彼女の死をちょっと羨ましいと言うあいつのほうがよっぽどマシ

2018/1/24

友達が死んだ。
「友達が死んだ」と言っていいのかわからない。
大学のころ仲が良かったのは間違いない。大学のころ仲の良かった女の子が死んだ。
大学のころ仲が良くて、卒業してからは疎遠になっていた女の子が死んだということを、彼女が死んでひと月もたってから知った。
それも人づてに知った。彼女との共通の友人だとも思っていなかった人から知らされた。


伊織とは三年生から学部が同じで、毎日のように授業に一緒に出ていた。
私の進んだ学部は妙な募集制度をしていて、すごく優秀な生徒か微妙な落ちこぼれかしか入れないところだった。
彼女は優秀だから来たほう、私は落ちこぼれて来たほうだったけれど、私のほうがいつもなぜかえらそうだった。
点数が取れない人間というのは点数が取れなくても平気でいられるふてぶてしさを備えているものだ。

通っていた大学では、三年次から進学する専門学部を一二年次のテストの総合得点によって決める仕組みになっていた。
上位得点者の彼女はつまり、求められる努力をきちんとこなすことのできる優秀な学生だった。

定員が少ないので、みんな学科の垣根を越えて仲良くしていた。
なかでも寂しがりの人間は、確実に顔見知りがつかまるからと喫煙所に足を運んだ。
私もそれを機に喫煙を始めた。
待てば誰かに会える場所で、堂々と誰かを待っていたかった。
理由なく人に会うための理由が欲しかった。

私と伊織は喫煙所でふたりきりの女だった。
みっちりと厳しい授業を受けた放課後、暗くなった原っぱでよく顔を合わせた。

禁煙化の波に押されて隅に追いやられて、暗い原っぱに灰皿が突っ立っているだけの寂しい喫煙所だった。
今日のあの授業がおもしろかったとか、今度こんな舞踏の公演があるとか、最近読んだ本がどうとか、卒論がどうとか、就活がどうとか、彼氏とどこに行ったとか、こんなひどいことを言われたとか。
煙を白く燻らせながら、毎日、とりとめもない話をした。

同じく寂しがり屋の同級生たちからは、喫煙所の女はエロいとか、喫煙所の女はやれるとか、そんなからかわれかたをしていた。
でも本気で言ってるわけじゃない。誰かをわざわざ傷つけたいとか踏みにじりたいとか思っている人は誰もいなかった。私も伊織も、ねーよ、と言って笑っていた。
喫煙所に来るような人間は、みんな心が優しくて繊細で、ひねくれていても根底のところでは他人のことが好きだったと思う。そこでは傷つくことすら優しい出来事だった。

でも、確かに伊織は色っぽかった。
美人で、背が高くて、肉感的で、明るい髪をショートカットにして、外国語を堪能に操った。
いつも笑顔で、心が優しくて、笑うと目じりがとろんとした。友達が多くて、誰とでも明るく接して、ダンスが上手で、お酒が好きで、隙だらけで、しょっちゅうお酒で失敗していた。
優しすぎるくらい優しくて、いつだって人を気遣って、いつだって自分のことより人のことを心配して、いつも少し困ったような泣きだしそうな顔をしていた。 

伊織は弱かった。
伊織はいつも頑張っていて、いつもよくできた。なんでも真面目によく頑張っていた。
伊織は決して手を抜かなかった。そうしてきちんと成果を出した。
いつも失敗に怯えていた。間違って、失望されることを恐れていた。

見た目の派手さに反してすごく繊細な子だった。
好きな人ができれば、好かれるかどうか不安で不安で仕方なく、いつもの泣きそうな顔がさらに涙ぐんで、常に半泣きみたいに声がふるえた。
学食でトマトをつまみながら「そいつにさあ、私たち付き合ってるの?ってちゃんとききなよ」と語気を強める私に、「そんなことをして駄目になるのが怖い、むり、きけない」と体に似合わぬか細い声で返す。そういう子だった。「伊織がいい加減にされてるのムカつくよ」と舌打ちすれば、彼女は泣きそうな顔で笑って「ありがとう」と言った。
幼稚な私は伊織の気の弱さに時々苛立っていて、棘のある言葉を投げつけたことだって少なくなかった。
それでも伊織はその棘のある言葉をきちんと飲み込もうとして喉を傷めてくれた。
伊織はいつも真面目だった。
私の適当な叱咤なんか、「なにも知らないくせに」と怒って棄ててしまっていいのに。
自分が傷を引き受けることに、あまりにも鈍感な人だった。


毎日一緒に過ごしていた。
私にとって伊織は日常だった。
そのせいか、伊織と話したことをほとんど覚えていない。
授業前の教室で、放課後の学食で、図書館のラウンジで、喫煙所で、延々おしゃべりしていただけだ。写真も残っていない。
けれど、彼女の表情を鮮明に覚えている。
水色のまぶた、赤い髪、綺麗な形の眉の下がる様。
ばかだな。不器用に傷つくばかりで。
本当にばかな子。

伊織も私も、就活はあまりうまくいかなかった。
結局ふたりとも不器用なところはそっくりだった。
へとへとになるまで就活して、早く勉強に戻りたいね、疲れたね、とお互いを慰め合って、なんとかやり終えたときには二人とも疲れ果てていた。

卒業後は疎遠になってしまったが、時々、共通の友人から伊織のことを聞くことがあった。
鬱になって休職したと聞いて大丈夫かなと心配したり、そこからまた復職したという話を聞いて安堵したりした。
彼女が鬱らしいと聞いたとき、私は鬱の人間に適切な言葉をかける自信がなくて、というか鬱の人間にかけるべき適切な言葉を考えるのが億劫で、飲みに行こうと声をかけなかった。伊織を思い出していられないくらい、私もいっぱいいっぱいだった。
なので復職したと聞いたときは安心した。自分の罪が水に流れたような気がした。


死んだ人間に対して、なんで死んじゃったの、と責め立てるのは正しいふるまいの一つなのだろう。すごく感情的な反応で、それを見た周りの人間も腑に落としやすい。共感しやすい。
わたしも、なんで、と責めようと思った。でもやめた。
彼女が生きていたときに彼女が死なずにいることを放任して、彼女が生きていることに無責任だった人間に、死んでほしくなかったなんて言う権利があるんだろうか。無責任な「生きていてほしかった」をわざわざ死者に投げる必要があるんだろうか。

彼女が死んだと聞いたとき、涙は出なかった。

伊織は私の中でずっと、「死にうる人」だった。
ああ、死んだか、と思った。感情が動かず、悲しくならなかった。
もう4年も伊織とは会っていない。連絡もほとんどとっていなかった。これから先、もう伊織に会うことはない。死んでしまったから会えない。だけど、もし伊織が生きていて、どこかで偶然出くわしたとしても、伊織と私がまた密に連絡を取り合ってしょっちゅう飲みに行くような関係になったとは考え難い。その場で懐かしみあって、またねと言って再び疎遠になるだろう。伊織は丁寧な人間だから、まめに連絡をくれるかもしれない。けれど私がそれを蔑ろにして終わるだろう。
だから、私に伊織の死を悲しむ権利はない。大学時代の私にはその権利があったかもしれないけれど、今、手放してしまった関係を惜しんで嘆くなどという浅慮で無礼なことはしたくないと思った。

彼女が亡くなったと知って、伊織のFacebookを見に行った。彼女の身内が代理で彼女の死について投稿していた。伊織は荼毘に付されました。近日、偲ぶ会を催します。
生前、彼女の優しさを享受した人が追悼コメントを投稿している。彼女には外国人の友人も多かったし、歳の離れた人間ともニコニコとなかよくしていたので、そういう人々が「伊織はとてもいい子だった」「伊織を忘れない」「とても悲しい、涙が止まらない」と長文の投稿をおこなっている。

別に悪いことではない。彼らの文化における彼らなりの方法で伊織の死を悼んでいるのだろう。でも、私は辟易した。気持ち悪くてうんざりして腹が立った。伊織を軽く扱うな、こんなところで浅はかな悲しみなんか表明するな、と激しい怒りを覚えた。頭に血が上った。
ばか。伊織のばか、友達くらい選べ。ばか。

伊織は優しくて、優しすぎて、誰にでも好意を向けられる人で、誰のことも軽んじたり蔑ろにしたりしない人で、だからこそ私は彼女と一線を越えて仲良くはなれなかった。彼女が彼女らしい天使の好意をもって私と親しくしてくれる、その方法は私にとって素直に親しむことのできる好意の在り方ではなかった。私は本当に子どもだった。いくらだって後悔できる。
でも。確かに私はこの幼稚さゆえに彼女に寄り添ってはあげられなかったけれど。それでも、彼女がその天使の好意で分け隔てなく接した人々が、どうせ忘れるくせに「忘れない」なんて言うような人間であることが腹立たしい。どうせすぐに笑顔に戻るくせに、「悲しい」なんて人の目に触れるところに平然と書きこめてしまう人間であることが本当に腹立たしい。

伊織のばか。自分で生きられないくらい弱っていたのに、どうせ人前では大丈夫といって笑っていたんだろう。本当にばか。
生きるのに疲れ果ててしまうほど、真面目にくよくよ考え込んだんだろう。適当にやればいいのに。適当にやるやり方を私は伊織に教えられなかった。点数がとれなくても、褒められなくても、ばかにされても、ふてぶてしく開きなおるやり方を私は伊織に全然見習ってもらえなかった。あんなにずっと隣にいたのに。
ニコニコ笑って優しくしてくれた伊織がなぜ死んでしまったのか、ちゃんと考えもせずにあんなコメントを書いてしまえる友達ばっかりつくって。どうせそいつらは伊織のいいところしか目に入れなかったんでしょう。ばか。ニコニコしてなくても優しくしてなくても綺麗じゃなくても伊織は伊織だったのに。点数が取れなくても業績を上げられなくても人の期待に応えられなくても辛い恋なんかしなくても、伊織は伊織だったのに。誰もそれを教えてあげなかったんだろうか。誰も。私も。伊織が死ぬまで伊織の苦しみを考えることのなかった私も。

悲しいなんて綺麗な感情で簡単に楽にならないでくれ。他人事として悲しんで、それでおしまいにしないでくれ。どうせ忘れるくせに、忘れて笑って生きていくくせに、忘れないなんて簡単に書かないでくれ。

偲ぶ会には出席しない。Facebookももう見ない。私は伊織のことを悲しまない。自分の非力を死者に謝ることもしないし、伊織と疎遠になったことを自責もしない。そのかわり、この無力感も後悔も無視しない。
それが何になるのかわからないけれど、無視しない。冥福を祈って終わらせたくない。私は伊織の死をおしまいにしたくない。


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※一年前、彼女の訃報を受けて率直に書いたものを微調整して、このたび記事としたものです。その後新たに判明したことや思い直したことなどがさまざまにあり、現在の意見を示すものではありません。先日、ご家族のもとへ弔問に伺ったことで考えが変化した感触があり、その変化にじっくり向き合うための土台としても、当時の思いを残しておきたくて掲載しました。この文章を公開することが正しいのか間違っているのかについてはまだ結論が出ていません。