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シカゴにミースの建築を見に行く (ファンズワース邸)

シカゴ郊外の街にファンズワース邸を見に行った。

この住宅が竣工したのは1951年。レイクショアドライブ・アパートメントと同じ年だ。施主は、住宅名にもあるエディス・ファンズワース博士。彼女が都会を離れて余暇を過ごすためのウィークエンドハウスとして、ミースは設計を依頼され、一説によるとデザインに5年もの歳月を費やしたらしい。完成する段になって、建設費を巡って施主と建築家のあいだで裁判沙汰となったのは有名な話だ。

立地はプレイノという街。そもそもの目的が都会を離れることなので、シカゴ中心部からは大分遠く、残念ながら公共交通でのアクセスはちょっと望めないようなところにある。レンタカーを借りて、約1.5時間くらい運転して見にいった。

研究をしている訳ではないので確証はないけれど、ミースの代表作と呼ばれるこの住宅、実際のところは彼の作品歴の中でも特異点な気がしている。チューゲンハット邸や煉瓦造のモデルプランといった過去の住宅とはタイポロジーが違うし、その後の作品、例えばシーグラムビルやベルリンの新ナショナルギャラリーとも、これは感覚的で歯痒いのだけれども、やっぱりどこか違うと思う。

この住宅、実際に見に行くまでは、「宇宙からの飛来物」みたいなのだろうな、と思っていた。鉄骨は空から刺さったように見えるし、幾何学的にもちょっと厳格すぎる。周囲の自然の中でさぞかし圧倒的な「異物感」を放っているのだろう、と予想していた。

いざ建築を目の前にしてみると、少し印象が違った。確かに、この住宅については「自然と調和する」みたいな生易しい表現はとてもできない。しかし、決して異物として自然と対決している訳ではなく、自然と建築が並存しているような感覚があった。レイクショア・ドライブアパートメントとも被る表現だけれど、これもまた建築の自律性と、自然との近傍性を両立させているという意味では神社に近い佇まいだと思う。

この住宅は、見ての通りとてもシンプルな構成をしているが、素材もそれに劣らず最小限まで絞り込まれている。

1:床・・・大理石(トラバーチン)、カーペット
2:柱・梁・・・スチール塗装
3:壁・・・木(プリマヴェーラ)
4:天井・・・ボード塗装

建築の要素としては、これしか見えてこない。それ故というべきか、素材の扱いは細心の注意が払われている。

これはよく知られている話ではあるけれど、梁と柱の接合部。普通なら出てくるはずの溶接痕がない。これは梁の裏から栓溶接しているらしい。

出入り口のアルミ扉を除いて、サッシュはスチール。細いフラットバーを繊細に組み合わせてある。鉄の重くてゴツいイメージをはるかに超越するような、鋭くて緊張感のある使い方だ。それこそ今なら、枠を無くして上下2辺でガラスを支える選択肢もある。しかし、枠の代わりにガラスを軟質なシーリング材で塞いでみたところで、このシャープさを表現することは不可能だろう。

ガラスは約3メートル角で単板。内部空間が引き締まったスケールなので、相対的に非常に大きく見える。「ミースはガラスを存在感のあるマテリアルとして扱っていた」、という話は色々なところで読むので、まるで石のような厚みと重さをイメージしていたのだけれど、予想に反してとても薄い。全く厚みを感じさせないといっていい。それでいて、光の透過・反射が時としてイリュージョンのような効果を生むので、存在感は十分なのだ。

つまり、「厚みはないけど存在感がある」そんなマテリアルが実現していた。正直、耐風圧や環境性能でガラスを決めて行くようなやりかたでは一生辿り着けない境地だと思う。

先にも述べたがこの建築が出来たのは1951年、70年近く前のこと。この時代、ここまで高度に鉄やガラスを扱うことのできる建築家は他にはいなかったのではないだろうか(今なら居るかと言われると、それもまた疑問だけれど)。

建築は一般的に、大きくなるほど要求や関係者が複雑化し、建築家のできること・やりたいことは実現しづらくなっていく。そこでミースは、数あるプロジェクトの中からこの「小さな」住宅を選び、膨らむコストにもあえて片目を瞑って、当時の彼が出来ること全てを注ぎ込もうとしたのではないか、、そんなことを想像した。それが結果として訴訟沙汰となり、以降彼はこの住宅には寄り付かなかったというから、皮肉な話ではあるのだけれど。

あまりにも時代に先がけた設計の境地に、ミースの孤高、というか孤独を垣間見た。


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