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『共同作業』9/10

前回 https://note.mu/key37me/n/n324544d07061

「よう、モニちゃん。聞いたかい?」
「何をだ」
「あんたが贔屓にしてたあの子だよ」
「俺が贔屓にね。どの子だかな」
「とぼけやがって。昨日の夕方ごろ帰ってきたのを見たんだが、続きはどうだい」
「そうか」
「お、またトイレか?」
「店じまいだよ」

 モニが外に出てすぐに見えたものがあった。

 遥か遠く、第一層を覆う屋根のすぐ近くに件の姿があった。陰に隠れてしまうまでのわずかな間をじっと見つめていた。間違いない、あの姿はレグネーベルだ。何があったかと訊かれたので見えたものを答えた。

「さすが鳥目だな」
「鳥人の全部ではないがな」
「で、正面から一層まで行く気かい? まさか片腕だけで登るつもりじゃあないだろ」
「関わる気があるのか」
「あんたは無茶をしちまう奴だ。次は指とか空だけじゃ済まんぞ」

 モニは馬面の名前を未だに知らないが、その活動についてはよく知っている。それが今日のために必要と気づくまで時間はいらなかった。

「お前の馬面の広さを借りるとしようか」
「よし来た、お代はそのうちでいいぜ」

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 山の斜面を稲妻型の石色で染める階段状のイラーミザは、そのすべての層が他の街々を上回る広大な都市だ。

 中でも最も広い第四層だけで上に聳える層のすべてを合わせたほどの面積に住宅や商店が並んでいる。

 馬面からの情報によるとレグネーベルは第一層の真下に位置する広場から山道を登ったようだが、モニたちは舗装された道を通って第三層の産業区を抜け、第二層の高級居住区へと向かった。

 鳥人の脚では山道を登るのは困難で、しかもモニは空を失ったためにこの道が必要になった。あちこちと交流のある馬面がいたおかげで、途中を隔てる門番には馬面から饒舌な説明をした。第二層に住む物好きへとこの鳥人を会わせるために連れて行く。モニには事実なのかでまかせなのか定かでなかったが、話が早いので何度となくある出来事に見えた。

 第二層の、山に背を向けて立つ館を訪ねた。馬面と主人は仲がいいようで、突然の訪問にも快く対応した。もしかしたら弱みでも握っているのではないかとも思えた。

 山道を進んで第一層を覆う屋根の陰、下からは見えなかった空間に差し掛かると、遺跡のように古びた建物が並んでいた。同じ作りの小屋が一列に並んだ様子から、もし場所がここでなければ村のようにも見える。

 見回しながら進むうちに歯抜けになったような広場が見えてきた。覗いてみると奥まった小屋と納屋らしき横向きが見えたので、なにか重要な場所と予感した。どことなく威圧感のある雰囲気もこの予感に味方している。目的を持って向かうとしたら目立っている場所は真っ先に当たるものだ。踏み込むほどに威圧感が強くなっていった。音のようでも臭いのようでもあり、あるいは目の奥に焼き付くようでもあった。

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 納屋の裏手に見覚えのある姿を見た。積まれた瓦礫の奥にレグネーベルがぐったりと座り込んでいた。駆け寄って観察すると呼吸の動きが見えたので胸をなでおろした。この姿を見てモニは初めて会った時を思い出した。傷んだ髪、染みだらけの服。しかし明らかな差異がひとつ、かつては表情に溢れていた決意が感じられなくなっていた。

 モニはどう声をかけたものか迷った末、普段と同じ言葉を選んだ。
「久しぶりだな」

 その一声は寂しく響いた。それでも届いてはいたようで、ゆっくりと目を開き「そうね」と呟いた。

「ここにも用ができたのか」

 モニも隣に座り込んで話を続けた。荒い呼吸の音が聞こえてきた。そっと手を握り、柔らかな羽毛が撫でるように触れた。続く言葉のないままで時が流れ、徐々に落ち着いてきた頃にもう一度同じ問いかけを呟いた。

「私は役目を終えたから部屋に戻る。なのに扉に触れようとすると体が動かなくなるの」

 落ち着いた声で、記憶通りの短い物言いを聞いてわずかばかりの安心感があった。

「役目ってのは、あれを殺すことか」

 黙ったままで頷いた。

「済ませて帰ってきたんだな」

 黙ったままで頷いた。「そして」と言い足してモニに続きを待たせた。

「今まではそれだけのために生きてきた。見るものも、聞くものも、触れるものも。どう関わるか、どう使うか、どう役立つか。それが今はもう何もない。目的も、習慣もなかったと気づいたの。だから──」

 昂ぶった物言いを深呼吸で中断した。
「あなたには、どうでもいいでしょう」

 モニには初めての長い言葉を受け取るうちに忘れかけていた感情が戻ってきた。放ってはおけない。

 言葉を選びながら一言ずつ時間を開けて答えた。

「そうだな。過去はどうでもいい。ところであんたを──あー、レグネーベルを必要とする心当たりがひとつあるんだが──」

 言葉が切れたのでモニの顔を見上げた。長い首がその目線と同じ方向を向いた。

「その──俺の隣だよ」

 目の前の男が恥じらう姿を見て、利用の有無ではない新たな視点から見て、芽生えたものがあった。手を取り、抱えた。

「臭すぎちまった」
「そうね」

 いつの間にやら離れていた馬面が近づく足音が聞こえてきた。

「歩けるか」
「もちろん」

 立ち上がって埃を払い、馬面への挨拶をした。大変なら背中を貸すと言うので、大変になったらねと返した。

 出発の前に念のためモニが扉へと手を伸ばすと何事もなく静かに開いた。

「開いたぞ」
「もういらない」

 遠くからの返事を聞き、部屋の中をモニだけが一瞥して、すぐに扉を閉めた。カプセル型の処刑具が艶やかな微笑で佇んでいた。

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