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ことばを紡ぐ

ことばを紡ぐということは、誰かに伝えるために、わたしの本当の思いを形にすることだろうか。

高校生から大学生にかけて、死ぬほど手紙を書いた。
始まりはきっと、母の日の感謝だ。一緒にイベントを大成功させた友人には、若気の至りでしかないことばを。もちろん片想いだったあの子にも。
高校最後の登校日には、四十数人のクラスメイト全員に、決して少なくない文量の手紙を夜通し書いた。
「手紙は一晩寝かせて読み返せ」なんて、まだ知らなかった頃のことだ。寝かせるどころか寝ないで書いたのだから。
サークルを引退する時には、大好きな後輩たちの大好きなところを、余すことなく手紙に込めた。
「後は頼んだ!」って、照れくさい先輩ヅラもしていたな。

わたしが書くのはいつだって、ラブレターなのだと思う。
あの人の顔を思い浮かべると、楽しかったこと、助けてもらったこと、あの時かけてもらった何気ない一言たちが、鮮明に思い起こされる。
それを噛みしめながら手紙を綴る、こんなに素敵な時間はない。
感謝と愛をたっぷりことばに込め、零れ落ちないように封をする。
きちんと届くかなと、わくわくとどきどきに満たされながら投函する。
数日後の「届いたよ!」という少し上ずった電話越しの声を聞けば、わたしまで嬉しくてたまらなくなるのだ。

なぜこれほど手紙に惹かれるのだろう。
口に出すのは小っ恥ずかしい、わたしの真実の思いや感謝や愛なんかを、わたしのことばで表すには手紙しかなかったからだろうか。
口下手で、ことばで人を傷つけてしまうことを恐れてしまったわたし。
いくらでも時間をかけて、あなたへの思いを確かめながら綴ることができる手紙が、きっと性に合っていた。
あなたに思いを馳せ、一つひとつゆっくりと、でも確実に、感謝や愛の物語を形にしていく。
糸を縒るようなこの作業がまさしく、ことばを紡ぐということなんだろう。
わたしが言いたいことばでなく、あなたに伝えたいことば。

きっと、そういうことだ。

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このnoteは、先日参加したpalette主催の「ライティングMeetup」での課題を加筆修正したものです。

課題のテーマは、「初めと終わりが決まっている文章」
初めは、「ことばを紡ぐということは、」
終わりは、「きっと、そういうことだ。」

ライティングMeetupについてはこちらをご覧ください。


サポートをいただいたら、本屋さんへ行こうと思います。