サイエンスの棍棒で殴るヴァルハラ

 築地市場の豊洲移転が紛糾している。

 もっとも、設備老朽化などを受け移転する話が浮上して以来、ずっと紛糾してはいるのだが、移転を前提にゆっくりと合意を取り付けていたこれまでと違い、小池知事就任以降、一気に「問題化した」のは御存知の通り。本日は、その辺についてつらつらと。

 先ほど「問題化した」と表記したとおり、最近なにか大きな動きがあったわけではなく、燻っていたものが派手にクローズアップされたというのが実情である。もとより、世界に名だたる食の聖地として、場外市場の商店や各地の飲食店とともに築き上げた「築地ブランド」をどう捉えるかも含め、納得いっていない人たちも、いるにはいたのだ。しかし施設老朽化や政治的な決定を受けて、文句は言いつつも移転に向けて動いていたこれまでの流れを覆すような「政治的な決定のゆらぎ」が起きたのだから、そりゃ混乱するのが当然だ。これまで文句を言っても「都の決定だ」とシャットアウトされていたのに「都の決定」がブレはじめているんだから、なんだよそりゃ、って感じである。

 背景には、豊洲の新市場をめぐる工事の実情、五輪も含めた東京都関連の公共事業の裏側、さらには都議会自民党と都知事の関係にまつわる、きわめて政治的なパワーゲームがあると噂されている。要は「公共事業を差配する都議会のドンが好き放題やってるので、都知事との権力抗争が始まっている」みたいな話だ。先に「問題化した」と表記した豊洲移転については、誰かが政治的な駆け引きの一環として「問題化させた」という側面があることも、おそらくは事実であろう。

 で、まぁ、その辺はいいのよ。政治家の駆け引きで、政策やプロジェクトが紛糾するのは、よくある話。問題は、これが「サイエンスとプロパガンダ」「科学とガバナンス」という、震災以降の我が国において5年越しの宿題となっている構図だという点。そろそろ、この辺を整理する必要がある。

 豊洲新市場の建設をめぐる最大の焦点となっているのが、いわゆる盛り土問題。「もりつち」ではなく「もりど」と読む点も、空前のグダグダ万博だった愛・地球博のキャラクターっぽくて不安を感じさせるが、ともかく「土壌の汚染を心配する声があるので、市場を建てる前に土を盛って、その上に建てます」という約束が守られていないようだ。

 これは、そもそも土を盛ったって、建物は杭を打たなきゃならないから盛り土を貫通するぐらい深く刺すわけだし、ジオラマじゃないんだからコンクリの建物を土の上に直接ポンと置くわけもない。地下にコンクリで土台を築く、つまり、せっかく持った土をほじくり返して穴を掘るんじゃないか、じゃあ盛り土って意味あるのか、本当にそんな物やるのか、と、建設の素人なりに疑問を感じなくもない。

 また、今回、地下に謎の水があふれアルカリ性を示していたことや、微量のヒ素(基準値を遥かに下回る数値)が検出されたことも、そもそもセメントがアルカリ性であるなどを考えれば「そりゃ、セメントというかコンクリの上にながらく溜まっていた水は、多少はアルカリ性になるのでは。程度の差はともかく、アルカリ性を示すこと自体はおかしくないような……ヒ素だって自然界に存在する程度の量みたいだし」 と、サイエンスの観点から見れば大騒ぎする話でもないのでは、と、これまたサイエンスの素人なりに、騒ぎに対して違和感を持ってもいる。

 更に言えば、築地市場愛好家(このへんを読んでいただければ分かるが、もともと築地大好きなのだ)としても、現在の建物が限界であることは体感しているし、土壌についてサイエンス上の問題がないのであれば、本来、さっさと移転するのが合理的だとも思っている。五輪に向け環状2号線の建設を急ぐためにも、そうした方が良い。

 しかしながら、豊洲の新市場を巡る騒動を「サイエンス的に問題はない」「社会的な合理性を考えれば推進すべきである」と片づけようとする手合いにも違和感が残るのだ。これが合理性にもとづく推進論であるならまだマシな方で、一部には「愚かな左翼や、合理性の無い文系バカどもを殴る棍棒」として、この騒動を利用する気配すら感じる。

 これは、原発事故や放射能をめぐる議論でも見られた現象だ。「0.1ベクレル?危険だ危険だ、東日本は全員死亡!」と喚く、サイエンスの欠片もない人々がいかに間違っていたかは、5年経った今も数千万人が元気に暮らしている事実によって立証されている。米のとぎ汁を飲んで、EM菌を使って、放射能に耐えられるようになるレメディを飲むべきだ……と主張する人々は、率直に言ってクソ馬鹿であったし、福島の産品を敬遠する消費者の動きは残念でもある。もっと言えば、反原発運動の一部に、反政府運動としての政治的色彩や、スピリチュアルな科学否定信仰が見られたのも確かである。

 だが、一方で「サイエンスで正しいことが無条件で受け入れられる」とは限らないことは、誰でも知っている。性能やスペックや価格で優位性のある商品よりも「親しみがあるから」「よく知っている会社だから」「なんとなく目についたから」など、漠然とした空気感に消費行動が影響されるのと同じく、子供を抱いた母親は、同じ母親が泣きながら「この街では安心して子供を育てられない!食べ物だって安全な物は何もない!」と訴えていると、その漠然とした空気に共感するであろうことは想像に難くない。人は理屈だけではなく、共感にも突き動かされる生き物なのだ。

 そうした現象に対し、さらに屈折した社会心理が生んだモンスターが「サイエンス的な正しさや合理性で、自分が優越感を感じるために他人を殴る勢力」である。ことに原発事故で大騒ぎしたのは左派的な人が多かったため、「バカサヨを殴るために、科学によって裏付けられた棍棒」は絶大な威力を発揮した。さらに自民党が政権を奪い返してからは、「福島を差別するのか!」「政府だって充分な対策をとっているのに、クソ野党どもときたら……」と、道義的優位性や政治的優位性によって切れ味を増し、血に飢えた妖刀として「科学的優位性・道義的優位性・政治的優位性」が振るわれ、そこに「原発が無ければ日本の国富は大幅に縮小する」といった経済的合理性までもが付け加えられた。もはや無敵である。

 たしかに、サイエンス的に正しい知見や、福島差別阻止の道義性、原発の是非をめぐる経済的合理性など、まったくもって正当な意見である。しかし、政治的な打算や悪意をもって架空の被害を喧伝していた悪辣な勢力と、「なんとなく不安だよね……」という共感に突き動かされた層は全く異なるし、後者は妖刀で辻斬りにすべき存在ではない。

 また、原発事故にせよ、その後の再稼働途上でのトラブルにせよ、「ちゃんと管理されてんのかよ?」と疑問を感じる面が無かったとは言えない。自動車は排気ガスや交通事故のデメリットを考慮しても社会に必要だが、その運転手は大丈夫なのかよ、道交法を改正しなくていいのかよ、という話だ。こうしたガバナンスの問題点に気づかず、もしくは、敢えて目を逸らすために「科学的にも道義的にも政治的にも経済的にも、こっちが正しいのです(管理体制のことは言及しない)」と、政治的にか、自身の優越感のためにか、妖刀を振りかざしている奴らがいることは指摘せざるを得ない。

 翻って見るに、豊洲の新市場はどうか。科学的には「たぶん問題なし」、経済的にも「移転が吉」、道義的にも「老朽化した現行の市場で我慢しろというのは酷い」、政治的には「都知事と都議会の決定だ」として進んできた事案だが、こちらも、どうもガバナンスの問題があったのではないか。それが明るみに出るキッカケは政治的優位性、つまり「都知事と都議会の決定だ」という部分が揺らいだからだが、これを科学的問題や経済的合理性「だけ」から語るのは適切な反応とは思えない。その辺は正しいとした上で、「で、ガバナンスの面はどうよ?」と、政治的に動いている事案だからである。議論の土俵が違うのだ。

 ……と、ここまで書けば誰でもわかると思うのだが、要は、世の中には色んな観点で敵をブン殴ろうとオラついてる奴らが山ほどいるのだ。放射能問題だって、政権を批判するため過大に騒ぐヤツもいるし、野党を潰すためサイエンスの棍棒を使う奴もいる。東電を批判するため政治献金を追及する奴もいれば、経済的合理性なる武器で左翼を叩くヤツもいる。涙を流して不安を煽って自陣に引き入れようとパフォーマンスする者もいるし、福島差別反対なる美名のもと反原発運動をブチのめそうと考える者もいる。どいつもこいつも、口から出る言葉と腹の中が違うのだ。豊洲だって「都議会のドンを潰してやれ」「共産党が支持を集めるためのボーナスステージだ」「都知事に与して御用専門家のポストでも貰えんかな」とか「都知事と都議会自民党なら後者に勝って欲しい」「豊洲の地価を下げんじゃねえよバカ」「サヨやバカ文系どもが調子に乗ってるのが気に食わん」とか、そういう本音を持つ人々が、とりあえず自陣に有利な武器として科学的にはこうであるとか法的にはこうであるとか経済的合理性で見ればこうだとか、その辺の適当な棍棒を握りしめて振り回しているのが実情だ。

 別に、何もおかしな話ではない。

 社会の合意は、政治的観点・科学的観点・経済的観点・道義的観点・法的観点・心情的観点、あるいはガバナンスの面など、さまざまな要素を考慮した上でもっとも妥当なところに求めるしかないのだから、「科学的な観点から、この点は強く主張しておく」「経済的に見て、これは言わざるを得ない」など、各論において主張がぶつかり合うのは当然だ。

 けれど、一つの観点で正しいからと言って他の要素を無視できるわけではない。それをやってしまえば、もはや「個別の専門領域における知見」ではなく、政治的な意図がある発言だ。「リトマス紙が真っ青になった!→だから豊洲は問題だ」「基準値以下のヒ素が検出された→だから豊洲は問題だ」「ベンゼンが滞留する可能性がある→だから豊洲は問題だ」という発言が、もはやサイエンス分野ではなく政治色丸出しであるのと同じように「コンクリの上の水がアルカリでも問題ない→だから豊洲移転は問題ない」まで踏み込んでしまうと、それはザ・プロパガンダ。「他のことはともかく、科学的には妥当です」という所までしか言えないし、大抵の専門家はそれを分かっているのだが、専門家の知見を相手陣営を殴る武器として使う層は、いつの世も「あいつらを殴るために使えそうな武器ねーかな……」「お、この学者の意見、武器として使えるな……」と探し回っているわけだ。

 てなわけで、これまでもあらゆる「政治」は、いろんな観点から自陣の正当性を訴える論拠を探したり、いろんな観点から相手を攻撃する武器を探してきたわけだが、SNS時代たる現代は、ネット上で一般人がそれをやりはじめている。さらには、政治にすら興味がなく、とにかく誰かを辻斬りしたいだけのフーリガン連中が蠢いている。

 考えてみろ、築地だろうが豊洲だろうが、どっちでもいいじゃねぇか。どっちでもいいけど、なんとなく誰かを科学的合理性などで攻撃できるボーナスステージが、あるいは公共事業をめぐる疑惑などで攻撃できるサービスタイムが開始したから「どっちでもいいのに」参戦してる連中がSNSに溢れているのだ。もはやヴァルハラ、永遠に続く戦いの世界だ。

 そして俺は、その争いから一歩離れた顔をして「下界は、どちらの陣営も大変だねぇ。困ったものですよ」と論評するゲームに加わっている。

 地獄だな、地獄。

 人類にインターネットは早すぎた。

※なお、反ワクチン運動に関しては電波度が相当すごいので論評しません

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