時々映画の悪口を言いたくなる

友達とLINEで話していて久々に『ラ・ラ・ランド』の文字列を見て、ああ嫌な映画だったなあと思い出し、苦虫を噛んだような顔をした。むしゃくしゃイライラして悪口を書く手が止まらない。観た当時は泣きじゃくって嗚咽してこんな映画は嫌いだと感情的なことしか言えなかったけれど、今ならもっと悪く罵れるだろう。罵ってやる。あの映画を好きな人には悪いが、私はあれがめちゃくちゃ嫌いなんだ。拷問されても好きだなんて言わないぞ。

『ラ・ラ・ランド』がどんな映画だったか、思い出さないようにしていたのでほとんど記憶にない。当時、泣きながら映画館を後にした私は自分があの物語に深く傷ついたのがなぜだったのかあまり考えたくなくて、形式のことを何とか悪く言えないかに躍起になっていた。事実、サムかった。こんなにおサムい映画にこんなにも大勢が熱狂しているのが本当に気に入らなかった。2017年に発生したドライブデートのBGMの多くがララランドのサウンドトラックだった。メジャーは残酷だ。品川埠頭で聴くララランド。レインボーブリッジで聴くララランド。吐き気がする。ララランドをBGMとしたドライブデートでは全ての橋が崩壊し車内でシートベルトが絡まって死んだ。

ああいう「もしあの時」を提示するパラレルワールドで殴る型の作品が本当に苦手で、トラウマというやつなのだろう。『ブルーバレンタイン』も初めて観たときはしゃくりあげながら盛大に泣いた。二度目はぴくりとも心が動かなかった。ブルーバレンタイン抗体ができていたので、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』もセーフだった。どんどん強くなる。ララランドもきっともう平気だろう。でも、だからといってもう一度観たいとは全く思わない。

ああ憎い。あの映画にメロメロになっている人間は、ディズニーランド中毒者よろしく確認作業に耽って同じところをぐるぐる回るのが大好きな尻尾付きの人間なんだろう? いつだってアヘ顔でノスタルジーに淫し、付き合い始めた頃に流行っていた音楽をずっとカーステレオで流して、ラブホのポイントカードの枚数を数えて喜びながら老いていく地方都市の恋愛至上主義家父長制家族群。テレビが大好きでコントが始まって5秒で笑いたくて癌で死ぬ妻に奉仕する夫の姿に涙して己の全体主義に無自覚で、自分の人生を肯定するためなら他者を全否定することも厭わない。そういう感性がああいうどっかで見たことあるようなわかりやすい良さに反応して安堵するんだろうが。マイルドヤンキーめ。ほぼモンキーじゃねえか。

それでかれらはエマ・ストーンがちょっと酷い目に遭うのを見て下品なカタルシスを感じる。エマ・ストーンみたいな美人が酷い目に遭うのを見て自分のルサンチマンが温まって気持ちよくなる。自己の残虐な本性に無自覚だからそういう要素があって自分がこの映画を絶賛していることに気付かない、なぜなら自己の善良と物語の善良を信じ切っているから。自己の暴力性にとことん無知だから。頭大丈夫か?

ところで私はジャズマニアではないので映画に出てくるジャズ知識やジャズ言説が正しいのか間違っているのかはわからないが、ジャズをこよなく愛している男が主人公なのに奴の演る音楽がジャズだった場面が一箇所でもありましたか? いやわからんけど、知らんけどジャズってあんなんでしたっけ、あんな聴きやすいんでしたっけ、素人耳にはわかりませんけど、現代のジャズがどのようなものかも全然まったく知りませんから音楽のことはこれ以上言えませんけど。でもとにかく罵れるところは覚えている限り罵りたいので言ってやったぜ。あんなのジャズじゃねえんだろ。多分。

ラストシーンにエマ・ストーンが大女優になってるのもどうした。プロデューサーと寝たのか? だってこの映画たしかそういう話じゃなかった? 境遇に「だけ」恵まれない女がなかなか女優になれない話。努力が報われない傷を舐め合う話。別にラストで登場した未来の(現在の)彼女が女優として成功している状況を清く美しき成功だと映画が主張しているわけではないので、その映画の上で空白になっている経緯がどうでも構わないのですが。だとしてもそこで挿入される「美しき再会と叶わなかった共に在る道」演出は押しつけがましくないですか。あからさまにそういう「二人の道は離れていったけれどそれぞれに綺麗なストーリーを歩み努力の結果夢を叶えました」の(映画における)リアルストーリーを想像させる圧力かけてるじゃん。『セッション』においてあんな恐怖と暴力についてのカタルシスの提供と操作を図ったチャゼル監督がそれについて無自覚なわけないし、無自覚だったらとんだバカだ。とにかく私はチャゼルの乱暴に腹が立つ。あれに振り回されて喜んでる皆様におかれましては全員マゾ。

いやしかし本当に演出にもストーリーにも何の目新しさもなかったし、ノスタルジーで評価されたとしか思えない。鈴木清順へのオマージュがあったから何だっていうんだ? 映画ファンに媚びて暴力をごまかしやがって。DVのやり口と完全に一致じゃねーか。泣きを入れるな泣きを。わざとやってんの見え見えなんだよ。ああっ、チャゼルが憎い、チャゼルが嫌いすぎてそればっかりになってしまう。個人の品性を攻撃したくなってしまう。どんどん口が悪くなる。

いや私が個人的にチャゼルが憎いのはいいとしてだよ。本当に謎なのでララランドが大好きだった人に聞きたいんですけど、あの映画のどのへんに快楽と興奮を感じたんですか。駐車場のダンス、キラキラしてきゅんきゅんした? 黄色いドレスが可愛かった?いや確かにエマ・ストーンもライアン・ゴズリングも最高の俳優だよ。で? タップシューズの音にレトロでキュートな響きを感じた? 紫がかった暮れかけの夜空の色がファンタジックで恋っぽかった? 展望台の薄ら寒いマジック・リアリズム演出、そんなにときめいた? ドキドキした? ステキ!って思った? りぼんの古い少女漫画みたい? 恋って空を飛ぶような気分だよねって思った? ほんとに? 繰り返すが頭は大丈夫か?

というのをね、思っていても社会人としてとても口には出せないけれど思ってます。口には出さないですけど。職場のお姉さんがララランド大好きでさ、そのひとグリーも大好きなの、ウキウキするのが好きで可愛い女性なのよ。私みたいにひねくれてないの。ごめんね悪口言って。そういえばなぜか知らんが『ベイビー・ドライバー』はクソ VS『ラ・ラ・ランド』はクソ、というチーム分けがある。それは映画がどうのというより音楽に対するスタンスによるんだけど。ララランド褒めてるやつはベイビードライバーはクソダサいと思っているし、ベイビードライバーにノリノリだった奴はララランドを拒絶している。そしてそのいずれの人間にも、あれらの映画を作るだけの力はないのだ。

時々映画を悪く言いたくなる。映画に傷ついて映画に八つ当たりしたくなる。
それは、ただただ私が狭量で臆病なだけなんだ。好きな人間にしか笑わされたくない、心を動かされたくない、好きな人間にしか殺されたくないだけなんだよ。映画もとんだとばっちりだよね。