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パリとアムステルダム、歴史と芸術の旅。【パリ編】

もう一ヶ月も前のことだが、パリとアムステルダムに旅をした。旅の目的はゴッホ美術館に行くことだった。それが祖母の夢のひとつだったのだ。今回は旅の前半、パリ編をお送りしたい。

フィンランドのヘルシンキ空港を経由して、まずはパリへ。飛行機の中では、3本の映画を観た。やりたいことはどこへ向かおうとも変わらないのである。

先にパリに来たのは、ロンドンに住む従姉妹がパリならば2連休を利用して来れるということと、パリに住む祖母の兄、大叔父さんのボブに会いに行くためだ。そう、ボブである。見間違いではない。自分のルーツの欧州ぶりに驚く。

御年94歳の大叔父さんはずっとパリに住んでいて、かつてはジャーナリストだった。ニューヨークなどでも活動したそうだが、もうそれは何十年も前のこと。目も悪くなってしまった今、大好きなドライブも「事故を起こしてしまう前に」と泣く泣く諦めて、ゆるやかに穏やかに晩年を過ごしている。

大叔父さんお気に入りのレストランでランチを食べた。昼間からワインを嗜むのも当然のことだ。「乾杯」のカジュアルな言い方のひとつとして、みんなで「Tin-Tin!」と声高らかに言ったのだけど、日本語での意味合いは伝えないでおいた。

ところで大叔父さんは、1940年、ドイツ軍によるパリ陥落を経験している。レジスタンスに参加しようとしたものの、若年ゆえにそれは叶わなかったという。ぼくが教科書でしか知らないことを、大叔父さんは経験していた。自分のルーツの欧州ぶりに再び驚く。

1793年に開館したルーブル美術館、1889年に完成したエッフェル塔もまた、その時代を知っている。

かの皇帝ナポレオンが1806年に建設を命じ、30年後に完成したエトワール凱旋門は当のドイツ軍によるパリの無血入城を見下ろしていたし、シャンゼリゼ通りによって凱旋門とつながっているコンコルド広場に至っては、ルイ16世とマリー・アントワネットの処刑を見届けた。パリにはそんな歴史があるのだ。

コンコルド広場の中央には、エジプトにいたムハンマド・アリーという王さまから贈られた「クレオパトラの針」と呼ばれるオベリスクが設置されている。これは元々、ルクソール神殿というところに対になっていたものらしい。

また、その昔アレクサンドリアにも対になっている「クレオパトラの針」があって、それは今はロンドンとニューヨークに設置されているという。

ちなみに現在のコンコルド広場ではクレープやワッフル、美味しいけどやたらでかくて食べるのがしんどいチュロスが売られている。

そのチュロスは、ポージングまでこなすおじさんが揚げまくっている。

昨年開館したイヴ・サンローラン美術館にも行った。美術館としては少し小さめなのだけど、イヴ・サンローランによるデザイン画や、本人がセレクトした「保存すべき作品」を堪能することができる。ファッション好きにはたまらない場所だ。チケットの裏側までもがステキ。

そして劇的におすすめなのが、ジャック・ジュナン(Jacques Genin)のチョコレートだ。世界的なショコラティエが生み出すチョコレートはそれはそれは絶品で、そのビジュアルも、ほぼアート。

ぼくの母にお土産に贈ったあとで感想を聞くと「これ食べたら普通のチョコレート食べられへんわ!」との返事がきた。たぶん嘘だ。関西人特有の盛りグセである。

しかしながら美味しいのは事実だ。それは嘘じゃないし、盛る必要も全くない。次にいくときは併設のカフェにも行って、「シャレにならないほど美味い」とウワサのミルフィーユも食べようと思う。

何度目かのパリだったけど、やはりとても綺麗で素敵な街だった。

もうひとつ驚いたことがある。今回一緒に旅をした父方の祖母は、フランス人とイギリス人の曾祖父母の間に生まれているのだけど、その曾祖父母の出会いは第一次世界大戦だった。

当時、イギリス軍の兵士だった曽祖父は仲間たちとともに、北フランスにあった曾祖母の家に隠れさせてもらい、イギリスに逃げ帰る機を待っていた。そこには何人かのグループがいて、曽祖父はその内のひとりに過ぎなかった。しかし彼だけがパリに住んでいた経験があり、フランス語を話すことができたのだそうだ。

自分のルーツの欧州ぶり、その不思議な偶然に驚くばかり。これを運命と言うのか、奇跡のような偶然と言うのか。それはわからない。しかしそれがなければ、間違いなく今はない。歴史とはかくも不思議な一面をもっている。

ものっそい喜びます。より一層身を引きしめて毎日をエンジョイします。