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君が食べた約束  1

僕は、君が食べた約束が芽吹く春を、ずっと心待ちにしている。
初めての約束。
最後の約束。
一方的に僕に投げたいくつもの約束を。
君は突然平らげて、ぺろりと舌を出しておどけてみせた。

「あのさ、朝霧(あさぎり)くんって昔のブンゴーみたいだよね」
無邪気に笑って話しかけてきたのは、クラスのムードメーカー、津杜芽吹(つもり めい)だった。
「……意味が分からないんだけど」
「そうかな?」
「うん。そう」
「だって教科書に載ってる人みたいに、こう、難しい顔してみんなを眺めてる時あるでしょ。観察してるみたいに」
「そんなことないよ」
「そうかなぁ。なんか外側の世界にいる人、みたいに感じるときあるよ」
別に馴染めないわけじゃない。
嫌いな人がいるわけでもない。
「僕はひとりでいるのが好きなんだよ。疲れないで済むから」
「ふぅん?」
小首を傾げた津杜は、そっか、と笑って、あ、と何かに気付いた。
「じゃあ今疲れちゃってる?」
「……あ、いや」

やってしまった。
自分の言葉の端々が人を不快にさせるかもしれないという緊張感。
僕はそれがとても苦手だった。

「別に、そういうつもりじゃ」
「なーんてね。冗談」
弾ける笑顔に目が眩む。
「じゃあまた話しかけてもいい?本当に嫌だったらノーってやってくれて良いから」
津杜が腕を体の前で交差させてバツを作る。 
「まぁ、別にいいけど」
「けど?」
「なんで、僕に話しかけるの?」
今まで、話しかけに来たことなんかないのに。
「うーん」
津杜は手を顎に当てて真面目な顔で唸りだす。
「いや、別にそんな考えなくても」
「あ、分かった」
「?」
「多分ね、近い匂いがしたからだよ」
「………」
意味が分からない。
「うんうん。そんな感じ」
一人で納得した津杜は、ひらひらと手を振って自分の席に戻って行ってしまう。
完全に置いてけぼりだった。
「なんなんだ……」

□□□

翌日、また話しかけられるんじゃないかと内心ヒヤヒヤしながら登校するとそんなこともなく、津杜は友人たちとのお喋りに花を咲かせていた。
そのことにほっとしつつ、自分の席に座ると前に座るクラスメイトの浅岡(あさおか)が片手を上げた。
「おっすー」
「ういー」
特につるんで遊ぶわけでもない。ただ席が前後だというだけで挨拶を交わし、時折つまらない話をして笑い合うという関係。その距離感が僕にはとても心地良かった。

「浅岡、いつも来るの早くない?」
「そりゃあほら、俺の勤勉さの賜物ってやつよ」
「課題は忘れるのに?」
「うっわ……そういうこというもんなー。大体お前が遅いんじゃねぇの?」
大げさに体を引いた浅岡はにやりと笑う。
ころころと表情を変えて朝から忙しい奴だ。
「いいんだよ。遅刻してるわけじゃないし」
僕の家は学校からそんなに遠くない距離にある。
なまじ家が近いとすぐに行ける安心感からか、家を出るのが遅くなってしまうのだ。自転車通学なら尚更だった。
というのは言わない。
「まぁな」

「はーい。ホームルーム始めますよー」
ガラガラとドアを開けて担任が入ってくると、集まって話していた女子が解散してそろそろと自分の席に戻る。
出欠確認で順番に名前が呼ばれ、気だるい返事を生徒が返していくのをぼんやりと聞きながら窓の外を眺める。
自分の名字が比較的早く呼ばれるため、全員が返事し終えるまでの時間を中庭を眺めて過ごすことが僕の日課になっていた。
手入れされた中庭に生えた木の新緑が、青く日差しを反射する。

その木の下をのんびりと歩いていく猫が見えた。
我が物顔で中庭を歩くあの猫は、どうもこの学校に住み着いているらしいというのは一年の早い段階で気付いた。
教師も追い払うことなく、あの子もうちの学校の可愛い生徒だ、などと言っている人がいるくらいだ。
いつからいるのかは分からないが、卒業することなく学校に居座っているということは毎年留年みたいなことなのではないのか。
別にどうでもいいけど。

猫を目で追いかけているとホームルームが終わって、ざわざわと生徒が動き出す。
僕は一時限目に使う教科書を机の上に引っ張り出して置き、リュックからウォークマンを取り出す。イヤホンを耳に捩じ込み、頬杖をついて特に用事があるわけじゃない携帯電話をいじる。

これは一種の意思表示だった。
こうしているとよほどのことでない限り話しかけてくる人はいなくなる。
ましてや親友だなんて呼べるほどの人間がいない僕には鉄壁の防御力を誇っていた。

「ねーねー」
プレイリストを漁っていると肩が叩かれた。
鉄壁の、防御力。
「何聴いてんの?」
机の脇に津杜がしゃがんでこっちを見ていた。

イヤホンを片方外して、突然のことに言葉が出ない。
「あれ、聞こえてなかった?何聴いてるのーって」
「……サン、トラ」
かろうじて出た言葉に、へぇ、と津杜が目を丸くする。
「なんのサントラ?」
なんの?
なんのって。
「なんか、いろいろ……?」
疑問符に疑問符で返してしまう。

しどろもどろになって出てきた言葉に、困ったように笑った津杜が頬を掻いた。
「あれ、今話しかけない方が良かったっぽい?」
「……まぁ、比較的」
あちゃー、と自分の額を叩き、ぺち、という乾いた音が小さく響く。
なんだその古臭い反応は。
「ごめん。邪魔しちゃったね」
「いや、別に何してたってわけじゃないし」
「だいじょぶダイジョブ。朝霧君には大事な時間だったんだもんね。出直すからー」

ぱたぱたと自分の席に戻る津杜を呆気にとられて見ていると、浅岡が、ずい、と体を後ろに向けた。
「あいつよくその状態のお前に話しかけたよな」
「……そうだね」

僕のこのスタイルはちょうど一年くらい前に確立されたものだ。
あちらこちらでクラスメイト達がなんとなくそれぞれの人となりを理解しだし、女子が大きなグループから別れて小グループを形成し始めたころ、今まで普通に話していたはずの人間の鼻につくところを口々に言うのがちらほら聞こえ出し、胸が気持ち悪くなって始めたスタイル。
二年になった今では、これが僕のスタイルとして周囲に認識されていた。

特に咎めるわけでもなく、そういうものだと受け入れてくれる生温さが僕はただ嬉しかった。

「お前の無敵スタイルにぶっこんでくるんだから、あいつバーサーカーかもしれねぇぞ」
「……マジか」
まともっぽく浅岡が声をひそめ、面白くなって乗っかる。
「どっちかっていうと魔法属性じゃないの?効果無効系の魔法使うやつ」
「いんや、あいつは違うな。物理で来るタイプだ。しかも攻撃力カンストさせて攻撃は最大の防御的な。バーサーカーだ。バーサーカー津杜」
「っくっは」
あんまり真面目な顔で言うもんだから思わず吹き出す。
「ちょっと待って、腹痛い。くっくっ」
「ひひひ、お前笑いすぎだろ」
二人して腹をよじっていると、始業のチャイムが校舎内に響いた。

退屈ながらも、ところどころで気を引かれる授業を聞きながら、ふと教科書に落としていた視線を横に向ける。
視界の端に映った津杜は教科書を広げ、真剣そのものの表情でノートにペンを走らせていた。

教師の言葉を一言一句逃さないように書き留めているのではないかというくらいに休むことなくペンが動いている。
真面目なんだな、などと思いつつ視線を教科書に戻す。
あそこまで徹底した真面目さなんて持ち合わせてはいない。

何事もほどほど。
可も不可もなく、のんべんだらりと今までやってきた。
別に今までそれで困ったことはない。
つまらない、と思ったこともない。
趣味といえば、時々ふと頭をよぎる空想に思考を巡らせることくらい。

もし。
たとえば。
もしかしたら。
そんなことを考えるだけでどんどん時間が過ぎていく。
だから授業中という時間はある意味そういった空想を巡らせるには最適だった。

浅岡がバーサーカー津杜と命名した彼女は、その日以来あだ名よろしく物理で突っ込んでくることはなかった。
その代わり。
「今話しかけてもいいですかー?」
それはもう既に話しかけてるんじゃないかというツッコミはさておき、津杜は本題に入る前に必ずそう言うようになった。

「いいけど」
「けど?」
「や、けどに特に意味はない。なに?」
「んーっとー……」
「忘れてんのかよ」
「どういうことだよ津杜ぃ」
期末考査も終わって夏休みを待つばかりになる頃になると自然と浅岡も入って会話するようになっていた。

「違う違う。あのさ、夏休み忙しかったり、する?」

「ぉお?」
変な声を上げた浅岡を小突いて、そんなには、と言うと顔をぱぁっと輝かせ、それから言いにくそうに目を伏せる。
その様子に背筋がもぞりと動く。

一体何を言いに来たんだ?
なんとなく身構えていると、ちらりと浅岡の方を探るように見つめる。
「浅岡くんも、忙しい?」
「は?俺も?」
「うん」
浅岡が意味が分からないと言わんばかりに目をしばたたかせる。
「あのさ。二人とも本とか、読む人?」

僕は小さいときから読書が好きだった。
簡単に扉を開いて空想の世界に飛び込むことができる最適のアイテム。
いろんな人が考えた世界に浸るのはこの上ない楽しみだった。

「いやー無理無理。俺、本とか教科書でギリアウト」
ぶんぶんと手と渋い表情の顔を振って浅岡が拒絶する。
ギリアウトってなんだ。
「そっか」
うんうんと残念そうな素振りも見せずに頷いて、再び僕に視線が来る。
「朝霧くんは?」
「比較的、読む」
「ほんと?どんなの読む?」
どんなのって。
「なんでも……。ミステリーでもファンタジーでも伝記でも」 なんなら一時期すぐに読み終わらない分厚さの本を探して、試しに辞書も読んでみたくらいだがそれは別に言わなくていいだろう。

「……」
謎の間があって津杜が自席に駆けていく。
「なんだなんだ?」
机の中をごそごそとあさり出し一冊のノートを掴むと再び小走りで戻ってくる。
「こっ、これ」
なにやら緊張したように、ずい、とノートを僕に差し出した。
「……これって」
いつも授業中に広げて一心不乱に書き殴っていたノートだ、とすぐに気付いた。
実際にはルーズリーフが綴じられるファイルで、中にはルーズリーフがほぼ限界まで綴じられている。

これで夏休み中自主勉強しろということだろうか。
僕の自由気まま図書館ライフが。
というか大きなお世話だ。
「そのノートどうしろって?」
なるべく棘がないように口にしたつもりが、どこか拗ねたような口調になってしまう。
津杜の表情が少しだけ翳る。

またやってしまったか。
だから嫌なんだ。
誰かと親しげに話すなんてのは僕には一等苦手なことなのに。
最近なんだか二人に当てられて勘違いしてたみたいだ。
調子に乗ってんじゃねぇよ、自分。
大体────

そこまで思考が暴走したところで、想像もしていなかった言葉が耳に飛び込んできた。
「これ、読んでほしいの。私が書いたお話」
「………え?」
「だから、朝霧くんの夏休み、少しだけ私にちょうだい」

 □□□

じわじわと蝉が鳴き出す夏休みの朝、僕はベッドから這い出て、一階に降り朝食を済ませる。
リビングでテレビから垂れ流されるニュースを聞き流し、早々に自分の部屋に戻って学校のリュックに少しの筆記用具が入った筆箱と図書館で借りた本、津杜から預かったファイルを突っ込む。

津杜が渡してきたファイルは、本人が言った通りひとつのお話が詰まっていた。
丁寧な読みやすい字で書かれた、今僕がいる世界のすぐ隣に実在しそうなファンタジー。
道を一本変えれば行けそうな世界。
だけどどこか寂しげな雰囲気が漂う殺伐とした一面もある世界。

津杜が小説を書いていたことよりもそんな世界を作り上げていたことが意外だった。
リュックを背負って自転車に跨ると、携帯電話が小さく震えた。
『これから家出るよー』
津杜からのメッセージに、僕もだ、と返して自転車を漕ぎ出す。

津杜が僕に時間をくれと言った意味はふたつあった。

ひとつは読む時間。
もうひとつは感想を直接会って伝える時間。

その為に交換した連絡先でのやり取りは、我ながら味気ないものだった。
そんなところまで気を遣うほど、僕は人間が出来ていない。
かといって津杜もクラスの女子が使いこなすような絵文字や略称の数々を使うわけでもないシンプルな文面が多く、そこは内心ほっとしていた。

自転車を漕いで最寄りの図書館に着く頃には、強くなった日差しで全身がじっとりと湿っていた。
駐輪場に自転車を止め、ぱたぱたとティーシャツの首元を泳がせながら図書館の入口に向かうと自動扉の前でひらひらと手を振る津杜が立っていた。
なんとなくつられて小さく手を上げる。
「悪い。僕の方が早いかと思った」
「へーきへーき。お願いしたの私だしね」
長い髪を後ろで纏め上げ、ティーシャツに七分丈のズボンというさっぱりした格好で頬を掻く。
「でも暑くて溶けそう。早く中入ろ」
「だな」
頷いて自動ドアから中に入ると、足元を冷気が撫でる。

「はー。涼しい……」
「体力が回復しそうだ」
「どっちかっていうと状態異常じゃない?」
「両方かも」
「確かに」
静まり返った図書館は、既にちらほら人が来ていた。
本を読んでいる人、参考書を広げてノートに書き取っている人、何をするでもなく外を眺めている人。
同じところに集まっているのにそれぞれが好きな場所で、好きなことをしている。
そんな図書館が僕は好きだった。

「先に本返してくる」
「じゃああそこ座ってる」
津杜が指差した四人掛けの机を確認して頷く。
返却用のカウンターに行くと司書の人が、おはよう、と笑顔をこぼす。
「どうも」
夏休みも半ばに差し掛かると嫌でも顔見知りになってしまう。
「返却お願いします」
「はい」
リュックから差し出した本のバーコードを読み取り、お預かりします、とにこやかな司書から逃げるように津杜が待つ席に向かう。

僕はこの中途半端な状況が一番苦手だった。
よく行く場所でよく顔を合わせるだけの、名前も知らない人なのに顔だけは覚えているものだから、親しげに関係ない話を振ってこられるのが昔から酷く苦手だった。
学校外で、待ち合わせをしているならともかくたまたま道端でばったり会った同級生なんか最悪の部類に入る。

別に何をされるわけでもないし、向こうに悪気がないことなんて百も承知だ。
同級生がいたから声を掛けた。
ただそれだけだろう。
それでも僕は何かを消耗してしまう。
多分、僕はその時に嫌な顔をしてしまっている。
そのせいで相手にも嫌な思いをさせてしまっている気がして、そんなことが無いように外に出るときは鉄壁の防御スタイルで周りに目を光らせるし、もし見かけても自然と避けるようにしている。

「ほんとによく来てるんだね」
机に行くと、感心したように津杜が頷いた。
「今の司書さん、顔覚えられてるでしょ」
「そう、みたいだね」
「うんうん」
軽くなったリュックを隣の椅子に置いて、津杜の向かいに座る。
「だから、苦手なんだね」
「え?」
教室にいる時の眩しい笑顔とは違う笑顔で呟く。
「私と一緒だ」
その笑顔は、津杜が書き上げた世界と似た寂しさが漂っていた。

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