ストロングゼロ

梶井基次郎

 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終抑えつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに二日酔いがあるように、酒を毎日飲んでいると二日酔いに相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺年齢73歳やメンヘラがいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しいアニメのワンシーンも辛抱がならなくなった。大きいスピーカーでspotifyを聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私をいたたまらずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。
 なぜだかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋がのぞいていたりする裏通りが好きであった。雨や風がむしばんでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、外階段が錆びていたりシャッターにテナント募集の貼り紙が貼ってあったり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるようなひまわりがあったりセイタカアワダチソウが咲いていたりする。
 時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが東京ではなくて東京から何千キロも離れた北欧とかスイスとか――そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、できることなら東京から逃げ出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとしたホテルの一室。清浄なふとん。においのいいアロマとパリッとしたパジャマ。そこで一月ほど何も思わず横になりたい。願わくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。――錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像のイラストレーターを塗りつけてゆく。なんのことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。
 私はまたあの花火というやつが好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい塗料で赤や紫や黄や青や、さまざまの縞模様を持った花火の束、ナイアガラ花火、手持ち花火、線香花火。それから鼠花火というのは一つずつセロハンテープで止めてパックに詰めてある。そんなものが変に私の心をそそった。
 それからまた、ハンドスピナーという片手で回転させる色とりどりな羽根車が好きになったし、ビー玉が好きになった。またそれをなめてみるのが私にとってなんともいえない享楽だったのだ。あのビー玉の味ほどかすかな涼しい味があるものか。私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られたものだが、その幼時のあまい記憶が大きくなって落ちぶれた私によみがえってくるせいだろうか、まったくあの味にはかすかな爽やかななんとなくポエミーと言ったような味覚が漂って来る。
 察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。とは言えそんなものを見て少しでも心の動きかけた時の私自身を慰めるためには贅沢ということが必要であった。200円や300円のもの――と言って贅沢なもの。美しいもの――と言って無気力な私の触角にむしろ媚びて来るもの。――そう言ったものが自然私を慰めるのだ。
 生活がまだむしばまれていなかった以前私の好きであった所は、たとえば無印良品であった。緑や茶色のアロマやスキンケア商品。洒落たグラスや丁寧な暮らしを感じさせるシュッとしたシンプルなソファ。ソーダガラス瓶、テーブルナイフ、天然石鹸、万年筆。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。しかしここももうその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。クリスマス特集、身なりのいい二人連れ、子ども、レジ、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。
 ある朝――その頃私はAの友達からBの友達へというふうに友達の下宿先を転々として暮らしていたのだが――友達が学校へ出てしまったあとの空虚な空気のなかにぽつねんと一人取り残された。私はまたそこからさまよい出なければならなかった。何かが私を追いたてる。そして街から街へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、金券ショップの前で立ち留まったり、デパ地下の寿司や明太子や湯葉を眺めたり、とうとう私は椎名町の方へ通りを下がり、そこのまいばすけっとで足を留めた。ここでちょっとそのまいばすけっとを紹介したいのだが、そのまいばすけっとは私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、イオン系列固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。酒類はかなり窮屈な冷蔵庫の中に並べてあって、その冷蔵庫というのもそれほど新しくもない旧式だったように思える。何か華やかな美しいディスコサウンドの流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝こり固まったというふうに酒類は並んでいる。生鮮もやはり奥へゆけばゆくほど窮屈に並べられている。――実際あそこのメキシコ産鶏肉の美しさなどは素晴らしかった。それから体に悪そうなスープだとかカット野菜だとか。
 またそこの家の美しいのは夜だった。池袋はいったいに賑やかな通りで――と言って感じは渋谷や新宿よりはずっと澄んでいるが――飾窓の光がおびただしく街路へ流れ出ている。それがどうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。もともと片方は暗い大学に接している街角になっているので、暗いのは当然であったが、その周辺が池袋にある通りにもかかわらず暗かったのがはっきりしない。しかしその周囲が暗くなかったら、あんなにも私を誘惑するには至らなかったと思う。もう一つは隣家のひさしなのだが、そのひさしが眼深に冠った帽子のひさしのように――これは形容というよりも、「おや、あそこの店は帽子のひさしをやけに下げているぞ」と思わせるほどなので、ひさしの上はこれも真暗なのだ。そう周囲が真暗なため、店頭につけられた幾つもの蛍光灯が驟雨のように浴びせかける絢爛は、周囲の何者にも奪われることなく、ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。裸の蛍光灯が細長い螺旋棒をきりきり眼の中へ刺し込んでくる往来に立って、また近所にあるドラッグストアの二階のガラス窓をすかして眺めたこのまいばすけっとの眺めほど、その時どきの私を興がらせたものは池袋の中でも稀だった。
 その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しいストロングゼロが出ていたのだ。ストロングゼロなどごくありふれている。がその店というのも見すぼらしくはないまでもただあたりまえのまいばすけっとに過ぎなかったので、それまであまり見かけたことはなかった。いったい私はあのストロングゼロが好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの蛍光色も、それからあの丈の詰まった円筒状の恰好も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を抑えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなにしつこかった憂鬱が、そんなものの一缶で紛らされる――あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。
 そのストロングゼロの冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺を悪くしていていつも身体に熱が出た。事実友達の誰彼に私の熱を見せびらかすために手の握り合いなどをしてみるのだが、私の掌が誰のよりも熱かった。その熱い故だったのだろう、握っている掌から身内に浸み透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。
 私は何度も何度もそのストロングゼロを鼻に持っていっては嗅いでみた。内容物のレモンの産地だというカリフォルニヤが想像に上って来る。漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった「鼻を撲つ」という言葉がきれぎれに浮かんで来る。そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸い込めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇って来てなんだか身内に元気が目覚めて来たのだった。……
 実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこればかり探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思える――それがあの頃のことなんだから。
 私はもう往来を軽やかな昂奮に弾んで、一種誇りかな気持さえ感じながら、美的装束をして街を闊歩した詩人のことなど思い浮かべては歩いていた。汚れたハンカチの上へ載せてみたりコートの上へあてがってみたりして色の反映を量ったり、またこんなことを思ったり、
 ――つまりはこの重さなんだな。――
 その重さこそつねづね尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔心からそんな馬鹿げたことを考えてみたり――なにがさて私は幸福だったのだ。
 どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは無印良品の前だった。平常あんなに避けていた無印良品がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。
「今日はひとつ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。
 しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げていった。スキンケアコスメにもアロマディフューザーにも私の心はのしかかってはゆかなかった。憂鬱が立ちこめて来る、私は歩き廻った疲労が出て来たのだと思った。私はセーターの棚の前へ行ってみた。セーターの重なりの中のを取り出すのさえ常に増して力が要るな! と思った。しかし私は一着ずつ抜き出してはみる、そして開けてはみるのだが、克明にサイズを確認する気持はさらに湧いて来ない。しかも呪われたことにはまた次の一着を引き出して来る。それも同じことだ。それでいて一度パサパサとやってみなくては気が済まないのだ。それ以上は堪まらなくなってそこへ置いてしまう。以前の位置へ戻すことさえできない。私は幾度もそれを繰り返した。とうとうおしまいには日頃から大好きだった白色のシュッとしたシャツまでなおいっそうの堪えがたさのために置いてしまった。――なんという呪われたことだ。手の筋肉に疲労が残っている。私は憂鬱になってしまって、自分が抜いたまま積み重ねた服の群を眺めていた。
 以前にはあんなに私をひきつけた服がどうしたことだろう。一着一着に眼を晒し終わって後、さてあまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変にそぐわない気持を、私は以前には好んで味わっていたものであった。……
「あ、そうだそうだ」その時私はビニール袋の中のストロングゼロを憶い出した。服の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度このストロングゼロで試してみたら。「そうだ」
 私にまた先ほどの軽やかな昂奮が帰って来た。私は手当たり次第に積みあげ、また慌しく潰し、また慌しく築きあげた。新しく引き抜いてつけ加えたり、取り去ったりした。奇怪な幻想的な城が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。
 やっとそれはでき上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐るストロングゼロを据えつけた。そしてそれは上出来だった。
 見わたすと、そのストロングゼロの色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと円筒形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は無印良品の中の丁寧な空気が、そのストロングゼロの周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。
 不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。
 ――それをそのままにしておいて私は、なにくわぬ顔をして外へ出る。――
 私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。
 変にくすぐったい気持が街の上の私をほほえませた。無印良品の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの無印良品がセーターの棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
 私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな無印良品もこっぱみじんだろう」
 そして私はアニメイトの看板画が奇体な趣きで街を彩っている池袋を下って行った。

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