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消去法でライターになりました

別に文章を書くのが好きだったわけじゃない。あとライターになんてなりたくなかった。ましてや、フリーランスなんて今でも嫌だ。

僕はずっと人に見せるために何かをつくることが好きだった。自分が考えたことで人に喜んでもらうのが好きだった。

文章を速く書くコツという内容を読むと、まず「書く内容を決めること」とよく書いてある。僕はたまたま「文章への目的意識」が強かった。

就職活動でもいつも文章が評価された。僕が最初に入った会社はテレビの制作会社だったが、そこでも足切りの「作文課題」の話が最終面接でも出た。

作文課題は「最近あった面白い話」というものだったが、僕は「曾祖母の四十九日で足が痺れて仕方なかった」という話を、とにかく「臨場感」を大切にして書いた。その話が特別面白かったとは思わないが、きっと「他と違うものを書きたい」「個性を伝えたい」という僕の意図が伝わったんだと思う。

僕はその後、ADを辞めて、転職活動をすることにした。2社目でも文章が僕を導いた。適性検査で「採用すべきでない」という結果が出たにも関わらず、社長が僕が書いた作文を読んで「この人が必要だ」と感じ、作文だけで面接に呼んだらしい。

作文課題は「当社の商品を広めるときに何が大切だと思うか」という何ともありきたりな課題だった。しかし、その時に「ざっくばらんに書いてほしい」ということを社長が言った。だからこそ、僕はとにかく「ざっくばらん」に書くことを意識した。

その会社もしばらく勤めて、また転職をすることに。そのときは「職務経歴書」が褒められた。僕はこれまで特にスキルがあったわけではないので、僕に「スキル」とか「即戦力」を求める会社は初めからマッチングしないと思っていた。そこで職務経歴書には、それぞれの仕事でどんな思いでどう努力したかということをざっくばらんに書いた。

すると「ポテンシャル」とか「人柄」という、何とも曖昧なフレーズでどんどん面接に呼んでもらえた。僕のスキルからすると、こんなに書類を通過するのは意外だった。でも、結局最終面接で「スキル不足」で落とされていった。やはり対抗でスキルある人と比較されると負ける。

そんな中、僕はなんとか2つの内定を獲得した。その両方が「ライター職」だった。そのうちの1つ、ウェブメディアのライター職に就いた。この時、ようやく僕は、自分は文章が得意であることを自覚した。

僕はそこでライターのいろはを学んだ。そこで務めたことによって「書きたい文章」だけでなく「書かなければならない文章」を正しく書くことを学ぶことができた。

しかし、僕は人数の少ない会社だったせいもあり、プレッシャーに押しつぶされるようになり、精神を壊してしまった。僕はその会社を辞めてしまった。

「もう就職したくない」と身動き取れないくらいに絶望した。でも、ひとつだけちょっと望みがあることがある。それは僕の書く文章が仕事になるかもしれないということだった。

「誰にも負けない」なんて思わない。僕には経験がなさすぎる。でも、僕に可能性があるのはもうライティングしか残っていない。

本当は会社でいきいき働きたかった。精神なんて壊したくなかった。文章以外にもっとできることがあると思ってた。でも気づいたら、これだけしか残ってなかった。とっても残念だし、寂しい。

こんな消極的な理由だけど、僕はフリーランスのライターになった。これからも求められる文章を丁寧に書いて、社会のみんなの役に立ちたい。

僕の書いた文章に感謝し、お金をもらえている今は精神衛生上はとてもいい。このまま飯が食えるようになったら、最高だと思う。

「これしかない」というものに出会うのは前向きなときだけじゃない。消去法で最後に残った僕の最後の希望が「ライティング」。人生のラストスパートと思って、頑張りたい。

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