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私は嘘が嫌いだ(小山田圭吾インタビュー『BUBKA』を読んで)

死んだ坂本龍一は、いつ頃から売れ出して、大金が転がり込むようになっただろうか?などと突然考えてしまった(阿部薫のCDを買って帰りに聴いてたこともあり)スタジオミュージシャン?アレンジャー?その前から売れっ子になっていったんだろうけど、まぁYMOが決定打で、「一家に一枚YMO」というのはコピーライトだけど、本当っぽくなってたよね。当時。

中2んとき、隣の教室から、AIWAかなんかのどデカいステレオラジカセで鳴らしてる『ソリッド・ステイト・サバイバー』(まぁテクノポリスとライディーンですよね)はオレの見た社会現象だし、何の予備知識もなくかかってのことからも、それは音楽自体のインパクトだったのは間違いなくて。つまり最初っからマイナー(サブカル)とかではないわけ。わたしの、そして社会の好きになったものが。歌謡曲、ニューミュージック、洋楽…と同列。全部メジャーの流れ。

高校になってYMOとか糸井さん(YOU !)とかが絡んだりしてRCとかシナロケとかが売れてきて、まあその前にアナーキーとかあったりして(上福岡だし。あと子供ばんど)そんで個人的には佐野元春が好きになり、尾崎豊と出会い…ってなっていくんだけど、そこまで全部マイナーって概念はないわけ(あ、その後のマイナー志向の話ね!)

そのうち高校も終わり、自動車整備の専門校に行くかってなり、でもウチ貧しくて、何十万の学費なんて出してもらえないから新聞奨学生になろうと読売ランドでの研修に出掛けるとき、駅前の書店で何気なく『宝島』を買って行った。暇つぶしに。

合宿所では、群馬から来たワルが夜にはハイテンションになって「オイお前!ちょっとエロ本見えるように持っとけ!」とかさっそく始まったり、大人しそうに見えた子でも「おっ宝島!読むんだね」とか話しかけてきたり、埼玉よりも群馬や茨城とか、離れていく方が(ワル度は予想されるけど)むしろサブカル度が高いんだなって、後から気づいたりもした(足立区の住み込み新聞配達はスーパーカブを乗りこなせるようになる前に辞めてしまったけど)

そんで、フリーター(という死語すら生まれる前の話だ)となった1984年は尾崎豊を追っかける年になったし(デビュー直後だけどまぁメジャー)、二部学生となった翌1985年に出会って仲よくなった友人(やはり福井だとか茨城出身の)との交流により、初期の『ROCKIN'ON 』や『ガロ』だとか、池袋東武の上の方にあったレコ屋行ったりとか、マイナーチックなサブカル志向が強まっていった。

個人的には『宝島』が好きで、新宿アルタ前のライブに人が集まりすぎて話題になったインディーズ御三家(有頂天、ラフィンノーズ、ウイラード)では有頂天が好きになり、何度もライブを観に行ったりした。今だと全然普通の行動というか、何の特筆感もないんだけれど、ネットがない時代には、そういうマイナーな動きを追うことの特別感って、確かにあった。


今週たまたま夜学の友人が送ってくれた


ポニーキャニオンからメジャーデビューする際には「ポスト・サザンオールスターズ!」とまで期待された有頂天だけど、残念ながら失速し(デビュー盤も好きだけどね)その後わたしはニューエストモデル(~ソウルフラワーユニオン)やボ・ガンボスが好きになっていった、んだけれども…

夜学を無事に卒業しても、まだアルバイター(だねやっぱ)してた 1988年に、こんな自分語りして、もはや消去されかけている記憶を掘り起こしてまで、今回言いたいことのキーとなる人物との出会いがこの頃にあって。


バイト仲間のYくん。が、音楽をやってるって言うのでどんなの?と聞けば「フォークロック」だと言う。ボブ・ディランかなぁ、サイモン& ガーファンクル?とか想像しつつ、こっちは「ニューエストモデルとかボ・ガンボスが好きで…」って返すと「あ~黒っぽいやつね。ヨコノリの」。


年が明けて、そのYくんがやってるバンドのライブをがあるっていうんで(誘われたわけではなく。話の流れからしてもわたしが聞き出したんだと思う。改めて調べると1989年1月18日 原宿クロコダイル)夜学時代の友人を誘って観に行った。


ブルーハーツも好きだけど、ボ・ガンボスを観に行ってたその頃、直感だとか偶然とか、成り行き任せに音楽を探してたその頃って(あとアイデンティティか)今まで聴いてたのより、上手いなぁ、理屈じゃなく、体が動くって楽しくなるなぁ、ってモードの時期だった(ヨコノリ、か)

なので、Yくんのバンド文句なしに良い!ではなかったけれど、何だか良い!と思った。「変な節回しがクセになりそう」(当時ROのレビュー)確かに。別の回路が開いた感覚。そしてその後に出てきた対バンの、ロリポップ・ソニックは、さらにそれが極まった感覚を覚えてしまい、初見の初聴きで中毒になるという、なかなかあり得ないことが起きてしまった(あ、テクノポリス以来か?)


アルバイトに戻り、Yくんにとても良かったと感想を伝え、あの「偏差値の高そうなバンド」のことにも触れて(以降ロリポップ・ソニックは『偏差値高そうバンド』になった)また観に行くねとなって、実際そのすぐ後、1989年3月2日、吉祥寺の曼陀羅でのライブに再びの対バンを観に行った。


Yくんバンドとロリポップ・ソニックの、何にそんなに惹かれたのか?たぶん知らない世界(にこんな良いものがまたまだある!という扉)だったから。そして知らない世界を見せてくれる人たちって、簡単に種明かししてくれない。し、当人たちも「複雑なものを複雑なまま」大事にしていたいところがあるんだろう。きっと。


そのYくんもそんな感じで、大事なことは気安く語れないとでも言うような、高潔なたましい(というか精神というか)に参ってしまった、わたし。ロリポップ・ソニック、とその周辺(すべてのネオアコも含め、勝手に一緒くたにしてるかもだけど)


Yくんバンドは、Yくんのお兄さんも中心人物で、その頃出したオムニバスのレコードが当時『ROCKIN'ON 』のレビューに載った件でやり取りさせてもらったことがあって。でもしばらくして、わたしみたいな「わかってない」のは勘弁なのか、いつしかブロックされてたりする。きっと嫌なんだろう、ってことだろう。そういうのも、嘘がつけないんだろう(あんまり積極的に言いたくないことではあるけど。話の都合上言った)


家が貧乏で低辺校出身のわたしが、そんなことがあって思うのは、やっぱ「文化資本」のこともある。孤高のネオアコ(マニア)になるには、まず好奇心の強さや、教養の深さが不可欠だろう。真剣さ、みたいのも必要だろう。でもバックボーンのこともある。要は「文化」と「資本」に恵まれている(いた)かどうか。

フリッパーズ・ギター。本当のことが知りたくて、嘘っぱちしか言わない。ひねくれ。全部が嘘の世界。でもそれだけが高潔さを感じさせてくれた。

だけど裏を返せば、それは時に排他的とも言えて。知らないことを軽蔑する。もっと言えば、とにかく馬鹿がキライ! アメリカ文学のこともビートニクのことも、ニューウェーブもろくに知らないんだからね(そんなやつとは話もしたくないんだ)


小山田圭吾さんの騒動が起きたとき、小山田さんはたぶん何も言わないだろうという確信があった。山崎洋一郎氏もそれは同じだと思っていた。言ってもわからない、通じないものには絶対に言わない、主義、な、はず。


片岡大右さんがその真相とも言うべき記事をネットに書いてくれたとき、そしてそれが『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか』(集英社新書)という本にまとめられて出版されたとき、だからこそ、わたしは嬉しかった、のです(それは『そんな話では絶対にない。誰か書いて!と願っていた』などとAmazonのレビューに書いてしまった通り、なのです)


そう、そんなわたしですらツイッターで「小山田さんは完全無罪」などとイッチョ噛みし始めたのは、小山田さんも、さすがに完黙は通用しない?と(謝罪文もそうだけど)『週刊文春』に出たときに初めてヘルプ!? を感じて、あ、だったら言ってもいいか、寧ろ言うべきレベル! と思ったからだ。

当時、ツイッターで「小山田さんは完全無罪、ヒドイことを言ってしまっただけ」(本当にそうだと思ってる)とか言ったら、「本人が認めて謝ってるのに!迷惑なことを言うな」などと批判されたりしたけど、本人が言えないことだからと思い、わたしにしては積極的に言うようにしてた(ちなみに今の常識では「ヒドイこと言う、言った」も厳しいと思ってますよ)


そして先日発売された『BUBKA』(2024年 3月号)吉田豪さんの小山田圭吾インタビュー、豪さんみたく「通じる人」(例えば当時バンドブーム的なことがいかにカッコ悪く、仮想敵だと思ってた同士。そしてパンク、NW等の音楽に異常に詳しい、根がUKインディー同士)ならこんだけじっくり話すんだなって、昔とちっとも変わってなくて、嬉しくなり、安心した。

読み込んだ(どんだけ好きなんだ~)



小山田さん、やっぱどうしても嘘がつけない人なんだと思う。

ビバデスの第1回目
カジュアルシックな最先端人間たち
スカパラとビッグマウス対決!
遊佐未森 ディスってる~


読んでくれてありがとうございました!


(今回は糖尿病が無い~)


大森さん(ZOC)の新曲を貼って終わります♪















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