ノスタルジア自由研究

人にはそれぞれきっと、夏がくるたびに思い出す夏がある。

僕にとっては16歳の夏がそうだ。

あれからいくつもの夏がやってきては通りすぎたから、あの夏の匂いは遠ざかるばかりだ。

僕らが季節の絨毯を歩いているのか、季節が僕らを追い抜いていくのか、星の自転と公転の関係なのか、まあ何かしらのエモい要因によって季節はループしている。

そしてループしてはいても同じ夏が二度と来ないことを、僕は知らなかった。

中学3.5年生、高校0.5年生の夏。

同じ夏は二度と来ないという宇宙原則すら知らない僕たちは毎日、時間をもて余すことを目的として公園に集まった。

どこにでもある地方都市のどこにでもある住宅街にある、他のどこにもない公園。木でできたベンチとあずまや、雑草と蚊とヘンテコなオブジェと空で構成されたいつもの場所。

そこへ集う、暇で窒息しそうな、子供と大人の中間の生物。

僕たちは「暇だ」という事象をありとあらゆる表現に変換して、退屈を塗りつぶした。

議題は乳首や乳房といったインテリジェンスなものからビーチク、パイオツのようなスタイリッシュなものまで多岐に及んだ。

ただひたすらに雑な、落書きのような毎日。

あんなに暇だったことはない。
あんなに童貞だったこともない。
性体験はしていたかもしれないが、とにかくあまりにも童貞であまりにも暇だったのだ。

同年代の賢明な若者たちが目標のために参考書と格闘し、情熱をたぎらせて部活動に汗を流し、虎視眈々と才能の刃を磨いているなか、僕たちは怠惰にまみれおっぱいファンクを奏でていた。

あの公園では愚かさが尊ばれ、下らなさこそが王者の条件とされた。

会話の内容などなにも覚えちゃいないけれど、とにかく笑っていたことは覚えている。ボケては笑い、ツッコんでは笑い、ハプニングを笑い、スベっては笑った。

美化するほど綺麗なものではないのに忘れることもできない。

今にして思えば、僕たちはあの公園で自由研究をしていたのかもしれない。

圧倒的な親の庇護のもと、学歴社会にぶらさがりつつ、音楽を聴きながら自由を研究した。

研究結果はいつも白紙。

あの公園は避難所であり解放区でもあった。

僕たちは各々、他の多くの青少年と同じように小さな問題を抱えていたように思う。

家庭環境。学校という魔界におけるサバイバル。立ちはだかる因数分解。周りに合わせられないリズム。性格。紙幣の不足。恋の不足。親との関係性。得体の知れない息苦しさ。虫歯。めんどくささ。口内炎。かったるさ。生きる目的の喪失。性交渉への渇望。友人関係の軋轢。眠気。暑さ。女子の服が透けないことへの怒り。トラウマ。精神的童貞であること。その他諸々の果てしない憤り。

これらのどこでも見かけるチェーン店のような問題に対して、僕たちは自由研究という手段で背いた。

レールを辿った先にある暗黒世界に背を向けて、パイオツを崇め奉るワンダフル・サマー・自由研究にいそしんだのだ。

僕たちの笑い声とセミの鳴き声のセッションは夏のあいだずっと続いた。

8月末、自由研究が自然消滅すると共に実りない夏が去る。

それからも年に一回ずつ夏は訪れたが、年々公園に集まる人数も回数も減りやがてセミはソロになった。

自分なりの自由研究を求めて、それぞれがそれぞれのペースで少しずつ公園から遠ざかっていく。

先日帰省した際にあの公園を訪れてみた。

ボロボロだった東屋も腐りかけていたベンチも改修されていて、へんてこオブジェは無くなって代わりに新しいピカピカの遊具ができていた。

空とセミと草と蚊はそのままだったが、時の経過を感じさせるには十分な変化である。

あれからたくさんのことがあったはずだ。

かけがえのないものを得たり、かけがえのないものを失ったり。

出会ったり別れたり。成し遂げたり諦めたり。

もらったりあげたり。貸したり借りたり。

裏切ったり裏切られたり。選ばれたり排除されたり。

強くなり弱くなり。柔らかくなり硬くなり。

賢くなり愚かになり。好きになり嫌いになり。

問いを探しては答えて。間違いを知っては忘れて。考え、かんがえずに。

たくらみ、計り、勘ぐり。かばいかばわれ。助けられ助け。つながりつながれ。届き届かず。

抱きしめては突き飛ばし。手を差し伸べては払いのけ。

満たされて絶望して。逆らっては手懐けられ。

マトモに真面目に狂い壊れて。生きのびる。

病み悩み敬い蔑み急ぎ戦い育み昇り堕ち腐り光り握り手放し、流れ流れ流れ流れてこの夏に至る。

僕たちは何者かになろうとしたし、何者かになることを拒んできた。それは刺激的な冒険のような日々であり、憂鬱な消耗戦の日々でもあった。

勇者かもしれない。道化かもしれない。奴隷かもしれない。

要するに曖昧だ。

ただひとつ曖昧じゃないのは、時間だけは失い続けているということ。

日常の渦はあらゆるものを飲み込んで流していく。視界さえも遮られてしまう。

僕たちがあの公園に集まることは二度とないだろう。それが寂しいことなのか当たり前のことなのかもよく分からない。

だけどこれからも夏のたびにあの夏を思い出すのだ。

それぞれが励んでいるであろう新たな自由研究に、勝手に乾杯。

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