でしゃばらないの意味

<でしゃばらないの意味>
仕事の事ででしゃばらないという事が最も大事だと結論付けましたが
仕事は成長するためのものではなくて、調整するためのものだとも結論付けました。

それは、仕事場において人が少なくなっていってしまう
従業員が辞めていってしまうという事が最も問題だとするならば
辞めてしまう理由は
・生き甲斐を奪われる
・遣り甲斐を奪われる
・唯一性を奪われる
から
「あぁ俺っていなくてもいいんだ」「あぁ私っていなくてもいいんだ」
と思う事です。
そういった小さな精神的なところでの、「思った事」が実際の行動にそのまま移ります。

特に、若い人は「できる事の範囲」は狭いです。

じぶん自身の「やれることの範囲」をどんどんと広げていく(=でしゃばる)事は、成長であり
それは仕事場でやると、
・他人の生き甲斐を奪う
・他人の遣り甲斐を奪う
・他人の唯一性を奪う
という事をしてしまうという大きなリスクがあります。

自分自身がやれることの範囲をどんどん広げていくことは、
自己満足としてはとても満足できる事なのですが、人は分裂できないので
たった一人の人が大量に色々な事をできるようになって、あまり、意味はありません。

従業員の絶対数が減っていってしまう事の方が問題が大きいです。
本当にやる必要性が出てから、
・新しい作業を覚える
・新しい番を覚える
・新しい作業や番をやる
というようにしていないと、意味も無くできる事の範囲を大きくしたところで
さほど良い事は無いどころか、誰かの唯一性を横取りしてしまいます。
それにより、やる気を奪ってその人に「私って俺って居なくても大丈夫じゃん」と思わせてしまう。

誰にとっても「私が居ないとだめだ」と思える事は嬉しい事です。
もしもそれだけが、自分がその仕事場に居る意味だとするならば
そこを奪われたとき、その人は確実に辞めます。

自分の範囲を出て、何かに手を出すときは
自分の範囲を出て何かに手を出すことによって、「確実に」なんらかのメリットを回収できる
ときだけです。
そういうときには、自分の範囲を出て(でしゃばって)何かに手を出す事は、良い方向に進みますが
意味も無く、
・範囲外の仕事を覚える
・範囲外の仕事を知る
・範囲外の仕事をやる
・範囲外の仕事を担当する
事は、意味がないです。

特に、人手不足の有る仕事場においては
自分がだれかの代わりに何かの、立場の仕事を覚えたり、代わりにやってあげても
ぐるっと一周して、結局同じになるだけです。
それも、そのはず、全員足した人数が同じなのだから。
絶対数が大きくならない限り、1人1人の人達がやたらめったらに
今の持ちが以外の仕事内容を覚えたり、担当してやったりしても「意味がない」です。

つまり、自分の範囲を「出る」事によって「意味がない」ときは
自分の範囲を「出る」事自体が、そもそもリスクを含んでいるので
結論マイナスの行為になるため、やってはいけないです。

自分の範囲を「出る」事によって「意味がない」ときは、出ない。
自分の範囲を「出る」事によって「確実にメリットがある」ときは、出る。

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