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Sweet Bitter Candy

子供の頃、プロ野球(巨人)が好きになったのは、仕事から帰った父親が(ただボーッと)見ていたからだと、今さら気づいた。

巨人軍で、強くて、王(様)がいて、さらに紳士であれ!なチームが、万年6位のヤクルトを飲み干しちゃうのが特に好きだった。

こないだレトロで?阪神が着てたような、昔のただの白いユニフォームに憧れて、父のブカブカのやつを着させてもらい悦に入ってるような少年だった。

5年生のとき引っ越したタイミングで、やっと近くにあった(某アパレル企業の社宅の)少年野球のチームに入れてもらい、けっこう上手くてコーチに褒められたりもしたんだけど、でも練習に行かなかったんで仲間に入れなかった。野球って試合(ゲーム)を楽しむものだと思ってた。

遊びの野球が好きだったんだ。

中学で野球部に入っても同じで、もう45年くらい前の話になるけど、大事な試合で負けると丸刈り(当時は五分刈りとか三部刈りとか言った)の罰ゲームが嫌で嫌で。普通に最低限スポーツ刈りなんだけど、それすら我慢ならなかった。

要するに遊びの野球が好きだったんだ。

元々、社会的な自分が希薄なのだ。
(過剰な自意識とは裏腹にね。ご多分に漏れず)

あと歌謡曲が小学生の低学年から大好きだった。アグネス・チャンとかフィンガー5、三人娘では桜田淳子。

そういえば今週、生島ヒロシさんのラジオに出てたクリス松村さんが良かった。山口百恵を語ってて、当時のセンセーションが腑に落ちた。小学生には分からなかったんだね(小2とか小3でもエッチっぽい?のは分かって流行りはしたけどね😂)

それで姉が買ってた『明星』付録の歌本を、端から端まで読むのが好きだった。新曲のレビューを近田春夫さんが担当してて。それが初めて出会った「評論」だった。近田春夫さんは最初っから筒美京平や松本隆とかの歌謡曲作家陣や、今のシティポップ・ブームに繋がるミュージシャンや楽曲たち、佐野元春に佐藤奈々子なんかも当時から大プッシュしていたわけなんですよ(あと金井夕子を推してたよね。とにかく近田春夫さんは偉大なんですよ!)

なので当然、ジャニーズ系だって曲とか普通に好きだったわけで、フォーリーブスは『ブルドック』くらいだけど、郷ひろみから始まって世代的にはやっぱりたのきん、田原のトシちゃんのデビュー曲は、当時やっぱり聴き始めてた洋楽 レイフ・ギャレット『ニューヨーク・シティ・ナイト』のカバーだったし、マッチは松本隆×筒美京平の最強コンビをはじめ名曲の連発だったし。その後も光GENJIやKinKi Kidsやら…

だが、ジャニーズの表現は、そんな偏見を吹き飛ばすくらいの強度をもっている(矢野利裕『ジャニーズと日本』講談社現代新書より引用)

これ大問題だよね(何でやらないの?)

この本も、2016年12月初版の本だから、アップデートした『論』が読んでみたいですよね。いずれにせよジャニー喜多川氏の問題は、まだ知らないことも多いと思うので、それとしてきっちりやってほしいです。音楽と切り離して(切り離すのか切り離さないのかも含めて)

いつも上の空のボーッとした小学生、お勉強ができない中高生だったけど…でも劣等生でよかったかも?と思えることがある。

いろいろ自信が無いからか、興味をもった対象そのもの自体の価値を考えるのと同時に、それが(そのジャンルの)全体から見てどこに「位置付け」られるのだろう?そちらに関心が向かうようになったこと。無知がむしろ役に立つ疑問符が浮かびがちになったこと。

先週はツイッターで知り合った、同学年の(名前の無い)友人と吉祥寺までレコードを買いに行き、お茶して会話して楽しかったんだけど、ロックに救われた友人は、その乾いた音、歪ませたギター、ロックの「芸術性」をとにかく評価するわけだけど…

行きの電車で、今度来るモリッシーの話題から、スミスはファーストから聴いてた話なんかを聞かせてくれたけど…私がその日に買った『ALL ABOUT CORNELIUS コーネリアスのすべて』( Pヴァイン 2017年初版)では小山田くん、スミスのファーストとか、小沢くんと話すようになったきっかけとして挙げてましたよ!

ココ吉さんでやっと入手した。
小沢くん、よみうりランドだったんだ。

そんなわけでわたしは歌謡曲の「大衆性」への評価も、自分史から外せないってのがありまして、友人の「ジャニーズの寡占状態が日本の音楽をダメにした」(合ってる?)という考えには完全には同意できないのです。

ゆえに後に影響を受けることになった『ロッキング・オン』系の、「なにがロックでなにがロックじゃないか問題」で植え付けられた偏見への恨みつらみ?が、多分友人よりも根深いのだと思います(アイドルはおろか、昨年は誌面に野口五郎の名前が登場しましたからね!まあゴローちゃんは元々ロック好きなギタリストだけども)

何がロックか問題も(小山田さん問題とともに)時代的な文脈も含めて総括してほしい!と未だに思うのだけども、まあ要するにみんな「若かった」ってことですよね。皆さん名前を出して書いてらしたのに、こちらは名無しですし。むしろ音楽で遊ばせてくれたことに感謝!です。

「位置付け」の話に戻ると、1989年に2度、たまたまロリポップ・ソニック(後のフリッパーズ・ギター)のライブを観ることができたんだけど、わたしにとって ロリポップ・ソニック の衝撃は、お客もまばらな場末のライブハウスで、自分史上一番好き!と思えるこの音楽が、このロックっぽくないロックが(子供の頃の記憶を呼び覚ますような牧歌性や懐かしさすら呼び覚ます)そしてそれこそが今の(日本の)ロックに対する「パンク」であること…を直感したのと同時に、もしかしてこんなものが普通にあるのがインディ?東京?なのだろうか…という疑問とのせめぎ合いでした(つまり『位置づけ』の問題)

彼らもいつか『ロッキング・オン』に、ロックとして登場するのだろうか?

結論を言うと(その後ROに登場して)あらかじめ何がロックかなんて(あえて言えば)小沢健二も小山田圭吾も、はなからバカにしていた。直感が、一致した(果てしなく長くなりそうなので以下省略)

そしてここで今週のNHKです。
録画で観たNHK『おげんざんのサブスク堂』に出ていた羽生結弦に驚いた。好きな楽曲(でしたっけ?)で『化物』や『地獄でなぜ悪い』(映画は園子温じゃん!)を選んでいて。星野源の「闇」に共感するとか。

https://tmbi-joho.com/2023/08/13/ogens-yu/

フィギュアの演技においても「闇」を表現しているつもりだが、伝わっているかどうか…みたいな話をされていて、要するにここも評価する側が評価される側の知性や感性やらを同等以上に持ち得なかったら、そもそも正当な評価なんてできないじゃないか問題だった。

それと星野源!『地獄でなぜ悪い』って、前に自分がここで言った「夢」と「リアリティ」の問題に、答えてくれているじゃないか!と思った。

「闇」って要するに昔で言うニヒリズム、虚無主義のことですよね?違いがあるのかな。
とにかく星野源も羽生結弦も、ロックを超えてパンクなんだ!(と思った話でした)



「糖尿病学」界にもパンクがいた。

齋藤真也さん(noteに膨大な記事を書き続けてらっしゃる偉大な先達)

https://note.com/masaya59

『幸運な病 』齋藤真也 齋藤直子
(ジェイ ワイ エス株式会社)

自分の糖尿病体験を誰かに伝えたいと思い、noteに拙く書き始めたわけなんだけど、すでに大先達がいらして、ここでのコメントのやり取りからご著書をご恵贈いただいた。

糖尿病を最高に「面白がれる」人がいた!面白がれるって言うと、それを楽しんだり、あるいは斜に構えたところから笑って見たり、最悪バカにしたりってニュアンスがあるかもだけど、面白がるっていうのはそういうふうに、軽いばかりではないと思うのだ。一方で私ごときが何を言っても軽くなってしまう数々の実践がともなってらして…

全アンダーライン

Part4『食事の価値 続けられない食事指導』にいたる齋藤真也さんの思い、結論に至るまでの道筋が、とにかく素晴らしいのだ。

「戦略的食事作り」「未来を選ぶ」…最終章へと収斂していく齋藤さんの学びと実践が、それはそれは半端じゃないもので…


「患者は、血糖値の数字を表示するものではなく、その血糖値の奥底には、その患者の人生があり、尊重すべきライフヒストリーがある」

「血糖値を測定すれば生活の方向が見えてくる『糖尿病』という病で幸運でした。誰に愚かと言われようとも、自分の身体です。後悔しない人生を送りたいと思っています」(『病に向き合う勇気』P54 より引用)


タイトルを『幸運な病』とされたことに、
わたしは心から共感できるのです!

「人に物語あり」(©️宮台真司さん)に加えて、
「血糖値に物語あり」(©️齋藤真也さん)なのであった…

現実の問題に仮説を立て、本当の原因を探り、「新しいあり方」を作り出すことが仕事である。本職の「システムエンジニアの糖尿病学」なのだ。


必読本も見つけました!

糖尿病、ハンパないって!
こればかりは伝えなきゃいけない!
と思って始めたこの『note』なんだけど…

そらやっばり糖質・炭水化物を否定するのは人の楽しみを奪うようで…
鬼の所業てことも自分が平常を取り戻すにつれわかってはくるんだけども。


「食事の外注化」
ファーストフード、糖質ジャブジャブ弁当
「家族の外注化」
地域コミュニティの崩壊、核家族、老人介護施設
「政治、医療の外注化」
新自由主義経済、グローバル企業、医療の行政システム化
(=無誤謬・マニュアル化)
『3つの外注化(他人任せ)が災厄を生む』(P25より引用)


齋藤さんの本を読むことで
やはりオール外注化等の問題に思い至らぬわけにはいかなくなる。
そして自分自身を恥じぬわけにはいかなくなり、
少しずつでも食事を作ることができるようになりたいと思った。

齋藤真也さん、本当にありがとうございました。

わたしは「食べるもの」問題も、
真面目にジャニーズ問題と相似形だと思っていて、
間接的に「欲望」に関わる「ジャニーズ」と
直接的に「欲求」に関わる「食品会社」の違いはあるのかもだけど…

すべてお金を介して他人任せにしてきたツケでもって、経済が最優先でメディアやマスコミまでシステム化されてしまった(つまり本当に良い食事、悪い食事について電波に乗せられない状況を作ってしまった)

あらためて消費社会(批判)論を、自分らの世代を批判しつつやらきゃだよね。

それでも俺たち劣等生だったしなぁ。
友人の「『普通』ができる気がしなかった。それでも選択肢(逃げ道)が無かった」話を聞いて、自分も同じだったのに、すっかり忘れていい気になって喋ってるのを恥じた。

名前なんか無いけれど、
ほかの選択肢などなかった時代、
逃げずによくがんばってきたぞ本当に!

「俺らの頃は『人生』なんて禁句だったよね?」
「ネクラとかネアカとか言ってたやつら今どうしてる?」
(からっぽだから記憶がないと思う)

それでも大事なことは守らなきゃ。
はだしのゲンだってパンクじゃんな!
そういうパンクが失われてしまったんだ。

今の若い人ってどうして政治に怒らないの?
(息子に問うてみた)
「右も左もエキセントリックで関われない」
「あと余裕がないし」

エキセントリックなのは、
俺に言わせりゃ「位置付け」をしないから。
言わば信仰(≒カルト)みたくなっちゃうんだ。

なので趣味的な音楽の話から始まって、
ローカルな話のようだけれど「位置付け」って実は本質的だとも思う(要はみんな大好きな『歴史』じゃんな!)

同世代のサンプルは姉や弟や友人やら近い人だけど、一人ひとりは頑張って生きてきた。
一生懸命生きてきた事実を見れば、それぞれルールは守り、役割はこなし、真面目に生きてきた事実が立体的にはなる。

仕事の倫理性みたいのはすごくあるんだ。
よく言えばそういう真面目さ勤勉さはひとつの伝統なんだろう…しかしそれこそが独裁に加担してきた歴史もあるんだよね?
(劣等生は逆にプロ意識に欠けるとこある)

だがそれでも結果的にあらゆる「外注化」に、加担してきたことになってしまったのだ。もちろん俺たち世代だけの責任ではないにしても。

昭和の同世代よ、まだまだ頑張っていかなきゃだぞ!但しこれからは自分でレールを敷いて(ほんとオッサンみたくなってきた。オレ)

どうも長くなっちゃうな。

先週、突然おもいだした、子供がまだ小さい頃によく聴いてた大好きな曲を貼って終わります♪

まだまだ残暑が続きます。
引き続き体調には十分気をつけてください。
お忙しいなか読んでくださり、
心より感謝申し上げます🐱
(どうかご自愛ください)

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