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建築目線からシカゴのApple Storeを見に行く

これが正しいことなのか、いささか自信がないのだけれど、設計者の端くれとして建築を見に行くとき、どうしても建物によって2通りの見方を使い分けてしまう。

ひとつは分かりやすくて、歴史的評価の定まった「名作」を見に行くとき。この時は、我ながらそれなりに純粋で謙虚な気持ちで見学していると思う。時代の到達点に感心し、卓越した空間や造形に息を飲む。本当に凄い建物のときは、気が済むまで佇んだりする。

もうひとつは、所謂「新作・話題作」を見に行くとき。このパターンになると、一転して大体いつもメジャーの出番、忙しい見学タイムになる。気になるところは測って記録。場合によってはレーザー計測器やカラーチャートを総動員したりもする。大体コソコソやっているので、はたから見ると不審者である。

こうして職業病的に色々見たり測ったりしていると、たまに驚きの連続みたいな建築に出会うことがあるのだけれども、自分にとって最近のApple Storeはその筆頭だったりする。日本の店舗でいえば表参道店が出来たあたりから、プロダクトの精度を求めるような高度なエンジニアリングを建築にも導入するようになり、そしてFoster + Partnersが設計を手がけるようになってから、その動きはさらに加速している印象だ。

今回見にいったシカゴのミシガンアベニュー店も、Foster + Partners設計による、「新型」のApple Storeだ。竣工は2017年。この建築も、期待に違わず普通じゃないことの塊だった。

立地はシカゴ中心部、シカゴリバーに面して開けた場所にある。ちなみに、後ろは約100年前の記念碑的なコンペで有名なシカゴ・トリビューン・タワー。対岸(撮影側)はミース設計のOne Illinois Centerだ。容積率を最大限使い切りたいこの一等地に対して、平屋である。このスキームを実行してしまうブランドは、世界広しといえど、今のところAppleだけだと思う。

一目見た印象は、ものすごく透明。柱は外壁から大きくセットバックして4本しかない。周りの高層ビルの意匠が割と重厚なこともあいまって、殆ど何もないような印象すら与える。

通りから川へと向かう敷地の高低差を活かし、外部空間は階段広場になっている。その階段は、建物の中にも同じように連続している。さながら、広場を軽くガラスで仕切っただけといった感じだ。

ガラスの下枠は見えないように工夫してあるので、本当に階段が連続しているように見える。ファンズワース邸で見たミースのガラスは存在感があったけれど、この場合は透明性で存在を消していく使い方だ。そのため、この建築では方立も無くしてガラスどうしはシールで納めている。素材に対するスタンスの違いが現れている。

それにしてもガラスが大きい。持参していたレーザー計測器で測ってみたら天井高さは9.8mだった。このサイズ自体は世間を探せばない訳ではないのだけれど、ガラスの構成が普通ではなくて、4枚ものの合わせガラスだった。手摺がガラスに直接付いているので(穴あけ加工をしているので)、おそらく強化ガラスだろう。単なるカーテンウォールとしてはさすがにオーバースペックなので、ガラスにも構造体として屋根の荷重を負担させているんだと思う。

この4枚合わせガラスが、曲面のコーナーにも連続している。以前あるエンジニアの方から、曲面合わせガラスをつくるのはとても難しいと聞いた。なぜなら、ガラスには厚みがあるので、1枚目と2枚目では微妙に曲率が違ってくるからだ。この僅かな違いを、熱で曲げながら正確に管理するらしい。これが4枚、しかも高さ9.8mともなると、メーカーは相当苦労したろうし、失敗作も結構出たんじゃないかと思う。

それにしてもこの建物、手すりから何から至る所合わせガラスだらけである。

柱のほとんどない内部空間はさすがに解放的だ。広場の階段が連続してシアターの座席になっていて、店舗というかもはや劇場に近い。販売スペースはシアター席の下に収まっている。つまり、店舗構成的には、商品はもう主役じゃないのだ。

みんながwebで買い物をし、実店舗での購買比率が減少していく中で、商業空間のあり方は今後変容していくと思うのだけれども、Appleがそれを牽引しようとしているのは間違いない。それを考察するには、残念ながら筆者の勉強が足りない。

先程から柱の少なさを強調しているけれど、数少ないこの柱自体もただでは済ませてくれないといった風情だ。問題なのがステンレスで仕上げられた2本の柱。太さ460mm×460mm、高さ9.8mのスレンダーな柱のどこにも目地がない。

この類の柱は、普通は鉄骨に金属パネルを取り付けて仕上げるので、どうしてもコーナー部と、長さ方向の継ぎ目に目地が出る。この柱はそれがないので、まるで無垢の金属塊に見える。こればかりはどうやって作ったのか、貧弱な経験の中では想像できなかった。現場で溶接して磨いたのか、もしくは本当にステンレス製のコラムなのかもしれない。

柱にせよ、ガラスにせよ、とにかくこの建物はApple製品のポリシーを建築にも反映させるがごとく、美しくないものを「消していくディテール」で統一されている。見えないディテールを目指して最先端のエンジニアリング(と間違いなく潤沢なコスト)を投入されて実現した「ハイテク建築」と言える。

Norman Foster氏といえば、キャリアの初期からハイテクな作風で知られている建築家だ(ハイテクという言葉、最近もう聞かないけど、建築史用語として定着しているので、あえて使う)。唐突だが、学生時代の講義で、ある先生がFoster氏やRichard Rogers氏らの作品を評してこのように説明していたのが印象的だった。

彼らは007、ジェームズ・ボンドの世界観を建築でやろうとしているんですよ

つまり、技術をただ機能的に建築化するのではなく、ボンドのスパイ道具のように、時としてオーバーなギミックを駆使して、テクノロジーを一種の美学として誇張して見せるという意味だ。だから、初期の作品は色んなところでジョイントが露出していかにも動きそうな気配だし、最近の実作を見てもテクノロジーを誇張・可視化するようなデザインは多い。なぜなら、それが20世紀以来の、ハイテクの美学を建築で表現する一種の「様式」だからだ。(上述の教授がジェームズ・ボンドを引き合いに出したのは、Foster氏やRogers氏も英国人であることに大きく関係している。そして、それら全ての根っこは産業革命にある訳だが、この辺りの歴史を解説するには筆者の教養は余りにも不足しているので、詳しくは言及しない)。

Appleという世界最大のテック企業が設計者としてFoster+Partnersを選んだというのは、企業イメージの表明としても実に納得できるのだけれど、実のところ両者のデザイン/テクノロジーへの志向は、「消す美学」と「見せる美学」という意味で逆を向いていたのではないかと思う。それを踏まえると、この店舗を含めたFoster事務所設計による最新のApple建築は、クライアントである巨大企業の突き付けた強いデザインプリンシプルを受け入れ、建築家のシグネチャーを抑えた結果実現したもののように見えなくもない。

そういった意味ではやはりこれは「Appleの建築」と呼ぶのがしっくり来るように思う。こう述べるといかにも建築家の主体性が抑圧されたような、(建築プロパーからすると)ネガティブな印象の物言いに聞こえるが、この状況は悲観すべきではないと思う。むしろ、20世紀の建築家がぶち上げた「機械みたいな建築」という呪縛からいい加減脱皮して、新しい「ハイテク建築」のビジョンを追求するチャンスをこの大企業が与えているように思うからだ。

現に、今や世界最高峰・最大規模の建築デザインファームであるFoster+Partnersは、デザインとエンジニアリングの地力をフル動員して、「MacBookやiPadみたいな」建築を各地で続々実現しはじめている訳である。

テクノロジーとプロダクトに革命を起こしたAppleは、21世紀の「ハイテク建築」のパトロンとして建築史にも名を残すのかもしれない。

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