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「フランク・ゲーリーの建築」を見ながら思うこと

前回の記事ではディラー・スコフィディオ+レンフロの「The Broad」についての見学記を書いたが、もちろん、その隣に建つフランク・ゲーリー設計「ウォルト・ディズニー・コンサートホール」も見に行った。実は、こっそりチケットを取って、ガラにもなく昼のクラシックコンサートを聴きに行ったりもした(最もリーズナブルなチケットは$20でけっこう安いのだ)。

米国の各都市を巡り歩いていると、本当にゲーリー氏の建築を目にする機会は多い。LAやNYCだけでなく、地方都市にも彼が手掛けた建築はたくさんある。現在90歳の彼が、現代建築家としては名実ともに「アメリカ代表」として君臨しているのだ、という事実を思い知らされる。

ひょんなきっかけで転がり込んだアメリカ滞在というイベントを、「建築見学記」というかたちで記録しようと思い立ち、ヘタクソ丸出しながら何とか続けて約1年。色々な建物についての拙い感想を垂れ流してきたが、これだけ頻繁に出会うゲーリー建築についての記事を全然書いていなかったことに気づく。なので、この辺で彼と彼の作品について思っていることを、ちょっと言葉にしてみようと思う。もちろん、現役建築家の「作家論」を軽率にもしたためようなんて愚を犯すつもりはないし、本格的にリサーチをした訳でもないので、あくまで取り留めのない感想と、ささやかなリスペクトの表明のようなものになると思う。

(ウォルト・ディズニー・コンサートホール / LA 内観)

僕がフランク・ゲーリーという建築家について意識したのはいつだったかなぁと・・・思い返すと、確かそれは大学3年生のスタジオ課題の中間講評かなんかだったと思う。詳細は忘れたけど、外部講師の先生(H先生としておこう)が、「君たちは知らないかもしれないけど、あのフランク・ゲーリーもはじめはモダニズムをやっていたんだよ」と言ったのだ。恐らく、あまりに幼稚な設計スタディに傾きすぎた僕たちを諫めるニュアンスがあったのだと思う。

当時から「ビルバオ」に代表される彼の作品は知っていたし、何となく「ああいう作品をつくる人は最初からああだったんだろう」と信じ込んでいた。なので、唐突に飛び込んできたその一言は妙に心に残って、「ふぅんなんか他の[デコンの人]とは違う考えを持った、変わった建築家なのかなぁ」と、無教養ながら思うようになった。実際のところは、ゲーリー氏に限らず、現代建築を参照するのが憚られる雰囲気が当時のスタジオにはあったので、それ以上のアクションがあった訳ではなかったのだけど。

ゲーリー氏の仕事に興味をそそられた次のきっかけは、2015年に六本木で開催された彼の展覧会(※1・2)。現代の外国人建築家の単独エキシビジョンとしては、異例といえる規模と充実度だったと記憶している。休日出勤のあいだにサラッと覗こうとしたら大分長居してしまったっけ。たくさん並んだ巨大な模型の数々はもちろんだが、壁にデカデカと貼られたオフィス内部のパノラマ写真や、ゲーリー・テクノロジーを含めた設計トータルマネジメントの解説ムービーには、新米建築設計部員として大いに刺激を受けた・・・というかショック甚だしかった。世界のトップファームはこんなにクリエイティブなんか・・・と。コストダウンばかりに腐心している自分はいったい何なんか、と。「現代のテクノロジー環境において、クリエイティビティとコストセーブを両立できないアーキテクトは怠慢でしかない」的なゲーリー氏の発言も紹介されており、さらにグサリと来た。

同時に、まだ見ぬ建築を実現するため、ソフトウェアや事務所を含むすべてを長年かかってデザインし、80歳後半(当時)になってなお休むことなく走り続ける彼に対して、作品性とは違ったベクトルの尊敬を覚えたのだった。「モダニズムをやっていた」頃から数えれば、この領域に達するまでは本当に長い道のりだったはずだ。実際彼の建築キャリアは60年を超えるわけで、この粘り強さに気づくと、「お前はここまでやる覚悟はあるのか??」という問いを突き付けられているような気すらしてくる。

で、いざ実際に米国に来てみると、先述のとおり、彼の建築は本当に各都市の好立地を占めている。地元のLAはもちろんだが、NYCにもとてもよく目立つ「8 スプルース・ストリート」等があるし、シカゴには屋外シアター「ジェイ・プリツカー・パビリオン」が建っている。地方都市に行っても、彼の作品を見かけなかったことのほうが少ないくらいだ。僕が今住んでいる街にもある。

(8スプルース・ストリート / NYC)

いわゆる「ビルバオ効果」を狙った顧客との共犯関係という見方もできなくはないが、そうだったとしても、これ程の数を具現化するのは並々な事ではない。皆を魅了してしまうような素晴らしい計画案を発表できても、それが高確率で空中分解してしまう作家だって、正直いるのだから・・・。実現力という観点からしても、彼が長年かけて築き上げた「事務所自体のデザイン」がキーロールを担っているのは間違いないだろう。

(写真上:ジェイ・プリツカー・パビリオン / シカゴ)
(写真下:ピーター・B・ルイス・ビルディング / クリーブランド)

フランク・ゲーリーが建築家としてブレイクしたきっかけは、1979年の自邸であったと言われる。LA近郊サンタモニカに建つ1920年代の一軒家を、コルゲート板やメッシュフェンスを用いて奔放に改修した住宅である。「昔はモダニズムをやっていた」彼が何故そんな表現を用いはじめたのだろうか、なにが彼を駆り立てたのだろうか、というのはずっと抱いていた疑問だった。

例えばその理由は、ミース時代の「神は細部に宿る」がもはや実現し得ない20世紀後半アメリカの低下した施工技術への回答、一種の割り切りであり開き直りであるといわれたりする(※4)。きっとそれも一つの理由なのだろうけど、その自邸を含むサンタモニカ一帯に行って素直に思ったのは、この温暖でオープンなムードが多分に背景にあったに違いない、ということ。

(エッジマール・センター / サンタモニカ)

言葉にしてしまうと、「そりゃそうだろ」となるかも知れないけど、実際に現地に立つと本当にそれが実感できるのだ。(なんだかんだ、ネットでは分からないことはまだ多い・・・・。)

サンタモニカにはゲーリー氏の建物が本当にたくさんあるので、全部見て廻ることは残念ながら出来なかった。が、訪ねた建物についてはそのすべてが、サンサンと降り注ぐ日光や、開放的な人々の振る舞いも相まって、そのピョンピョン跳ねるような造形が活き活きしているのだ。今ではキッチュ建築の象徴みたいになってしまっている「シャイアット\デイ広告社オフィス」ですら、サーファーがキャンピングカーで辺りに乗り付けているようなコンテクストの中では、妙に輝いて見えた!

(シャイアット\デイ広告社オフィス / サンタモニカ)

先程、アメリカ施工技術の地盤沈下についてちょっと触れたが、ゲーリー氏の建物がある時期まではローテク施工ベースで構想されていたのは事実だろう。象徴的なのは多くの曲面作品を覆うメタル外装。彼が好むといわれる魚のウロコのごとく、ピースに細分化されて壁・屋根が判然としない勢いで葺かれていることが多い。設計にこそ高度な3Dプログラムが必要だが、いざ現場レベルになれば、施工誤差を逃しやすい工法ではある。そういう意味では、コルゲートや金網を切った貼ったの自邸と、ディズニーコンサートホールは地続きといえるのではないだろうか。

(視覚芸術センター / トレド)

それが、近年の作品では、一種の飛躍というか、テクニカルには大分ギャップのあるものを彼は手掛けているのではないかと思う。最初にそれを感じたのは、5年前はじめてのNYC旅行で「IACビルディング(2007)」を見た時だった。この建物の外装は、曲面ガラスで覆われている。ん?ガラス??すると大分ハナシが違う。なぜなら、曲面ガラスはとても製作管理が難しいというし、もちろん現場で歪みを調整することなんてできない。

要は、「低い施工技術を逆手にとった」はずの彼の造形は、いつしか「高い製作技術」にバックアップされたハイテク・ビルディングになっているのである。それは近年パリにできた「ルイ・ヴィトン財団」などではさらに顕著なように見える(まだ行けてないので見てみたい)。

(IACビルディング / NYC)

本人からすれば、「だから一体何なんだ?」と詰められそうであるが、僕はこういった作家の「転換点」にこそ興味がある。建築家本人がもし明言していないとすればなおさらだ(文献を漁った訳ではないので、もしかすると何か言っているかもしれないが)。

今のところ、一番最近見たゲーリー建築は、ラスベガスにある「ルー・ルーヴォ・ブレインセンター」。幸運にも、設計を担当したゲーリー事務所のアーキテクトの解説で、内外を見て廻ることができた。その説明は、施設収益を確保するスキーム設定や、サッシュユニットの調達プロセス、雨水シミュレーション等々、とても地に足のついたものだった。建築が派手であるほど、地道な検討の積み重ねが如何にに必要であるかを再認識。そして、2015年の展覧会で感じた、実務家としてのゲーリー氏(orゲーリー事務所)の骨太さみたいなものを、改めて感じたのだった。

「フランクは今でも週に6日事務所に来ているんだ」と語る、事務所歴20年のベテラン設計者の口ぶりからは、今なお最前線を走り続けるボスに対する誇りと尊敬が滲み出ているように思えた。

(ルー・ルーヴォ・ブレインセンター / ラスベガス )

2019/07/07追記

こんな記事を書いた矢先、先日またゲーリー氏の建築を見に行った。今回見学したのは、マサチューセッツ工科大学にある、レイ・アンド・マリア・ステイタ・センター(2004年竣工)。

エーロ・サーリネンやI.M.ペイら、まさに「歴代アメリカ代表建築家」の作品が並ぶMITキャンパスの中でも、この建築の佇まいは一際だ。なんといっても延床6,7000㎡におよぶ大施設、そこに数々の建築ボキャブラリーがもう爆発しそうな勢いでくっついているのだ。

個人的な感想としては、この建築が、今まで見てきたゲーリー作品の中でも一番「好き」かもしれない。なぜかというと、外から見ても中に立っても、一貫して高揚感に満ちているから。外回りは何周しても飽きないし、ひとたび中に入ったらどんどん探検したくなる。下手したら本当に迷い込んでしまうだろう。

壁の端部が切りっぱなしで、まるで未完成にすら見えるざっくりした様子は、模型スタディという「創発の現場」がそのまま実物化したような印象すら覚える。それは「象牙の塔」としての大学施設からは限りなく遠く、よりアクティブでカジュアルな21世紀型の知性をいち早く象徴していたのだと感じた。

※1:建築家 フランク・ゲーリー展
   http://www.2121designsight.jp/program/frank_gehry/
※2:フランク・ゲーリーを再考する
   http://10plus1.jp/monthly/2015/11/
※3:『20世紀の現代建築を検証する』磯崎新・鈴木博之 PP.216-217

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