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月でお墓参り

私のおじいちゃんの子供は、月に散ったらしい。

なんてことはない、比喩表現ってやつだ。実際にお父さんもおじさんもみんなピンピンしている。でも、その子が子供のように大切に思われていたことは、直接見たことが無い私でもなんとなくわかる。
月面をリニアモーターカーみたいなスピード(本当はもっと早いらしい)で移動しながら宇宙船の外を眺めるおじいちゃんが、来たことも無いはずなのに懐かしそうな顔をしていたからだ。


今だと特に珍しいわけでもない、月探査用ローバー。「つながり」と名づけられたその子は、それは難産だったみたいだ。沢山の大人が顔を突き合わせて、あーでもないこーでもないと言いながら、私がもう一周人生をやり直せる位の時間を費やしてようやく完成したその子は、他の兄弟たちと大切にロケットに乗せられて、宇宙へと飛び立った。
すごい事にその時の制作チームのリーダーだったおじいちゃんは、お父さんとおばあちゃんを引き連れて、わざわざアメリカまでそのローバーが乗ったロケットの発射を見に行ったらしい。爪楊枝みたいなロケットが白いよれよれな線を空に引きながら消えていくのを見ていたお父さんとおじいちゃんは、それはもう興奮していたという。


しかし、上手いこと行ったのは月に着くまでだった。


少しのミスが大きな事故に繋がって、月面に着陸することもなくローバーは墜落してしまったらしい。おばあちゃんに言わせると、「あんなにちっちゃいおじいちゃんは見たことが無かったねぇ」だそうで、事故があって暫くは、毎夜のようにぼーっと空を見ながらお酒なんかを呑んでいたそうだ。

「あのさ、おじいちゃん、今度月に行ってみない?」

そんな話を思い出して、おじいちゃんとおばあちゃんと13歳の誕生日おめでとうの電話をしていた私は、ふとひらめいたのだった。


最近学校でも流行っている、VR用のゴーグル、いわゆるヘッドマウントディスプレイを、私は13歳の誕生日プレゼントに買ってもらった。友達だともう持っている人は沢山いたけど、うちは家の方針で13歳になるまでは使っちゃダメ、ということになっていた。
別にゲームをすることに厳しいってわけではなかったんだけども、うちのお父さんはVRでいろんな建物や場所を作るお仕事をしているので、逆にそういうルールみたいなのには厳しい。その代わりにパソコンの画面から見せてもらった景色は、それはとてもきれいで、私は一日も早くVRで見てみたい!と思っていたのだ。
丁度タイミングが良いことに、お父さんがつい昨日完成させたのは、「月」のワールドだった。本物の月の地形を読み込んで、スケールを再現した月に行けるという、昔の人ならびっくりなワールド。今日だけでも来場者は全世界から10万人を超えていて、ネットではニュースにもなったらしい。

だけどその事はおじいちゃんには内緒にしておくことにした。実は、おじいちゃんとお父さんはとても仲が悪い。
「つながり」の失敗があったからか、おじいちゃんはお父さんが宇宙開発の分野に進むことに猛反対したらしい。二人はたくさん喧嘩をして、それでもお父さんはたくさん勉強したけど、結局そのまま普通の大学に行った。実はそこで出会ったモデリングをお仕事にしたのだけども、それ以降殆ど会話もしていないんだとか。私はお父さんもおじいちゃんも大好きだし、二人のお仕事はすごいと思っている。それだけにそのワールドを見もしないうちに行くのを止めてもらっては困るのだ。うーん、と悩んではいたけれど、そこは可愛い孫の頼みだ。後日ちゃんと来てくれる事になった。


そして、私とおばあちゃんとおじいちゃんの三人(お父さんが家にいない時に来てもらった)は、今日、月面旅行をしていた。
初めてのVRは圧倒的で、この景色がバーチャルだというのが信じられない。
見渡す限りのざらざらとした地面。それも木や建物なんて一切ない、静かな世界。モノクロにかたどられた世界は、神秘的で、怖い。こんなところにずっといたらおかしくなってしまうと思っておじいちゃんとおばあちゃんの方を振り返ったら、その奥にはぽかんと地球が浮かんでいた。
自分たちがあそこから来ているだなんて信じられないくらい、小さく見える。それと同時に、この白と黒の世界の中にやっと色のあるものが見えたからか、何だか安心できた。

おじいちゃんとおばあちゃんに至ってはVRも良く知らなかったみたいなので、それはもう驚いていた。空間に出てくるメニューや、ぶわっと宙に浮く宇宙船。ちょっと宇宙船の外に出てみよう、と言った時には本当に部屋の中を歩き始めたので、慌てて止めないといけなかった。
結局月面を移動する宇宙船は、おじいちゃんに操縦してもらうことにした。本当は私が操縦したかったけれど、はしゃぎすぎたせいかだいぶ酔ってしまっていたので、少し休憩することにしたのだ。
外を眺めていると、地球が月の地平線に隠れていくのが見えた。こっちは、月の裏側。地球上からは見えないこちら側には、宇宙人がいるとかウサギが住んでいるとか、昔の人は色々と考えていたらしい。ウサギがいるならちょっと見てみたいな、と思ったけど、一度リアルに寄せると決めたお父さんは、絶対にそんなファンタジーなものは作らないだろう。お父さんはおじいちゃんに似てとても頑固なのだ。


あまり変わらない景色に私がうとうととしていると、ふと宇宙船がゆっくりと動きを止めた。

「おじいちゃん、どうしたの?」

「ん、ああ、ちょっとな……」

大きく広く窪んだクレーター、といったところだろうか。月の裏側でもかなり広い月の海である、恐らくここは、モスクワの海だ。私は、この場所を知っている。他でもない、「つながり」が落ちた場所だと昔おじいちゃんが教えてくれた。
写真で見るのとは違う平面で見つけたのはさすがおじいちゃんだが、私はここに行くのは少し嫌だな、と思った。ぽっかりとあいた空間は、どこまでも下っていく坂道に見える。ここに行ったら戻ってこられないんじゃないか、という飲み込まれそうな感覚にたじろいでしまう。でも、きっとおじいちゃんもそれを確かめたいはずだ。

「行ってみましょうよ、あなた」

私が口を開くより先に、おばあちゃんがそう言った。よろよろと右往左往しながらも、おじいちゃんの横まで移動する。ロボットのアバターのはずなのに、そこにいたのは確かにおじいちゃんとおばあちゃんの二人であった。

すーっとクレーターの緩やかな斜面を走る宇宙船。そこに音が無いからか、心臓の音が聞こえる気がする。いくら再現度が高いと言ってもそのローバーはおじいちゃんとお父さんの喧嘩の元になったものだ。いくら探してもそこには無い可能性だってあった。だけど、もしあったなら、絶対に見逃したくはない。
私は必ず見つけてやる、と窓にかじりついていた。暫くそうしていると、ずっと遠くの正面の岩の陰に、四角い物が見えた。

「おじいちゃん、あれ!」

うん、と言って少しブレーキを踏み、おじいちゃんがそちらの方向に宇宙船を向けて走らせる。間違いない、お父さんはそこにしっかりと「つながり」を残していた。私は何だか涙が出てきてしまって、それを拭こうとしてゴーグルの表面にかつん、とコントローラーをぶつけてしまった。


そこにあったのは、思ったよりも大きい機械だった。斜めになる形で岩場に頭を突っ込んでいる。下敷きになったアンテナは折れてしまっていて、これでは確かに通信はできないだろうな、と納得してしまった。
しかし、それだけじゃない。他の岩のように四角や丸の形にデフォルメして画像を貼ったのではなく、きちんとその機械は詳細まで作ってあった。つまりそれは、お父さんがこの「つながり」をモデリングして配置したということになる。
資料を集めてモデリングをして、それを倒れた形で配置した時、お父さんはどう思ったのだろうか。「つながり」のカメラが向いている上を見ても、そこには星が浮かぶ真っ暗な空があるだけだった。

おじいちゃんはというと、「つながり」の前でずっと立ち尽くしていた。手を伸ばしてそれを触ろうとして、それでもやっぱり触らなかった。それは、そこにあるべきものなのだ。もう触れない距離にある、バーチャルな実物。

一人にしておこうかなと思って少し歩いて離れようとしたとき、視界に黄色いものが映った。
「つながり」と岩の側にある、小さな黄色い塊だろうか。この空間ではとても目立つものだったが、反対側にいた私たちには丁度見えない位置にある。

近づいてみてみると、それは、花束であった。

この広い月の上で、ぽつんと寄せられるように置かれた「つながり」と花束。もちろんこんなものはローバーには乗っけられている訳はない。リアリティを大事にしているワールドだというのに、お父さんが、わざわざここに置いておいたのだ。
これに気付く人は殆どいないだろうけど、それは間違いなく「つながり」の為に供えられた物だった。

「あら、花束があるわよ、あなた」

花束だと、とおじいちゃんが寄ってくる。
私はもうそこで胸がいっぱいになってしまって、「おじいちゃんあのね、これ全部、お父さんが作ったの」と言ってしまった。

「そうか、浩紀がこいつを作ったのか」

おじいちゃんはかがんで、ローバーの脚を撫でる。突き抜けてしまわないように、ゆっくりと慎重に。ゴーグル越しには、おじいちゃんが今どんな表情をしているかはわからない。でも、きっとそれを知っているのはきっとおじいちゃんだけでいい。震えるアバターの手を見ながら、私はそう思った。

「今度は、お父さんに案内してもらおうね」

つながりは、私たちの話を聞くように、そこにゆっくりと横たわっていた。


#XR創作大賞  に向けて書いた短編です。月に行きたい!!!!

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