会社をやめた

やめました。

仕事内容について詳述はしません。

とにかく虚しかった。だんだんと自分が肉の塊になっていく感覚が止められなかった。すべてが顔馴染みだけれど、意味が日に日に剥ぎ取られていく。これ以上僕の身の回りから感覚を失いたくなかった。

自分に労働は可能だとおもっていました。学生時代もアルバイトはできないことはなかった。何がクリティカルだったのかが分からない。できないことはないが、たいへん疲れる。それが積み重なった結果な気がする。

通えないことはなかったし、満員電車もコツをつかんでからはどうということもなかった。睡眠は失敗ぎみだったけれど遅刻にも寛容だった。労働の産物もほめられることは多かった。でも、とにかく虚しかった。もし致命的なものがあったとしたら虚しさだと思う。

「で?」「それで?」が脳内で渦巻くなかで手を動かすのはたいへん厳しい。けっきょく意味を見いだせるかが勝負だったのだろう。「なんのため」の連鎖を追いかけると途端に霧にぶち当たってしまう。

高級車やでかいマンション、子どもなどを望むひとたちの気持ちが分かるようになっていく。なんのため、の疑問に答えるために目的はストックしておいたほうがよい。それは何でもいいのだけれど、多くのひとと一致させるほうが生きやすい。ある種では意味を売る仕事をやっていたわけだけれど、僕自身が感じられないのならば意味がない。

視界から色が失われる。色と味は似ていて、それらの違いは分かるけれど乗っていたはずのなにかが失われる。きらびやかさ。刺す力。幸福感。なんとでも呼べばいい。

夏と秋の境目に気づかなかった。紫外線を通さない窓からはビル群も空もぜんぶ同じ灰色だった。起きるべき時間に目が覚め、降りるべき駅で体が動く。今日と昨日はいつも同じ。僕はやめるべきだと思った。とにかく意味のあるものが欲しかった。

大学では少なくともこんなことはなかった気がする。なにか新しいものがあり、正しいなにかに近づいている予感があった。前進ではなくとも、足踏みをしている感覚はあった。就職してからは完全な停止だった。いや、遠ざかっていた。

本にすがった。上司の目を盗んで純粋理性批判を読み直した。彼らは本当のことのために書いていた。生存ではなく。知らないことを知りたいと思った。失われないものや嘘ではないものが知りたかった。そういう気持ちを思い出した。生存はしょせん生存でしかない。何も入ることのない器を大きくし続けて時間切れになりたいわけではない。

僕はただ一点、僕自身を支えきれるような何かを探していたことを思い出す。目的、意味……呼称は何でもいい。この世界から抜け落ちないための何か。虚無へと落ち込んでいくあらゆるものを食い止めるための一点。失われないもの、嘘ではないもの、それを探す。僕は退職届を書いた。

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