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12月の思い出とボカロ10選

こんちには。ボカロが好きです。ボカロはいいぞ。

あけましておめでとうございます!!!(激遅大遅刻)(謝罪)
まだ1月も3分の1だからセーフ! ……もう3分の1!? ということは一年の1/36が終了したということで……末恐ろしい。

忙しくてかけていませんでしたが12月のボカロ10選の紹介です。
例によって全曲チェックはできていないのでおすすめの曲があれば教えて下さい! 語彙力弱めです。ご了承ください。強くなりたい。

ヘッダーの画像は今話題のAI、Dream by WOMBOに「Hatsune Miku」で描いてもらったものです

12月ボカロ10選

01.涙だけ / 傘村トータ feat. IA

ピアノ伴奏オンリーの優しくも力強い曲です。ボカロ以外でいうと奥華子さんの曲のような切なさや力強さを持っています(私は奥華子さんの「楔」がとても好きです)。

基本的に打ち込みが多い現代の曲において、シンプルを突き詰め、それを更にボカロシーンでやってのけるというのは、調声なども含めてとても凄いと思います。その点においても傘村トータさんはとても大事で偉大な人だと思っています。

傘村トータさんの他の曲では「小説 夏と罰(下)」などが好きです。

02.GURU / じん feat. 可不

流石じんさんという感じがすごい。いままでここまでオリエントな曲は少なかったと思いますが、かき鳴らされるギターですぐにじんだとわかるインストゥルメントレベルのアイデンティティに王者の風格を感じます。

曲としても、最初にかいりきベアさんや柊キライさんらが推し進めたような意味のないバースとして「あわん だらね ばでぃん えん ばみん ぶらだ らだ」と歌って惹きつけた後、最後の最後に「A wanderer never ending」と回収する展開が美しすぎて鳥肌が立ちました。

GURUも収録されているじんさんの1st Mini Album「アレゴリーズ」(GURUは初回限定盤Aに収録)は2022年2月16日発売です。楽しみ。

03.アプリコット / いよわ feat. 初音ミク

全てがとんでもない。初聴のとき思わず絶句しました。

いよわさんの曲に一貫するIyowanityとでも言うような厭世観、不気味な世界観とそれを構成するサウンドのすべてが爆発しているように感じます。

特に凄いのは、この音楽では実時間的な変化と音楽内の物語的時間的な変化がリンクしていることです。それを表現する方法として、MVの鏡の持ち方、そして段々と音が低くなっていく構成になっています。このような方法(特に声変わりの再現)はこれまでの音楽経験においてはじめて見た方法です。

同じ声を保ちながら声変わりしていくというのはボカロにしかできようのない表現であり、音楽表現の幅を拡張する可能性としてのボカロをいつもいよわさんの音楽から感じることができて、大好きです。

いよわさんは12月に2nd Full Albumであり初の全国流通盤である「私のヘリテージ」が発売されました。最高ですのでぜひ聞いてみてください。

04.生きるのは、そう、辛いだけ / るーざ feat. 初音ミク

純文学的な独白であり、自白を初音ミクに仮託しつつ、作品として昇華されており、とても良いです。

漠然とした闇や絶望、希死念慮や具体的な貧困や嫉妬、不安がないまぜに押し寄せる様子が音楽としても反映されており、文学における「意識の流れ」のような押し寄せる感情をそのまま音楽にしたような作品です。

最初に「辛い」という漠然とした独白が徐々に具体的な内容になっていき、それとともにサウンドも厚みを増していく構成も素晴らしいと思いました。

ただ、音楽を通して作者さんの心情を心配してしまいます……音楽を通して昇華できていることを願います。

05.花隠し / きさら feat.柚子花 & 鳴花ヒメ・ミコト

初音ミクによるプロセカ実況も投稿している調声が素晴らしいきさらさん(早くプロセカNEXT採用されてくれ~~)による、ヒメ・ミコトとヴァーチャルアイドルの柚子花さんによる「VOCALOIDと歌ってみた」曲です。

葉月ゆらさんや志方あきこさん、霜月はるかさん、Sound Horizon(の中でもElysionでしょうか)の曲が好きな人(私のことです)なら全員にぶっ刺さりそうな民族調ファンタジー物語音楽です。

精霊としてのヒメ・ミコトと主人公が人間という配役も必然性があり素晴らしいです。詳しくはきさらさんのPixiv Fanboxを御覧ください

06.glow  / 萩野いゔ feat. 結月ゆかり

結月ゆかりのこういう曲調の曲はあまり聞いたことがない気がしますが、とてもあっていて素敵です。

不協和音的なピアノと規則的なビート、かすれたボーカルによって浮遊感と不安定さがとても好きです。

07.People in the aquarium / ハクトリスム fear. 初音ミク

とても硬質なエレクトロニカです。ぜひイヤホンやヘッドホンで聞いてみてください。そのサウンドの奥行きにより惹き込まれます。

知識がないので上手い表現や専門的なことが何もわからないのですが、後半のベースと電子音がだんだんと高くなっていく間奏の緊張感というか切迫感が音楽全体に独特の芸術性を与えているように思います。

それに合わせるミクの声、リリックや映像も邪魔しないどころかむしろ深みを更に与えているように思い大好きです。

芸術としての音楽という感じがして、とても良いです

08.クレイジーラブシックネス / 「誰」 feat. ねむたみ。

UTAUライブラリ「ねむたみ。」によるオリジナル曲です。

現在、デザインやファッション、音楽シーンでは平成初期~'90年代を彷彿とするようなレトロ・ヴィンテージブームが来ていますが、それをうまく取り入れた音楽だと思います。

最初にラジオやカセットテープのようなくぐもった音から始まり、テープを押す音とともにシンセが全面にでたサウンド。それでいて現代的なシンセポップでもあり、そのバランスがとても好きです。

09.私たちは生命への冒涜でしたか / yanagamiyuki feat. 初音ミク

やながみゆきさんの「Vocaloid become human」「生き物ビギナー」「カイジュウの島」「サイバーかわいくないガール」のセルフリミックスです。4曲じゃないか13選じゃないかという気がするのですが、これは確実に一動画で一作品だと思うので10選です。

それぞれの原曲もすべて大好きなのですが、それら4曲を再構築して4つで一つの作品にしている構成があまりにも凄いです。

暴力的なサウンドと福音のようなコーラスやストリングスのバランスがとても良く素晴らしいです。

yanagamiyukiさんの音楽は自身とボカロあるいは人間の在り方などの葛藤をそのまま音楽にしているように感じます。その1年のまとめとしてクリスマスイブである24日にこのタイトルで、AIによって描かれた絵を使って出すという事自体がとても示唆的です。

原曲も併せてぜひ聞いてみてください。

10.モネ / cat nap fear. 初音ミク・ねこむら

cat napによるとても和らぐ素晴らしい曲です。

使用されている絵はモネの「ひなげし」で、歌詞にも登場するフランスの街、アルジャントゥイユの様子を描いたものです。モネ自身アルジャントゥイユに居住滞在していました。

モネの絵画にあった印象主義的な、ラヴェルのようなピアノの伴奏と、ミクそしてねこむらさんのデュエットが最高です。

ひなげしということは季節は初夏でしょうか。爽やかさと暖かさ、苛烈な夏とも違う優しさの表現が素晴らしいです。


12月の思い出

12月に開催された「ボカロリスナーアドベントカレンダー2021」に参加させていただき書いた記事が好評でとても嬉しかったです。本当に読んでくださった皆さんありがとうございます。そしてこの企画を開催してくださったobscure.さん改めてありがとうございます。

記事にもある通りのエッセイが直接の動機ですが、初音ミクの在り方については、千本桜のブームとそれに起因する歌い手やいわゆるにわかに対するごたごたの頃からもやもやと感じていながら言語化できなかったものです。

某哲学科を去年3月に卒業し、自分の思想を言語化する武器を多少なりとも手に入れることができたと思ったのでこれを機会に書き連ねてみました。ようやくすっきりできたようにも思います。

しかし書ききった今、これまた12月の下旬に起こった「命に嫌われている。 / ボーカロイド」の一件でまた考えることができた月でもあります。これについてもさしあたって記事を書いてみましたが、実のところ、この一件が表しているのは、ボカロにとどまらない現代の芸術に対する鑑賞者、そして製作者の態度といった問題に深く起因しているように感じています。

すなわち、リスナーそしてクリエイター共に、音楽ではなくクリエイターの名が広まって欲しいというのは、音楽の芸術としての価値レベルの話にもつながる気がしています。

「ベートーヴェン作曲」と「ピアノ・ソナタ『月光』」や「ダ・ヴィンチ作」と「最後の晩餐」のような作者と作品がセットで歴史に名を残しているのものは、残されているもの全体の量を考えれば極々ほんの一部の傑出したものしかないと思います。

しかしながら、この世界には雅楽や賛美歌、民謡のように作曲者不詳ながら歌い、演奏され続け伝承されてきた音楽がたくさんあります。絵画においても、作者不詳の絵や、先史時代の洞窟絵画などがたくさんあり、それぞれの中に美的価値があり続けています。それらの中には名は忘れられてしまっていても作者の魂は生き続けているように思います。

私は何回か米津玄師さんのライブに行ったことがあるのですが、米津さんはそこで「自分の音楽が遠くへ遠くへといってほしい」と何度も述べていました。

個人的には「米津玄師」という名前以上に「自分の音楽」が遠くへ行ってほしいと願う在り方のほうが美的意志の歴史的継承という意味でより芸術的、世界-内-存在的な在り方のように思います。

といっても、商業主義と音楽や絵画等の芸術が関わってきたのは今に始まったことではなく、またボカロに限った話ではありません。例えばアンディ・ウォーホルのポップアートや、デュシャンの「泉」のようなレディメイドなどもそういった態度に対する問題提起であったと思います。

しかしながら、CGMとして商業主義とある程度距離があったボカロシーンにおいては、古代的な芸術的意志とその表象としての音楽がまだ息づいていたのではないか、それがここ数年の規模の巨大化とともに薄まってきているのか、と考えてしまいます。

いやむしろ、一億層発信社会などとも言えるCGMの大隆盛によって、また、それによって相対的に個人という在り方が希薄になっていく中で、このような流れが加速している気もします。そうなると、CGMだからこそなり得た状況ということになり、ますます自体は混迷を極めます。もっとしっかり考えなければいけない話題ですね。

もちろんこのテレビ番組の事象については良いも悪いもないので流してもいいと思いますが、それによって詳らかにされたものがあればそれに対しては考えていかなければなりません。

このことが良いのか、これからどうなるのか、これまでどうだったのかという音楽、果ては舞踏や建築、絵画といった芸術全般の在り方の議論にもつながる示唆的な出来事だったように思います。またうまく自分の考えが話せる時が来たらまとめたいです。勉強しないとですね。

とにかくそういった商業主義と距離をおいた音楽というものについて考えた下旬でもあったように思います。10選にもそれが反映されているような気がしなくもありません。

とにかくしかし、そういった様々な在り方を<初音ミク>が許容してきたのも事実です。さしあたっては、その<初音ミク>の器を信じ、このシーンを楽しみ、また楽しめることを感謝しつつこれからも願っています。

2022年も多くの名曲と出会える年になりますように。

今年もよろしくおねがいします!


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