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短編小説「幸福な一日」

「夏美ちゃん、それじゃあ目瞑って」

そう言うと、男の子は私に手を差し出した。

「え?うん...」

何が何だかわからないが、私は立ち上がって彼の手を握る。それから瞼を閉じ、導かれるままに彼の後をついて行った。

「わっはっはっは、長瀬の母ちゃん、それは傑作だ!」

私の手を握る男の子の声とは別に、賑やかな声が遠くから聞こえてくる。

すると男の子は、念には念をといった感じで言った。

「俺がいいよって言うまで、絶対目を開けちゃダメだよ」

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私の名前は長瀬夏美。
先月、誕生日を迎えて12歳になった。
12歳といっても、まだまだ子供だ。世界は、わからないことで溢れいている。
勉強はなぜやらないといけないのか。
よく言う大人の事情とはなんなのか。
将来私はどうなるのか。
女の子だけど、恋愛についてもよくわからない。
恋をするというのは、どんな感じなんだろう。
何も知らない無垢な小学六年生。
そんな私には毎年楽しみにしていることが一つある。
私の家族は夏になると、お母さんの実家に帰省する。
実家には畑や田んぼしかなく、建物ばかりで溢れかえっている都会とは雲泥の差だ。

小学生最後の夏休み。
私はいつものように、何もない田舎で1週間過ごすことになった。ただ、何もないと言っても、都会には無い海や山などの自然溢れる場所があるから嫌いではない。人混みで窮屈な都会よりも住み心地が良く、むしろ田舎の方が好ましく思う。久しぶりに、お爺ちゃんお婆ちゃんとお話がしたかったし.......そして何より、今まさに私の手を握る男の子に会えるのが楽しみで仕方なかった。
名前は谷川秋瀬くん。
私が毎年、実家に来るたびに一緒に遊んでくれた親戚の友達だ。

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何も見えないまま歩くのが怖くて、私は「ねえ、まだかな?」と尋ねた。
「もうちょっとだけ。...歩くの速いかな?」彼はそう答えて、歩くスピードを落とした。
私のペースに合わせてくれたのだろう。
今になって分かったが、彼の手は私の手よりも僅かに大きかった。視覚が遮られたぶん、握っている右手の感覚がはっきりして、彼の手の温かさが伝わってきた。

前までは一緒の大きさだったのにな。
何年か前に手合わせをして、お互いの手の大きさを比べあったことがあった。その時は全く同じ大きさだったが、今ではお互いの手だけでなく、身長でも二人の間に差が生じてしまっていた。成長するとともに男女の身体に大きな隔たりができることが身に染みてわかった。

そして、彼のことを異性として意識し始めたのも、たぶんこの時からだと思う。

「......あ、段差あるから気を付けて」
「え?」
あっ
段差に足をひっかっけてしまった。
体の重心が崩れて、床に転びそうになる。
「わっ!」
・・・
・・・・・・
あれ、痛くない。
閉じてた目をゆっくり開いた。
目の前には秋瀬くんの胸があった。
私がつまずいたところを彼が抱きかかえるような形で助けてくれたらしい。

「大丈夫?」
彼は心配そうな声で尋ねてきたが、傍から見れば私たちが抱き合ってるようにしか見えない状態に気づいたのか、急いで私から距離をとった。

「あっ...ご、ごめん......」
「う、うん大丈夫。ありがとう」
彼の顔を見ることができなかった。
体が熱い。
それに胸が締め付けられるような感じがした。
以前にも感じたことがある、不思議な感覚だった。

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今朝、秋瀬くんの家にお邪魔しに行くことを知った時は心が躍った。1年ぶりに会えるのが待ち遠しくてしょうがなかった。

12時を過ぎた頃、私たち家族はお爺ちゃんから車を借りて彼の家に向かった。
果たして彼は私と同じように、楽しみに待ってくれているだろうか。いや、きっとそうに違いない。なんてことを車の中で妄想したりしていた。

30分を過ぎたくらいになると、そろそろ着くかなと思い、私は窓の外に視線を向けた。
いつの間にか、窓から見える景色は見たことのある風景へと変わっていた。
私はバックの中からカエルのストラップを一つ取り出した。輪っかの部分を持つと、車の揺れに合わせてカエルが左右に小さく揺れる。実はこのカエルのストラップと全く同じものを、私は自分のバックに付けている。
「・・・」
どこか踊っているようにも見えるカエルを私はジーっと眺めた。

「おーい、着いたぞ」
お父さんがそう言うと、車は徐々に速度を落とし完全に停止した。私は無くさないように、ストラップをバックの中にしまい直す。両親は車から降りてトランクに積んであった荷物やお土産などを取り出し始めた。私も続いて車から外に出る。

「うわぁ...」
無意識に声が出た。
そこには懐かしい風景が広がっていた。
車を降りた少し先に、カエルの形をした石像があった。
私が初めてここに来た時よりも前からこの石像があるらしいが、何年たっても新品のような輝きを放っている。
「あぁ、秋瀬君はまた綺麗にしたんだな」
彼は何故かこの石像を気に入ってるらしく、少しでも汚れてるのを発見すると、雑巾やタワシなんかを持ってきて綺麗に洗っていた。
私は1度だけ、なんでこの石像が好きなのかを聞いた事がある。
彼はこう言った。

「なんで?...夏美ちゃんは知ってる?カエルの子供について」
当時の私は知識がなく、カエルの子供がオタマジャクシだってことを知らなかった。
「うーんと、普通のカエルさんよりもちっちゃいのかな?」
「俺もそう思った。でもね、カエルの子供ってのは全然違う生き物なんだ。オタマジャクシって言ってね、こう......黒くて小さなお魚さんみたいなんだよ」
それから彼はカエルについて熱く語っていた。
「......だからね、俺はカエルが好きなんだ。大人になると形が変わるなんて、ロボットみたいでカッケーし、すげーじゃん!」
『すげーじゃん』っていうのは彼の口癖であり、驚いた時や感動した時なんかによくこの言葉を使う。
「あ、わかった。カエルさんが好きだから、このでっかいカエルさんが好きなんだね」
「そーいうこと」
雨上がりの夕焼けの中、茜色に染まったカエルの石像を洗い終わり、秋瀬君は「よしっ」と言って立ち上がった。
その時見た彼の横顔は、今もまだ目に焼きついている。

私はカエルの石像の頭を触り、久しぶりと心の中でつぶやく。
毎年ここに来るたびに、懐かしさが込み上げる。
辺りの景色を見て思い出に浸りながら、彼の家の玄関までの道のりを歩いた。

「すみませーん」
お父さんが少し大きめな声をあげると、玄関から秋瀬君のおばさんが出迎えてくれた。そしてその隣には彼がいた。
「あら~お久しぶりです。さあ、どうぞどうぞ。中でクーラーを効かせているんで涼しんでください。」
両親は秋瀬くんのおばさんに案内されて家の中に入っていたが、私は固まったまま、ただそこに立っていた。
久しぶりの再会に緊張していたのだ。

彼は1年前と同じような半袖半ズボンの格好で、肌が露出した部分が薄茶色に日焼けしていた。変わった点と言えば、少しだけ髪が伸びているところだけ。
私は緊張してるのがバレないように平静を装いながら「久しぶり、秋瀬君」と言った。
そしたら彼はびくっとしてから「久しぶり」と手をあげた。どこかぎこちない仕草で。
緊張してるのが一目瞭然だった。

なんだか可笑しくなって、くすくすと笑ってしまう。
彼は、微かに日焼けした顔を赤く染めた。
「な、なんで笑ってんだよ」
「なんでもないよ」
「何でもないことはないだろ」
彼は納得いかない様子で、むすっとした表情をした。そして、何かを思い出したように私に言った。
「あ、そうだ。夏美ちゃん、中でちょっと待っててくれるかな」
「なんで?」
「それはまだ秘密」
彼はニッと笑う。
「それじゃ、あとで呼ぶから」
そう言うと、走って家の中に消えていった。
彼がいなくなるのと同時に、彼のお母さんが私のもとに来た。
「あら、夏美ちゃん、大きくなったね~。秋瀬と同い年だから今はもう12歳なのかな?」
「はい、今年で12歳です」
「もう12か〜。昔はこんな小さかったのに、子供は大きくなるのが早いねぇ。成長した姿を見ると、なんだかこっちもうれしくなっちゃうわ」
彼のお母さんはフフッと笑ってから、「ほら、夏美ちゃんも早く中に入りな」と促した。
私は靴を脱いで踵を揃えてから、彼のお母さんの後をついて行った。
「荷物はそこに置いていいからね。今日はゆっくりしていって」そう言い残してリビングに向かおうとした彼のお母さんを私は呼び止めた。
「あの...」
彼のお母さんは「どうしたの」と私の方に振り返った。
「秋瀬くんは...」
「ああ、秋瀬は自分の部屋に行っちゃったのかも」そう言って、ニヤリとした。「夏美ちゃんが来るのをすっごく楽しみにしてたよ」
「えっ」
「フフッ、顔が赤くなった」
「......」
私は何も言い返せなくて黙ってしまった。
見透かされたようで恥ずかしくなったが、それよりも『秋瀬くんが私と会うのを楽しみにしていた』という事実がたまらなく嬉しかった。

「夏美ちゃんが来る前から部屋に1人でいるけど、何かしているのかもね...」その後、何かを言いかけたが、リビングの方から彼のお母さんを呼ぶ声がして、「今行くよ」と大きな声で返事をした。「おばちゃん達のことは気にせず行ってくるといいよ」
「...はい。あ、でも、待ってるよう言われたので、ここで本を読んで待ってることにします」
「あらそうなの?それじゃあ、あとで夏美ちゃんの好きなお寿司をごちそうするから楽しみにしててね」
そう言って、彼のお母さんはリビングに去っていった。

私は一人になると、持ってきたバックの中から読みかけの本を取り出して、栞を挟んであったページを開いた。
太陽の光が廊下側から部屋の中にさしこんでいたので、電気をつけずに読むことができた。
視線を上下に動かす。
しかし、内容は全く入ってこなかった。
頭の中は秋瀬君のことで一杯だった。

栞を元にあったページに挟み直し、本をバックの側に置いた。そしてカエルのストラップを代わりに取り出した。
「.......いつ渡せばいいかな」
私はとりあえずポケットの中に入れておくことにした。

6畳もある部屋から廊下に出て、日差しの良いところで腰を下ろし、ボーッと景色を眺めた。先ほどまでは意識が逸れていて気づかなかったが、この場所は蝉の鳴き声で満たされていた。山の向こう側には大きな積乱雲が高々と天に向かって伸びている。

10分くらいは経っただろうか。
背後から人の気配がした。
「お待たせ」
振り返ると、秋瀬君がそこにいた。
「夏美ちゃん、それじゃあ目を瞑って」
そう言うと、彼は私に手を差し出した。
「え?うん...」
何が何だかわからないが、私は立ち上がって彼の手を握る。それから瞼を閉じ、導かれるままに彼の後をついて行った。
「わっはっはっは、長瀬の母ちゃん、それは傑作だ!」
賑やかな声が遠くから聞こえてくる。
すると彼は、念には念をといった感じで言った。
「俺がいいよって言うまで、絶対目を開けちゃダメだよ」
私は、自由の効いた左手で、ポケットの中の厚みを確かめた。

/ーーーーーーーーーーーーーー/

再び、暗闇の中を歩いていると「......うん、おっけい」と言って彼は立ち止まり、握っていた手を離した。
「夏美ちゃん。目、開けて良いよ」
少しづつ、閉じていた目を開く。
「ん......わぁっ、お城みたい」
そう錯覚させるものが、私の目の前にあった。そこにあったのは、真っ白な布団のシーツや赤色の毛布などで形造られたお城だった。毛布の端っこを引き出しに挟んだり、机の上に分厚い辞書を数個重ねてシーツを挟んだりと色々工夫されて造られたお城。お世辞抜きに、素晴らしい仕上がりだった。

「これ、私のために?」
もちろん、そんなことはわかりきっていることだった。だけど彼の口から直接聞きたかったから、わざと質問してみた。
「ま、まあな」
秋瀬君は照れ臭そうに頬を掻いた。
「ありがとう。本当にうれしい」
実際、今にも飛び跳ねてしまいそうなほど私は嬉しかった。
もう一度、お城の方に視線を向ける。

あっ・・・
もしかしたら、私が一年前にディズニーランドに行ってみたいと言ったことがきっかけで、このお城を造ってくれたのかもしれない。

......いや、それは考えすぎかも。
でも、例え違うとしても、これは秋瀬君から私への贈り物だ。

先を越されちゃったな。
「ねえ、秋瀬君」
ポケットの中からカエルのストラップを取り出す。
「はい、今度は私から」
彼の手の中に落とすようにしてそれを渡した。
「おそろいのやつでね、今は持ってないけど、バックに付けてあるんだ」
秋瀬君はストラップを受け取ると、宝物でも見るように目を輝かせた。
「ありがと......すげー嬉しい」
喜ぶ姿を見ると、なんだかこっちも嬉しくなってくる。
それから彼は、よく使っているリュックにそのストラップを取り付けて私に見せてきた。
「どう?変じゃない?」と聞いてきたので、
「ううん。似合っているよ」と私は答えた。
彼はリュックに取り付けたカエルのストラップをジッと眺め、それから私に笑顔で振り向いた。
「一生の宝物だな」
その笑顔を見れただけで私は満足だった。

「それじゃあ早速、城の中に入ってみようぜ」
彼はそういうと、お城の入り口のような所から四つん這いになって中に入っていった。
私も彼の後に続くようにして中に入った。
「ごめん、ちょっと狭かったね」
彼が言う通り、外見に反してお城の中は狭く、大人じゃ入ることができなそうな天井の低さだった。
「確かに狭いかも」
だけど、なんだか冒険しているみたいでワクワクした。
中に入って気づいたが、ここは本当の洞窟のような静けさがあった。先ほどまで聞こえていた蝉の鳴き声は毛布やシーツの壁によって遮られていて、お城の中は静寂に包まれていた。
加えて、ここにいるのは私と彼だけ。
なんだろう、これじゃまるで......
「二人だけの世界」
思わず声に出してしまった。
「俺も同じこと考えてた」と言って彼は笑った。
そう、ここには私と秋瀬君の二人しかいない。
お城の中に男女が二人。
まるでお姫様と王子様。
......あ、まただ。
変なことを考えていると、再びあの不思議な感覚が襲った。胸が締め付けられるような、言葉で表現できない痛み。
だけどこの胸の痛みは、嫌なものじゃなく、どこか温かさもあった。
彼の顔を見つめてみる。

そのとき、ふと、この痛みがなんなのかわかった気がした。理解できた瞬間、体温が急激に高くなった。
あ、やばい。胸の鼓動が止まらない。
その時私は頭が真っ白になっていたせいか、「あ、あのさ」と無意識に声を出していた。
「ん?なに?」と彼は私に問いかけた。
「・・・」
少しの間があった。
なんとか自制を取り戻すことができた。
あのままだったら、きっとこの想いを打ち明けていただろう。
私は、本当の想いを飲み込み、言葉に詰まりながらも彼に言った。
「これからもずっと一緒にいようね。1年後も10年後も......私たちがおじいちゃんおばあちゃんになっても、ずっと、ずっとだよ」
彼はどこかキョトンとした顔をしたが、「わかった、約束な」と言って、小指を私の前に突き出した。
私も自分の小指を前に突き出して、彼の小指と交差させた。

「せーのっ、指切りげんまん...」

そうだ、私たちはこうして、これからもずっと一緒にいることを約束したんだ。

「嘘ついたら針千本飲-ます...」

そんな約束も数年後には破られてしまうことも知らずに。

「指きった」


「夏美っ!危ない!!」
どこかから女性の叫び声がした。
気づくと、先程までとは一変して、世界は都会の風景に染まっていた。
あっ......この声は亜理紗の声だ。なんでそんなに叫んでいるんだろう。
彼女の方に振り向こうとしたが体が動かなかった。動かなかったというよりも、スローモーションに近い動きでしか体を動かすことができなかった。
あれ?おかしいな。
私だけでなく周りのすべてのものが同じように止まっているように見えた。
人も。
鳥たちも。
何もかもすべて。
すると耳を刺すようなクラクション音が真横から聞こえてきた。
...
......
.........
あっ、思いだした。
私、今からトラックに轢かれるのか。
今まで見てきたものが走馬灯だったと理解した次の瞬間、何かがぐちゃぐちゃに壊れる音がした。

『2009年6月8日午後4時23分 東京の○○の交差点で17歳の少女が交通事故にあいました。
名前は、夏瀬夏美さん。トラックに轢かれ、頭部を損傷し、即死だったとのことです。
トラックの運転手は飲酒運転をして......』


「なつみ...なづみ......」

亜理紗の泣き声が聞こえる。

「しんじゃいやぁ.......」

私の身体を抱きかかえながら泣き続けている。
よく見ると私の周りには、ピンク色の物体がところどころに散りばめられていて、吐き気を催すような異臭が漂っていた。
ベチャッ
また一つ同じものが、私の欠けた頭からずり落ちてくる。
辺りは騒然としていて、どこからともなく悲鳴が聞こえてきた。
...
......
..........
.............なんでまだ意識があるんだ?
私は自分の死体を見下ろしながら、呆然とすることしかできなかった。

続きはそのうちあげます。

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