石本正_桃花鳥_とき_1960年

十の自意識過剰

0.
愛情に復讐心が絡むのはこの世でどうしたって避けられないことよ。


1.
書く友人ができて初めて書かれる対象になり、大いに衝撃を受けた。
初めて自分が誰かの物語に登場できて驚いた。嬉しかった。
人から見た自分がどのようであるのか、陳列されて客観視できたのが初めてであった。
私とはこのようであるのか、と感心する。「つるりとしたひたいに」とある。可愛くて嬉しい。賢そうで嬉しい。
それにしても、描写された私の振る舞いはどうにも痛々しくて、見ていて心がひりひりする。その痛みは新しく、圧倒されるほど官能的であった。

これまで、私が人について書いて喜ばれたり嫌がられたりするばかりで誰も私について物語ってはくれなかった。心の底で寂しかった。
ずっと、私は私の意識のなかにしかいなかった。私が死ねば私は死んでしまうことが寂しかった。私について誰とも本当には共有できないことが寂しかった。


2.
書いて喜ばれたり嫌がられたりする。
「それについては書かないでくれ」「書いたことを消してくれ」と言われる。「なぜ書くのか、迷惑だとわからないのか」と言われる。
どうしてお前はそんなにも思い至らないんだと叱られることもあれば、至極申し訳なさそうに謝られることもある。
いずれにせよこの上なく情けない気持ちになる(言うまでもなく、ここで「書く」とは様々な行為を代表している。例えば「親に紹介する」とか)。
あなたに言及されて嬉しいけれど、あなたに表現されて嬉しいけれど、それを誰にも見せないでくれ、と言われる。

「内緒の話をしましょう」と、額を近づける人。


3.
誰かが「私に居る」ことが嬉しくて仕方なくて、犬が尻尾を振るみたいに書く。描く。話す。歌う。
公に大公開する。みて、この人が私にいるよ、この人に私がいるよ、と。どうしても大公開したくなってしまい大公開する。すると迷惑がかかる。

もしかすると、人にとって私と関わっていることは内密にして伏せておきたいような後ろ暗いことなのかもしれない、と気づき始める。
それは穢れであったり、性的であったりするのかもしれない(直截に言葉どおりの意味ではなく、比喩である。言葉どおりの意味の方がよっぽどましだったのだろうが)。

隠匿すべきものであるのかもしれない。
私という居処は、公にはできない場なのかもしれない。
それは穢らわしかったり性的であったり、反道徳であったり不倫理であったり、泥遊びのようであったり卵遊びのようであったり、閉ざされた部屋であったりするのかもしれない。


4.
まだ十八の娘であった。冷たい感触ばかりよく覚えている。
公衆に私といるのが恥ずかしくて、その大きな手で私の右腕をつかんで野球場から連れ帰った人を。小雨の日を。南青山の白い壁、並ぶ瀟洒な小窓、群青色の屋根群を。


5.
私はごく私的な公共空間を手作りし、人を招き入れる。いらっしゃいと言うがごゆっくりと言わない。察しがよく心優しい招待客たちは皆、頃合いを見て立ち去ってゆく。
私は自分が帰ってほしそうな顔をしたくせにいざ立ち去られて濡れた子犬みたいにしょげかえって、一人ぼっちの公共空間を占有した。
「よいものを買うわりに愛着しないね」と、親しい人。


6.
公的な場で私に会いたがる人間がいないので、仕方なく社会で成員をやる。
しかしながら、公的人間たちは公的な場を私的な場らしく演出してもらうのがお好みらしく、目を見てじっと笑む。
「ここでしか言えないのですが……」
状況は詮方なき点対象をなす。
点を境に寂しさが裏返って、さて何になる……


7.
この、この私。この私に愛されていながら、あなたはそのちっぽけなプライバシーすら投げ出さないという。明け渡さないという。
あなたが犯す禁忌の責任を私だけが引き受ける意味がわからない。
私に明け渡してよ。明け渡し、暴露され、傷つくことできちんと責任をとってくださいよ。自分が犯した不徳の責任を。
私は穢れとしてひた隠しにされる屈辱の痛みをこらえるのをやめて、あなたに痛みを突き返したい。私が今痛んでいるのと同じかそれ以上の痛みを、あなたが大切にしているその表向きの場で、おおやけで、日なたで、一人で孤独に受けてみて。どんなふうに感じるか教えてくれなくていいから、一人で勝手に悶えて。 

私に見えないところで、でも私のせいで、勝手に傷ついてください。自分がどんな傷を私につけているか知らず、私がどんなふうに苦しんでいるか知らないのと同じように、私の知らないところで私と同じように私によって傷つき苦しんでくださいよ。
それでようやく対等。そうでしょう、ねえ?


8.
一つの愛情に絡まりついた無数の復讐心をほどきながら、今度こそ絡まることなくそれぞれにただ在れ、と願う。
一つの光を求めて伸びぬよう、太陽を二つに分けてやれればよいのだろうか。

あれは夏の朝、山の上に祀られた連理の木を見た。
楓と杉とが根元で癒着結合し、同化した幹の有り様に寄り添いあう男女の永遠を象徴させているその名付けは、幼い私の他者との癒着願望をうっとりさせたものだった。

五年ぶり、二度目のその山上で、また同じ夏の朝、また同じ連理の木の前に立って、いまは一人である。

一人きりで自由に仰いでみれば、木は根元の癒着をあっという間にほどき、それぞれの楓と杉として空へ伸びているのに気づいた。
なあんだ、と言って大きく笑った。笑って、笑い終えると執着から放たれて、水の流れを追いかけるように下山した。

同じくらい傷ついて対等になってみても、あるいはそれ以上に相手が傷ついたことを知っても、いいことなんか何もなかった、と記憶を辿る。
未練の形をとって美しく擬態する復讐心は、内側でどろどろと腐って悪臭を放っていたことだろう。
復讐が成就して地獄の螺旋を転がり落ちるような結末ならば願い下げだ。

丁寧にほどく。
今度こそ絡まることなく、ただそれぞれに在れ。


9.
「その日だけど、パーティーにお誘いしてもよろしいですか?」

予想外の誘いをうけた。

「私なんかがご一緒していいのでしょうか」
「ええ、もちろん。こんな直前に無理を言って、申し訳ないのですが」

たじろぎながら承諾する。
指は小刻みに震え、心は喜びと動揺と不安の入り混じった、必ずしも明るいものとは言い切れない舞い上がり方をしている。
あなたは隠匿しなくていいのですか。
あなたは私を恥じないのですか。
手をとって連れ出してくれるのですか。
ごく私的な、小さくて内的な公であるが、それでも公には違いない場処に。
ささやかで、ひそやかで、けれどもおおやけである場処。

「内緒の話をしましょう」と、額を近づける人。

「それから、内緒じゃない話もしましょう」と、とりどりの皿を載せたテーブルの向こうで微笑む人。 


10.
私は自分の口にしたことをせりふとして書く。
「あーあ、誰も誰もが世界に復讐しつづけているね」

それから、彼女の返事をせりふとして書く。
「あなたはいいことを言うねえ」

後に続いた言葉は書き出すことなく、一人きりでゆっくりと咀嚼する。
「復讐心に愛情が絡むのは、この世でどうしたって避けられないことよ。」

内緒の話を、一人の夜の部屋でぼんやりと反芻する。
「自然にしていても、僕たちは最適解をとれる気がする。」

目を閉じて声を思い出す。目を閉じて笑顔を思い出す。
書く、書かない、書く、書かない、
選んだものだけ携えて、自らおおやけに出る。
手を取られ、手を取り、しっかりと繋いだまま、怯えを足首に残しつつ、私は暴力的に眩しい公共空間へと歩み出る。