。それは悩みの種であり、同時にエネルギー源である。」
それは例えば、「合理性」と「大切」の間をゆらゆらと泳いでいる。
泳げるうちはまだ良い。
歯切れが悪くて申し訳ないですが、確かなのは、それだけです。

この歯切れの悪さこそが今のごく正直な気持ちであり。
だからエネルギーが湧く、とも言い換えられてしまうんですよね。

あなただったら、どんなふうに考えますか?


本日はこれでおしまいです。

以下は、路上ライブで言うところの「ギターケース」のつもり。
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