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日本サッカーの「選手ファースト」という病

カタールW杯出場を目指す森保ジャパンの周囲が喧しい。10月8日、アジア最終予選を3試合消化した時点で勝ち点3、グループ3位につけているが、このまま3位で予選を終えると大陸間プレーオフに回り、さらなる強敵と戦わなくてはならなくなる。W杯出場が真剣に危ぶまれる状況と言えるだろう。

10月9日の日刊スポーツでは「森保監督12日の豪戦引き分け以下で解任も 後任候補に東京長谷川健太監督」と報じられた。それを受けてSNSでは森保監督解任の是非、長谷川監督の是非などが声高に論じられ、さらに喧騒が高まった。

すこし前の記事(サウジアラビア戦前)になるが、超ワールドサッカーでは「森保監督への信頼を強調する吉田麻也『選手ファーストで物事を考えられる数少ない監督の一人』」との記事がある。私はこの記事を見てはたとひざを打った。まさに現今の、いやこの10年、もしかしたら20年程の日本サッカーの持つ問題点は、この「選手ファースト」という言葉に集約されるのではないかと思ったからだ。注1)

■森保ジャパンの「選手ファースト」

すで各所(1)(2)で考察されているように、森保監督は日本代表、および先日の東京五輪を戦ったU-24代表において、「上から戦術を押し付けるようなことはせず、選手に戦術をある種『任せる』ことで選手の対応力を高めていく」というチーム作りの手法を取っていると思われる。

「これは森保さんが就任当初からずっと求めていることで。試合中に選手自らの判断で問題を解決していく能力を高めなければ、日本代表は世界で勝てない。相手の出方に応じて後出しジャンケンのように素早く対応していくには、ベンチの指示を待っていては間に合わない(飯尾篤史氏)」みぎブログ「森保ジャパンのこと全部聞いた」

選手たちに戦術をある程度任せる」ということは、場合によっては「選手のやりたい戦術を採る」ことになる。また選手間で共通意識を作らなくてはならない場合、選手同士で意見が対立した場合は、話し合いで解決する。こうした手法・考え方を、先の吉田麻也の言葉を援用して「選手ファースト」と本稿では呼ぶことにしたい(Twitter上ではらいかーるとさんが既にその呼び方を採用しておられる)。

こうした森保ジャパンのチーム作りの方向性が、東京五輪の、あるいはアジア最終予選の3試合のピッチの上でどのように表れていたか。「選手ファースト」の手法を取ることによって、選手の状況に対する対応力は向上していたのか。それについて深入りすることは本稿の目的ではない。

が、直近のサウジアラビア戦、柴崎のパスミスからの失点シーンも
・しっかりとしたサポートがないのに思いつきのようにパスアンドゴーを仕掛ける
・サポートに入った選手がパスを渡されて驚き、柴崎へ処理の難しい浮き球のパス
・柴崎は処理に手間どり、またインサイドの選手もパスコースを作らない、後方の吉田もバックパスを受けようという動きを見せない
・パスコースのない中で柴崎は長めのバックパス
という選手間での共通理解が希薄であるが故の、ミスの連続が失点を生んだように見える。

同様の問題点は常に森保ジャパンのピッチ上に見られ、同チームの「選手ファースト」の考え方は功を奏してはいない、むしろ日本選手の足を引っ張っているように思えるのだが…。

■「選手ファースト」の歴史(1)~トルシェというトラウマ~

ただし「選手ファースト」という考え方は日本サッカーにとって取り立てて新しいものではない。むしろ、この20年は「選手ファースト」とその他の考え方の戦いの歴史だと言ってもいいだろう。とりあえずそれは、2002年日韓W杯終了後のジーコジャパンの発足にまで遡る。(注2

前任のトルシェ監督は「組織60%、個人30%、運10%」と話していたように、「選手ファースト」とは対極的な指揮官だった。その方法論には賛否があったが、曲がりなりにもW杯において初のGL突破を成し遂げた。しかし、W杯後に協会会長に就いた川淵氏は(おそらく)そのやり方に不満であったようだ。

彼は代表監督にジーコを選び、ジーコは選手の自主性を重んじ、自由を与え、「上から戦術を押し付けるようなことはせず、選手に戦術をある種『任せる』」ようにした。まさに「選手ファースト」の方法を採った。「黄金世代」と呼ばれた選手たちはその信頼に見事に応えた…かのように見えた。

4年間の紆余曲折を経て最終的に2006年ドイツW杯に臨んだチームは、事前合宿での「プレスの掛け方の違い」によって意見が分かれ、ジーコは「今回だけは俺の言うことを聞いてくれ」と言ったという。戦術を選手に任せることの難しさがそこに現れた、ということもできるだろう。

それもあってか、ジーコジャパンは初戦のオーストラリア戦を落とすと、そのまま勢いを回復することなく、2敗1分けでドイツを去ることとなる。しかし4年の間、選手の自由を尊重し、「スター」選手を起用し続けた彼のやり方が日本に与えた影響はかなり大きかったように、今からでは思える。

■「選手ファースト」の歴史(2)~岡田ジャパンの豹変~

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