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フィラデルフィアはまだ寒い (その②:ロバート・ヴェンチューリをたずねて)

ロバート・ヴェンチューリの著書『建築の多様性と対立性』は、相場ではル・コルビジェの『建築をめざして』に次いで重要な20世紀の建築書とされている。 けれど、この本を読んでる建築学科の学生って、いまどのくらい居るんだろうか。正直あんまりいないんじゃないかなぁ・・と思う。もはや、最近は別に読むことも推奨されていないのかもしれない。ましてや、彼の作品については授業や設計スタジオでも殆ど言及すらされないのでは、なんて想像する。

いや、別に「最近の学生はマッタク・・・」的な、先輩風ポジショントークをしたいわけではない。だって、正直言って、やっぱり彼の言説や作品って今からするとピンとこないのだ。

僕は所属ゼミの関係で仕方なしに『多様性と対立性』を繰り返し読んで、「あれ、ヴェンチューリの言ってること意外と面白い・・・???」ってなったクチではあるけれど、執筆当時の時代背景も含めた、体感的な理解には程遠いのだろうと思っている。 彼の言説・作品は、「建築」が一種の教養体系や知的ゲームとして捉えられていた時代の産物であることは確かで、 建築史家の五十嵐太郎さんの言葉遣いを借りれば「そうした教養が崩壊し、小難しい理屈は嫌われ、感覚や空間の体験が重視されるようになった(※1)」現在において、彼の仕事に触れる意義がハッキリしないというのは、まぁ仕方ない、というかむしろ自然なことなのかもしれない。

もっとも、ヴェンチューリがまだ作品を発表していた90年代にも、鈴木博之さんがメッタ刺しに酷評していたりもする(※2)ので、 それも含めて「ポスト・モダニズム」(※3)の空気感というのは後年に生まれた我々には掴みづらいところがある。

今日こんな見学記を書こうとしている僕自身も、彼の建築から直接何かを盗み、自分の設計に反映しようなんていう期待は、正直していない。 でも、ミースやコルビュジェが存命だった頃から、彼らとは全く異なる立脚点で「建築」あるいは「建築家」のフレームワークを提示しようとしたヴェンチューリの作品を訪ねることは、ある種の苦闘を目に焼き付けるという意味で、無意味ではないんじゃないかと思ったのである。


ドレクセル大学 メディアアート&デザインカレッジ

最初に訪ねたのはこの大学施設。あんまり有名な作品ではないと思う。僕は今回フィラデルフィアを訪ねるまで知らなかった。ペンシルベニア大学から道を一つ挟んだところに建っていて、賑やかな大学街に向けてファサードを構えている。

はっきり言って建物そのものは普通すぎるくらい普通である。アメリカのありふれた低層オフィスそのもの。 建築家の創意が現れているところといえば、カラフルなタイルで彩られたファサードの一面だけ。コロンバスの消防署で見たのと同様、確信犯的な「表層デザイン」とと捉えるべきだろう。

でも、多彩なタイルが刻む結構複雑なピクセルパターンは、意外と見ていて飽きないし、キャンパス計画に文字通り彩りを与えている。同時に、タイルはテクスチャや凹凸感が極力出ないタイプが選定されて、ファサードの表層性がさらに強調されている。サッシがのっぺりと収められているのも、きっと意図してのことだろう。

内部空間については、近年大規模なリノベーションが行われたらしい。以下のHPから様子を見ることができる。


ギルド・ハウス

ロバート・ヴェンチューリの著作で、先に挙げた『建築の多様性と対立性』に次いで有名なのは『ラスベガス』だろう。 この本の中で、彼の建築思想を語る重要な 「役者」として登場したのがこの「ギルド・ハウス」だ。自作なのにこの建物を「醜くて平凡」と述べ、それを逆手に取るようにして後期モダニズムの「洗練さ」のメッキを剥がしていく、アイロニー満載なヴェンチューリの語り口は、ポスト・モダニズム建築思想を代表する言説だ(※4)。

けど、これをわざわざ見に行こうっていう人もなかなか居ないのでは。我ながら物好きだなあ・・・と思いながらも、フィラデルフィア市街地から足を延ばしてみた。

この建物の所在地は、お世辞にもあんまり治安がいいエリアとはいえない。普通に住まわれている様子だったが、彼らはきっと自分のアパートが世界中の建築アカデミズムに知られているなんて、思いもしないだろう。まぁ、ある意味そのほうが健全だし、ヴェンチューリの思惑通りともいえる。

竣工から約50年を経ているものの、実物は思ったより綺麗に保たれていた。 やけに目立つ「GUILD HOUSE」の看板(この不格好さも意図的なものだ)も、 もしかしたらオリジナルのままかもしれない。先の大学施設と同様、この作品でもヴェンチューリは正面のデザインに徹している。書き割り状のパラペット、装飾的に切り込まれたスカパー、高層部を見切る白煉瓦、ここだけやけに量感的なエントランスの円柱など、記号的デザイン手法がたくさん散りばめられている。

その反面、裏側に回ると完全にその辺のアパートと変わらないので、その割り切りというか、アイロニックなアプローチにはびっくりするくらいだ。

著書『ラスベガス』の中でベンチューリが自慢していた「シンボル」としての「黄金のテレビアンテナ」は、 老朽化か時代の流れか(アメリカでは今はケーブルテレビが一般的)、撤去されていた。ちょっぴり残念。


フランクリン・コート

フィラデルフィアの市街地にも、ベンチューリの仕事がある。フランクリン・コートという作品だ。 フランクリンというのは、アメリカ建国の父にして100ドル紙幣の顔にもなっている、ベンジャミン・フランクリンのこと。その家の遺構を敷地とした一種のモニュメントだ。

この作品、記念碑のくせして、とにかく分かりづらい場所にある。 街区の奥まったところに立地していて、 建物の下をくぐったりしてようやく辿り着ける。地図アプリでナビしながら向かっていたのに一回通り過ぎてしまった。もし訪問される際はご注意を。

先ほど、 ここはベンジャミン・フランクリンの家の遺構である、と述べたが、実際のところは基礎の一部しか現存していない。この敷地状況に対してヴェンチューリが何をしたかと言うと、鉄のフレームを組み上げ、家の輪郭だけを抽象的に表現したのだ。地面には白い大理石で平面図が象られている。いくつか覗き穴的な装置も設けられ、実際の遺構はそこから観察することができる。

この場所に訪れた人の身体感覚とか、 建築としての心地よさとかをすべてすっ飛ばしたアプローチで、有り体に言ってポストモダニズムここに極まれりだなぁ、と思った。現在では、建築家の仕事としてはなかなか受け入れ難いだろう。鈴木博之さんが痛烈に批判していたのもこの作品だった。(※5)(いっぽうで、アートの文脈として読み替えたら、今でも○△◇芸術祭みたいなイベントでは似たようなの、ありそうな気はします。)

訪れる人は意外と多かった。もっとも、彼らにとっても目的は鉄のフレームではなく、みんな熱心に覗き穴から家の瓦礫を観察していた。


ヴァンナ・ヴェンチューリ・ハウス

スイス・レマン湖のほとりに建つル・コルビュジェの「小さな家」や、毛綱毅曠氏の「反住器」をはじめ、「母の家」として知られる住宅作品が幾つかある。その中でも最も有名なのは、きっとこの「母の家:ヴァンナ・ヴェンチューリ・ハウス」だろう。竣工は1964年、建築家が39歳のときの実質的な処女作である。

敷地はフィラデルフィアから車で30分ほどの緑深い住宅地。立派な邸宅が点々と建つなか、小路の向こうにその姿はあった。ちなみに、カーンのエシェリック邸も徒歩数分の距離にある。現在は公的機関の管理だと思っていたのだけど、人が住んでいる気配もありそうでどちらか判然とせず、遠くから慎み深く拝見した。

実物を見た最初の印象として飛び込んできたのは、意外なことにその色彩だった。思いのほか鮮やかな薄緑で全体が塗りこめられている。モダニズム建築が好む色味ではないし、当然周囲のコンサバティヴな邸宅とも違う。いい具合にコンテクストから浮いていて、よく言えば自律的だし、悪く言えば異物感がある。

この住宅の最大の特徴は、大きな切妻のファサード。建築史の教科書なんかで登場するのもこのアングルだ。このデザインを通して、ヴェンチューリは「白い箱」な近代建築の画一性を批判してみせた。今では勾配屋根は普通に建築家のボキャブラリーとして市民権を得ているけど、60年代当時は結構思い切った問題提起だったのだろう。(例えば、これは国内で聞いた話だけど・・・当時は大学の設計課題で勾配屋根を乗っけた瞬間、自動で最低の「C」評価が付くような空気感すらあったらしい。真偽は定かではないが)

が、この屋根も一筋縄ではいかない代物だった。裏側にまわるとトリックがよく分かる。これさえも、パラペットを立ち上げた書割りなのだ。実際の止水面は一段下がったところにある。ここでも、建築に意図された「特徴」は機能や空間・ボリュームから切り離され、あくまでペラっとした記号に還元されていることが分かる。その入念さには驚くばかりだし、同時にこの意味論的な執着が、現代の感覚では彼の作品に「ピンと来ない」最大の理由ともいえるだろう。

もっとも、辺りの住宅地を見渡せば、「本当の」切妻はいくつも建っている。ヴェンチューリは、「歴史的建築ボキャブラリーの復権を試みた」と教科書的には説明されるけど、やっぱり状況はそんな単純なものではないと思う。ミースの存命当時、40歳手前で「Less is Bore」と喧嘩を売るリスキーな覚悟や、(ヨーロッパと違って)歴史も文化も「薄い」アメリカの建築家として創作を運命づけられた羨望と諦念。「母の家」から始まるアイロニーの底には、きっと複雑なフィーリングがあったんじゃないだろうか。

「正当な」モダニズムからはあえて脱線し、周辺の「保守的な」コンテクストとも似ても似つかないこの住宅は、「ポスト・モダニズム」という時空の狭間に取り残された宇宙船のようにも見えてくる。


※1:五十嵐太郎 「日本建築論」(https://cakes.mu/posts/8883
※2:『二〇世紀の現代建築を検証する』A.D.A エディタ / 2013
※3:本記事では、「モダニズム以降」の時間フレームを比較的リテラルに意味する「ポスト・モダン」ではなく、より狭義の建築デザイン・言説を指すことを意図し、用語「ポスト・モダニズム」を用いている。
※4:『ラスベガス』鹿島出版会 / 1978
※5:『二〇世紀の現代建築を検証する』、磯崎新氏との対談の中で鈴木氏は以下のように述べる
「ぼくはどうしてあの人が偉いのか全くわからない。まずフランクリン・コートというのがありますよね。あれはベンジャミン・フランクリンの家の跡を記念館にしたものですが、彼は推量で復元をしてしまったら嘘をつくことになると思った。だから家の外形線だけをつくる。あとは地下へ埋めちゃって、地面には発掘のパターンを描く。つまりあれは建築じゃないんですよ。まったくの図式なわけです。完全に記号と建築を混同してしまっている。」

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