生き延びるために必要なたった一つのこと

繰り延べにしてきた食事の予定をもう一度繰り延べようとしたら、「わがままを言わせてください、どうしてもこの日に会いたいです。特別な日なんです」とひきとめられた。
年下の女の子だ。三つか四つ年下の、すらりと背の高い、手足の長い、目のかたちの美しい透明な女の子。
そんな可愛いわがままを聞かないわけがない。特別な日に会いたいだなんて、一生で何度お願いされるだろう?

ゆっくり話を聞くために、軽いコースを供す店を予約した。
女の子は、薄く質の良い生地が体の線を美しく見せる、ロング丈のワンピースを着て現れた。
黄味でも、ピンク寄りでもない、本来のベージュ。翳りの差すベージュ色。

「戦闘服を着てきたんです」女の子ははにかむ。
「明日、恋人に別れを告げるつもりなんです。けじめをつける日なの。だからどうしても今日お会いしたくて、強くなりたくて。わがままを言ってごめんなさい」
彼女はたしか二十三か四かそこらだったはずだ。そんな年齢の子にとって恋人と別れるのは地球の滅亡とほぼ大差ない。その目が真っ赤になるまで泣いたのだろういくつもの夜を、私もよくよく知っている。
滅亡前夜に私を選んでくれてありがとう。
明日からの新しい彼女を守るために、すべての言葉を彼女に与えようと思う。

***

ホームで女の子に見送られて乗った電車で窓の暗さを眺めながら、凛子のことを思い出していた。
もう五年ちかくも前になる。
二十二、三のころ、十もはなれた美しい女と遊んでいた。

凛子は別格に美しかった。
つんと尖った鼻先、透き通る瞳、アーモンド型の大きな目、薄くて形のいい唇。完璧な造形をして、頭の先から足のつま先まで手入れが行き届いていた。
それでいて、いたずらっぽい笑顔が愛らしい。ちょっとずるいくらいバランスがとれている。
少年のような小柄で華奢な体をしていながら、明らかに大人の女性だった。それも「美しい女」。誰もが彼女に焦がれた。男も、女も。

初めてできた年の離れた女友達が、そんな美しい女だった。
若さになんて何の価値もないのだと痛感した。傲慢にとろけた頭を鈍器で殴られたみたいだった。
彼女の一寸の過剰もない仕草に対峙して、私はあまりにも野暮で粗雑だった。
黙ったままで相手を屈服させる目線の使い方も知らない。彼女を真似てあらゆる仕草をあらためた。
年齢を重ねることを恐れなくなった。そう望みさえすれば、歳とともに美しさは増していくと目の当たりにした。

凛子は(、私は若さにまかせて憚りもせず彼女を呼び捨てにしていた。凛子は)しょっちゅう私を夜遊びに誘ってくれた。
大酒が飲めてそこそこ会話の相手になって、隣にいても見栄えを損なわない程度にはきちんと着飾ってこられる。
私は選抜に合格したらしかった。誘われるのが嬉しくて仕方なかった。
引き立て役を連れて回ろうだなんて思いつきもしないだろう気高い彼女に、連れ合いとして選ばれたのが誇らしかった。
こんな素敵な女と、夜の街をわがもの顔で歩き過ぎるなんて、まるで自分まで素晴らしいものになったかのようだった。

週末ごとに夜の街を闊歩した。昼の街だって大笑いしながら闊歩した。世界は私たちのもののように思えた。

「あなたといるとねえ、不思議といろんなたくらみがうまくいくの」
道玄坂のてっぺんで少しずつ夜に薄い白が混ざっていく空を仰ぎながら、凛子が穏やかに笑っていた姿をよく覚えている。
「そんなのいつものことでしょ?」
「ううん、他人が思い通りに動くのも、予想外のおもしろいことが起こるのも、一緒にいるときだけ。一人じゃ退屈してばかり」
あんな美しい人にこんな承認をうけて、誰がよろこばずにいられよう。

凛子と遊びまわるようになって、それまで山ほどあった怖いものがどんどんなくなっていった。
誰かの評価にあんなに怯えていたのが嘘みたいに気にならなくなった。
だって凛子が私を認めてくれている。
姿が醜いと罵られても、そんなことないでしょ、と笑い飛ばせるようになった。
だって凛子の隣を歩いている。
女の年齢と市場価値のグラフを突きつけられても全然怖くない。
結婚適齢期? 妙齢? 誰が決めたの? 笑える。
そんなもの、とうに過ぎているだろうに誰よりも美しい女の隣にいて、そんな寝言を聞き入れる意味がわからない。
誰に委ねることもない。人生の手綱は自分で握るものだと、彼女が身をもって教えてくれた。十も年上の美しい女。

女が生き延びるために本当に必要なのは、男の庇護でも、社会の承認でもない。
ただ一つ。美しい女に認められることだ。

***

人もまばらな夜の電車で、私はあの子にとって凛子のような存在になれるだろうか、と考える。
指先に目を落とすと、忙しさにかまけて疲れ果てたままの、ぼろぼろの爪が醜かった。

私は凛子のように完璧な美人ではないし、彼女のように全身全霊を美に懸けるような人生を選んではいない。
それでも、凛子にもらったこの強さを、この肯定を、全能感を、充実感を、誇りを。
誰かに手渡す番がまわってきたことを思う。

年下の女の子たちよ。
誰かに侵害されて泣かないで。誰かの評価に傷つかないで。
あなたがたは美しく、望めばすべてが思い通りになるだけの力をもっている。
あなたがあなた自身を認めてあげるだけで、あなたを害するすべてを撥ねのけられると知ってほしい。背筋を伸ばすだけで、世界は変わるのだと。

手渡す先の、年下の女の子たちのために、私は背筋をきちんと伸ばしていなければならない。
爪も磨こう。肌も整えよう。体を引き締めよう。笑顔を見せよう。
私に肯定されるすべての女の子たちの、肯定感の確かな根拠となるために。

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